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第12話




 

「セオドアさま!!」


 叫んだエルシィの目前を、剣を構え直したナリッジの切先が掠めていく。

 どこかの窓から駆け抜けてきたらしい第三王子は、いっそ機械的で無表情にすら見える見開いた目で、上空にいるセオドアを捉えた。


「? 踏み込み、浅い? 届かなかった」

 

 根を伸ばして空中に()を形成した幻想生物は、奇襲に怒り甲高い咆哮をあげた。

 聖女はエルシィの頭を抱きかかえ、ナリッジを睨んで足元に魔法陣を再び浮かび上がらせる。


「ナリッジお兄さま、これはいったい、どういう事ですか!?」


 糾弾に彼は、緩慢な動作で視線を向けてくる。

 ゾッとするほど無感情な瞳は、まるでガラス玉のように二人を映していた。


「……ハープシコードが面倒ごとを起こしたら、殺して良いって、兄上と姉上から命じられている」

「っ、やめてお兄さま、あの人はお母さまを守って下さってるの!」

「関係ない。聖女の母体樹を守ろうが、守るまいが、面倒ごとを起こしているのが、事実」


 ナリッジの視線が再び上向き、窓の縁を踏み抜いて跳躍する。

 空中に投げ出されたままのセオドアに切り掛かるが、体を反転させた男は遠心力に任せて脇腹を蹴りつけた。

 ナリッジの体はくの字に衝撃を受け、勢いを殺せないまま、聖女の結界が崩壊し現れた離れの城に激突する。

 上空から別の屋根に落ちたセオドアは、直前で靴底の魔術を作動させ緩やかに降り立つも、すぐに力が抜けて膝から崩れ落ちた。


 背中を強打した影響で、内臓が圧迫されたのだろう。

 咳き込んだ先から血液が飛び、彼は片手で口元を押さえつける。


「痛ってぇ……! くそっ、肉体労働はガラじゃねぇんだよ……!」

「セオドアさま!」


 聖女に頼んで幻想生物ごと移動してもらい、エルシィはセオドアの前に膝をついた。

 奇襲に備えて衣服の背に魔術を施していたそうだが、あくまで簡易的なものだという。直撃した痛みを殺せるほどのものではなく、彼は真っ白な顔で冷や汗を拭った。


「二人とも、怪我は?」

「わ、わたしたちより、あなたが……!」

「だぁいじょーぶ。心配しなくていい。可愛い奥さんとお嬢さんに怪我がないことが一番だ。……もし怪我なんてさせたら──」


 セオドアの視線が上向いて、エルシィを引き寄せ片腕を上げる。

 いつの間にか背後に飛びかかってきたナリッジの剣を、幻想生物の蔓が絡め取って制止し、セオドアが柄を掴む第三王子の手を押さえつけた。


 離れの城からすぐに体勢を立て直し、あの短時間で戻ってきたのだろうか。ナリッジはまっすぐにセオドアを見つめ、酷く人間離れした様相で目を瞬かせた。

 悲鳴をあげたエルシィは、咄嗟に聖女を腕の中に抱きしめる。少女は驚いてエルシィを見つめるも、泣きそうに表情を歪ませ抱きしめ返した。


 カチカチと剣が震え、いまにも蔓を切り裂いて振り下ろされそうだ。

 この至近距離、エルシィの髪に施された魔術が発動したとしても、全員が助かるのは至難の業である。しかも未だ屋根の上にいて、三人を守ろうと蠢く巨大な葉を叩く雨足も、次第に強くなってきていた。


