第104話
シアドが折れて渋々客間に案内され、アリスは数日ほど、そこで過ごすことになった。
ハープシコード家族が住まう場所は、アリスの故郷から急いでも一週間程度かかる。その為、使者が麓の集落へ到着したら落ち合う予定だという。
それまでアリスは生まれて初めて、家族団欒と名のつく穏やかな時間に、お邪魔することになったのだ。
「あねさま、ユーフェと遊んでください」
「はい」
「あねさま、あねさま、フィンカとも遊ぶのよ!」
「はぁい」
シアドには双子の妹がいて、これまた母の遺伝子を受け継ぐ、可愛らしい子供達であった。双子は目を覚ましたアリスを歓迎し、ちょこまかと回っては、隙を見て腕に抱きついてくる。
アリスも兄弟は多いが、兄弟らしい交流をしたことは一度もなかった。おかげで満面の笑みを見せてくれる双子に、すっかり骨抜きである。
アリスが己の力を行使し、双子を空中遊泳させて遊ばせていると、背後から襟首を掴まれて引っ張られた。
「ユーフェ、フィンカ。こいつは俺の客人だぞ、好き勝手遊ぶな」
「あにさま! ずるいわ、あねさまを独り占めしないで」
「そうよあにさま! あたくし達だって、アリスさまと遊ぶのよ!」
小動物の睨み合いのようで、可愛い物である。
アリスは間に挟まれながら、呑気に目尻を緩ませた。
三兄妹の勝者はやはり、年長のシアドであったようで、アリスは手首を掴まれると、そのまま研究室と彼らが呼ぶ書斎に連れて行かれる。
この数日で何度か足を踏み入れたが、いつ見ても、足の踏み場もないほど物が散乱していた。
シアドはアリスを木箱に座らせて、自身は汚れた布が敷かれた床に、直に腰を下ろす。
すり鉢とすりこぎ、濃紺色の石、水差しなどを引き寄せ、最後に動物の皮を鞣した紙を広げた。
「さて、今日も君の力を見せてくれ」
興味津々のシアドに促され、アリスは指先で空中に円を描く。
そうすれば中央に野花が芽吹き、一気に球体の陣が部屋へ広がった。
二人の上を浮遊するそれを見上げ、シアドは石をすり鉢に入れ、水を流し込んでから、すりこぎで潰していく。
その間も視線は陣に注がれたままなのだから、器用な男であった。
彼が行なっているのは、アリスの力を読み解いて、同じ力を使う式に書き換えることなのだという。
実際に目の前で見ているが、難解な理屈や周りくどい思考で分解される己の力に、アリスは今でも呆気に取られる。シアド曰く、彼の力はアリスと違い、理解できなければ発動できない難点があった。
シアドは濃紺色の石を水に溶かし、液体状にしたところで、ナイフで指先を傷つけて血を垂らす。
その液体に、鳥の羽がついた細い棒を浸し、何事かぶつぶつと呟きながら、上を見ては下を向き、一心不乱に書き取っていく。
真剣な眼差しを見つめ、アリスは目尻を緩ませた。
ハープシコード家族は、アリスにとてもよくしてくれる。奪い奪われる事が前提のこの時代では、非常に珍しい価値観を持っていた。
だがそれも、生活や環境に余裕があるからこそ出来る振る舞いであることは、流石にアリスも分かっていた。
脅威がないとは言わないが、彼らは脅威に対抗する術がある。
家族が一致団結し、立ち向かう知恵と力がある。それは彼らに仕える従者達にも等しく備わっていて、組織として盤石なのだ。
対するアリスの家族、サキソフォン家はそうではない。一族の人数こそ多く、アリスの働きのおかげで配下も増えてきているが、基本的に信頼関係が希薄である。
彼らにあるのは信頼ではなく、絶対的な強者であるアリスへの羨望、崇拝、畏怖、恐怖。
父も母もアリスを大切にしてくれるが、それは我が子への愛情と程遠いことを、アリスは十分、分かっていた。
「……アリス? アリス、おい、どうした?」
「──え?」
いつの間にか深く考え込んでいたらしい。
意識が浮上した瞬間に、シアドの顔が目の前にあって、アリスは思わず仰け反った。
「わぁ近い、なんですかシアド」
「そりゃこっちのセリフなんだが? どうした、どっか具合悪いのか?」
「なぜですか?」
「顔色、真っ白だぜ」
黒ずんで汚れた両手を、適当な布で拭いて、シアドがアリスの頬を包み込む。
暖かい他人の体温が皮膚を通して心音を叩き、アリスは惚けた顔でシアドを見つめた。
「いえ、大丈夫です。ちょっと薬草の匂いに眠くなっていただけです」
「母上の薫物か? この部屋にも置いてあるからな、ちょっと待ってろ、今、消してくるから」
「あ、えと、いい匂いなのでそんな、……?」
顔色を誤魔化す為の理由づけにすれば、誤解を招いてしまい、アリスは慌ててシアドを止めようとして、出入り口の扉に目を向けた。
何かを急ぐ足音と、複数人の話し声が聞こえる。客人という割には慌ただしく、シアドが剣呑に目を細めて立ち上がった。
アリスを庇う背中に、少女はやはりぼんやりとしながら、木箱から立ち上がる。
「……守ってくださっているんですか」
「当たり前だろ、俺様の客人に手出しされたら、研究の進行が水の泡になっちまう」
「…………貴方、顔面偏差値が天元突破しているのにモテないでしょう」
「あ゛? モテるに決まってんだろ、ネーチャンからのお誘いがひっきりなしだぜ」
「わぁ不潔」
「はあああ?」
なぜだか無性に腹立たしい。
半目でアリスが呟けば、額に青筋を浮かべたシアドが振り返った。しかし続く言葉は音にならず、勢いよく扉が開いて、男が一人顔を見せる。
「おひぃ様!!」
褐色の筋肉質な肌に、白い短髪の男だ。動きやすい服ながらも要所は防具で保護し、戦士らしく武装したその人は、アリスを目に留めてスカラベの双眸を見開く。
アリスは目を瞬かせた後、パッと表情を輝かせて、シアドの背後から飛び出した。
「トゥーラ!!」
「お探ししましたよ、おひぃ様!! どうしてアナタはそうお転婆なのですか!! 毎度尻拭いするオレの心労も考えてください!!」
叱責しながらも、男は心から安堵した様子で、表情をくしゃくしゃと歪ませる。
飛びついた少女の小柄な体は、そのまま逞しい腕に抱き上げられた。
背後にいるシアドが呆然とした顔で、濃紺の液体がついた棒を取り落とす。
それは紙の上に落ちて、黒く滲みを広げていった。




