第10話
ピアノン家に生まれた三人目の娘は、確かに国王夫妻の血を継いでいる。
しかし隣国の王族は、古来より二卵性双生児という存在を、兄姉の替え玉として育てるのが決まりであった。
娘は第二王女ルヴィナの双子の妹として生まれ、今日に至るまで、ルヴィナの身代わりとして育てられてきた。
だが、娘は娘であって、ルヴィナではない。
代替え品は必要な時に外出を許可されるだけで、家族と共に居る時間など、ほんのわずかほどもなかった。
娘が表舞台に出るのは、ルヴィナの身が危険に晒される事のないよう、盾としての役割のみである。
自身は個を殺し、ルヴィナを模写し、投影し、全てが完璧に彼女である事を求められた。同じ勉学を学び、教養と所作を身に付けられても、ルヴィナ以上に優秀さを披露したり、ルヴィナ以下に自らを貶めたりすることを、許されなかった。
娘に求められるのは、完全なルヴィナであること。
自我が芽生え始めた頃にはそれが当たり前で、どうしてと反抗すれば折檻され、娘の自己意識は急速に衰えていった。
だが娘はある時、首の後ろに不思議な痕があることに気がついた。
その痕が出来てから、娘の魔法使いとしての才能が開花し、あらゆる事に魔法を使用できるようになった。
王族が誰も使用できない魔法。そして厄災に対抗する術を持つ、聖女の証し。聖痕。
彼女は鏡に映る自分が、ルヴィナではない個であることに、心底喜び安堵した。
だが姑息であった王家は、娘の能力を、全て第二王女ルヴィナの功績にすり替えた。
第二王女は小石一つ浮かす魔法も使えないのに、聖痕を真似て傷を作り、表舞台で聖女のように振る舞う。
両親は、兄弟は、ルヴィナを褒めた。
ルヴィナはなんの功績もないのに、娘の行いを、全てルヴィナが行った事だと褒めたのだ。
娘は諦めることにした。
その代わり、ますますルヴィナを完全に模写しようと、己の魔法に磨きをかけていく。
どこを歩いても、どこの角度から見ても、美しく醜い姉姫であり続けられるように。
ルヴィナとして城下を歩けば、国民は皆が笑顔で接してくれる。ルヴィナとして顔を見せれば、他国の王族も敬意を払ってくれる。空虚な満足感は娘の自尊心を満たし、同時に鋭利な刃物で傷つけていく。
そこに娘個人がいなくても、皆は充実しているのだ。
──わたくしがいなくとも、世界は等しく、回るから。
「……どうして誰も来ないのかしら」
娘は離れの城で、使用人の知らせを待ち望んでいた。
ルヴィナの部屋そっくりに整備された部屋は、可愛らしい内装に反し、ひどく温度がない。
娘は第二王女と同じドレスを見に纏い、ベッドに腰を下ろして、チューリップの植木鉢を両腕に抱え直す。
国王から捜索を命じられ、ようやく見つけ出した菩提樹は、女神のように美しい人だった。
流れるオリーブの髪に、神聖なオッドアイ。優しく力強い眼差し、清らかな声。全てが娘を魅了してやまない麗人である。
いつもは魔法で隠している本当の聖痕を見せた時、娘を心配してくれた事に、どれほど歓喜したか分からない。
だから娘は、国王夫妻からの呼び出しを待っていた。
エルシィは聖女の菩提樹。今回ばかりは魔法の使えないルヴィナではなく、自分を呼んでくれるはずだ。
それにエルシィの傍には、旧王国時代の直系セオドアがいる。彼は稀代の魔術師だ。偽ろうとしても簡単に見破られてしまうだろう。
「…………普通のお兄さんでした」
娘は指先でチューリップを撫で、意気消沈に声音を沈ませる。
セオドアは娘にとって唯一、周囲の皆が娘より下位の存在だと言う男であった。
彼を憎むことで己の存在を肯定し、蔑む対象とすることで心の平穏を保つ材料であった。
だが実際、相対したセオドアは、あまりに普通の青年である。
エルシィを独り占めしようとしている事に腹が立ち、ルヴィナであればこうするだろうと行動したが、娘は自由に生きるセオドアに衝撃すら受けた。
そして同時に、やり場のない恐怖を覚えたのだ。
彼には力があり、自由を謳う人生があり、それに見合う努力をした人なのだろう。
才能と閃きが重要な魔法と違い、魔術は完全なる学問だ。ほんの少し体に魔力があれば、個々の努力によって、膨大な知識が開花する。
あの若さであれほどの魔術師だ。努力は並大抵ではなく、血を吐くような日々であった事だろう。
ルヴィナを装い拒絶し、彼を遠ざけようとしたのは、彼を憎むからではない。
死に物狂いで手に入れた自由を謳歌する男に、自らの卑劣さを突きつけられたからだ。
あまりに醜い生き物である自分を、エルシィに知られてしまいそうだったからだ。
ピアノン家は、旧王国時代直系ハープシコードの傍系一族である。彼を目の敵にするのは当然という風潮が消えない。
だが娘は思うのだ。
セオドアがいったい、ピアノン家に何をしたと言うのだろう。
彼がエルシィを見つめる眼差しは、娘がむけるものよりよほど、誠意と慈愛に溢れていたのに。
「……っ!? な、何!? 結界が」
刹那。
凄まじい爆発音と共に、離れの城に張り巡らせていた結界が崩壊した。
植木鉢で咲き誇っていたチューリップが、瞬く間に根を伸ばして娘を取り巻き、巨大な蕾を形成すると、花弁が淑やかに開く。
中央には橙色の眼球が一つ蠢いて、娘の足元に魔法陣が浮かび上がった。
異形をまとわり付かせた娘は、大きな装飾窓を開いて外の様子を確認する。
視線の先で、木っ端微塵に砕け散った結界の破片が、月光のように雨の降る空を照らし出した。
聖女の魔法で作った強固な結界だ。絶対に破られない自信があったのに、まるでガラスを叩いたように粉々になってしまっていた。
そして娘は本城の屋根の上に、セオドアに抱えられ気絶したエルシィを見つけ呼吸を止める。
「──ママ!!」
絶叫し窓から飛び出すと、異形が自らの蔓で作った道の上を、一目散に駆け出した。