 せめて聖女だけでも守らねば。

 エルシィは掻き抱いた体温を離さぬよう、強く目蓋を閉じて身を強張らせる。

 恐怖と緊張で流れた涙が、ぽつ、と聖女の腕に触れて、消え去った。


「…………ママのこと、泣かしたの?」


 しん、と。

 降り注ぐ雨粒が、急激に動きを緩慢にする。

 周囲にあった全ての音が失せ、ナリッジはセオドアを凝視していた視線を、聖女に向けた。

 彼女は兄と同じく目を見開き、ゆっくりと片手の平を向けた。ハニーイエローの瞳に一瞬にして憎悪が浮かび上がり、城下町に広がるほどの魔法陣が形成され光を帯びる。

 生命の危険を感じたナリッジが、初めて動揺し剣から片手を離した。

 顔色悪く屋根の縁を蹴って、背中から逃げ出す。


 上空に咲き乱れるチューリップが、瞬く間に渦巻いて、美しく醜い一本の槍に変化した。


「赦さない。……っ赦さない、赦さない、みんな、みんな、みんな、わたしのママに酷いことするなんて、誰であろうと赦さないわ──ッ!!」


 それは槍の形をした銃弾だった。

 上空から次々に地上に降り注ぎ、ナリッジの逃げる方向へ撃ち込まれていく。

 凄まじい轟音に呆気に取られたエルシィは、しかしハッとして聖女の頬を両手で撫でた。


「だ、ダメですよ、ルヴィナさま! こんな闇雲にやったら危な」

「やだ!! やだ、やだ、みんな嫌い、きらい、嫌い、嫌い、嫌い!! みんなみんな、嫌いぃ!!」


 エルシィに危険が迫ったせいもあるのだろうが、おそらくそれだけではない。

 癇癪を起こす子供と等しく、彼女は絶叫しながらしゃくり上げた。

 痛々しい傷跡が、少女の慟哭に呼応するように赤らんで、エルシィは聖女を抱きしめなおす。

 どうしたらいいのだと混乱し、助けを求めてセオドアを見ると、彼は柔和に微笑んで両腕の中に二人を引き入れた。


「よし、みんな嫌いなら逃げようか、ルヴィナお嬢さん」

「っ、っ、にげ、ぅ?」

「そう。今の君の力なら、ここから逃げられる。そして今逃げれば、パパもママも一緒だ」

「ちょ、っと、パパって、あなたね……!!」

「……逃げる……」


 選択肢にすらなかったのか、彼女は呆けた顔で単語を繰り返す。


「……逃げても、怒らない?」

「もちろんだとも。今まで誰かに怒られたのか?」


 聖女の視線が、傷だらけの己の体を彷徨った。

 エルシィが優しく頭を撫でれば、彼女は大粒の涙を流しながら、その手に小さな顔を擦り寄せる。


「……わたしたちは誰も、苦しい場所で一生懸命頑張ってるルヴィナさまを、怒ったりしませんよ」


 ひくりと、小さな喉が震えて、彼女はエルシィの肩口に顔を埋めた。

 そして引き攣った呼吸音が徐々におさまっていき、聖女は、──ルヴィナは、心底安堵した声で微笑む。


「…………そっかぁ……わたし、お城にいなくても、いいんだ」


 城下まで広がっていた魔法陣が、急速に縮んで、三人の足元ほどの大きさになった。

 しかしそれは、今まで彼女が扱ってきたものより複雑な幾何学模様を宿し、星の瞬きを隠すほど、眩い月夜を思わせる力を讃えている。

 ルヴィナは片手を頭上に掲げ、首を垂れた幻想生物の花弁に触れると、大きく息を吸い込んだ。


「“在りし日、追憶の奏” “導きの夢、星座の後押し、花の咲く夜空を歩く我に続け”」


 三人の体が発光し始め、視界が白んでエルシィは目蓋を閉じる。

 体の奥底が暖かく、布団の中で微睡に揺蕩うような、不思議な心地よさが心を包んだ。


「“誰の手も、誰の目も、妨げになど出来はしない” “我に続け、我に続け”」


 ルヴィナはエルシィとセオドアに両手で触れ、同じく目を瞑り、最後の呪文を言葉にのせる。


「“シテラガルニバス“ “我が眷属よ、遠く安息の地へ我と続け”……!」


 雨雲を割いて現れた西の空へ向かって、夕凪の穏やかな白月に向かって、三人の体は光となり飛翔する。

 

 それは魔法使いの聖域、空間転移魔法。

 聖女だけが成しえる人智を越えた、目を奪われるほど美しい、完成された魔法の真髄であった。

 


 

 


 


 


 

 

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