第101話
過去編開始です。
*話の都合上、赤子が他界する描写があります。表現をぼかしませんので、ご留意ください。
まだ世界は混沌とし、豊かな生活と新しい土地を求めて人々は争い、国らしい国も樹立していなかった、古き時代。
とある地方を取りまとめる部族の長に、娘が生まれた。
その娘は神々しい迄に美しく、見る角度によって色を変える髪と、金と青のオッドアイをもつ赤子であった。
彼女が物心ついた時には、不思議な力を自由自在に使えるようになっていて、彼女は部族の民から神のように崇められる。
一を解けば十を知り、不可能を可能にする女神と言われ、担ぎ上げられた彼女の存在は、瞬く間に世界へ轟いていった。
アリスと名付けられた少女は、普段、虫も殺せぬ無垢な少女然としていた。物静かだが好奇心旺盛で、族長と共に野山を駆け回る、そんな子供である。
しかし彼女が真価を発揮したのは、戦場であった。
細長い筒がいくつも組み合わさった、不思議な形状をした武器を使い、アリス一人で敵対勢力を薙ぎ払っていく。
遠距離から近距離まで、自在に操るその武器を片手に、彼女は戦女神としてますます知名度をあげていった。
その日アリスは、たいした味方も居ない戦場に放り込まれていた。
自分で自分を治療できるアリスは、12歳も過ぎれば普通の子供と見なされなくなり、大人の戦士より酷い境遇に送り込まれた。
多くの矢が飛び交い、斬撃が柔肌を掠めていく前線に立たされ、強大な力を駆使して敵勢を退けていく。
いつも通りローブで素顔を隠したアリスは、己の魔法具に銃弾を込め、ほぼ無尽蔵に使える力で、襲いかかる全てを迎撃しながら、ぼんやりとしていた。
ここ暫く、うまく眠れていない。
自身の内側にある力を、上手く制御できずに支障をきたしているような。疲れが溜まりすぎて、力に翻弄されてしまっているような。とにかくアリスはゆっくり休みたかった。
敵勢はここ最近、力を伸ばしてきている部族で、最新鋭の武器を惜しげもなく披露し、アリスに向けて襲いかかってくる。
なんでも金塊が眠る鉱山を発見したらしい。そこから得た資金で供給される武器は数も多く、アリスが所属する部族以外は、撤退を余儀なくされるほどであった。
だが戦女神と称されるアリスだけは、後方にいるはずの支援部隊の姿が見えなくても、一人、戦場に残っている。
どうせ帰っても次の戦場に向かうだけで、ここで相手が力尽きるまで待っていた方が良い。
アリスにとって日常は、そんなものであった。
「……?」
ふと、軍勢の攻撃が止み始め、彼らは何事か叫んで後退し始める。もしや武器が尽きたのだろうかと、首を傾げたのも束の間、向こう側から異様な気配がしてアリスは目を細めた。
その気配は徐々に、人々の合間を縫うようにこちらに近づいてくる。ヒリヒリと皮膚を裂くような力が、空気を通して感じ取れた。
アリスは片膝をついて体勢を低く保ち、片手を地面につくと、その気配が引き起こす衝撃を待った。
呼吸をゆっくりと整え、時間を数える。
そのカウントが丁度ゼロを刻んだ瞬間、敵勢の砲撃は完全に止まり、代わりにアリスの目の前へ誰かが躍り出た。
黒い塊に見えるほどの速さで、アリスが展開していた防御壁が蹴り付けられる。
弓矢でも剣でもびくともしない防御壁が、初めてたわんで、内側に歪な音が反響した。
敵勢から姿を見せたのは、おそらくアリスと同じくらいの少年だろう。彼は短く舌打ちすると、片足を軸に体勢を変えて、防御壁に向かって踵を振り下ろす。
再び防御壁が振動し、アリスは目を見開いた。
少年の身体から、アリス自身が持つ力に等しく、しかし似て非なる気配を感じ取る。
そして同時に、このまま防戦していてはいずれ、防御壁を突破される危機感が如実に肌を粟立たせた。
「っ……!!」
「降参するなら今のうちだぜ、俺はオメー様相手に勝ち残らねーと、晩御飯抜きになっちまうからよ!!」
軽快に叫んだ少年の声は、笑い声すら含んでいる。足を使う体術は捉え所がなく、しかし防護壁に打つかる音はあまりに強い。
アリスは息を呑んで魔法具を構え直し、引き金を引いて至近距離から発砲した。
重々しい破裂音が響いて、少年が素っ頓狂な声をあげて身を捩り、砲弾は敵勢の方へ飛んでいく。
距離をとった少年が、自身の体に触って無事を確かめ、アリスに向けて怒鳴り声を上げた。
「っ馬鹿野郎!! アブねーだろ、死んだらどうすんだ!!」
「……」
今まさに、こちらを殺しにきている敵勢の言葉ではないのだが。
冷静にツッコミそうになりつつ、しかしアリスは思考し、顔を隠すフードの内側で首を傾けた。
アリスより頭一つ高く、レッドブラウンが揺れる前髪の奥からは、真紅と青のオッドアイがアリスを眺めている。
つま先が地面を叩くたびに、稲妻のように力が迸るのが見え、少年の強さを窺わせた。
面倒な相手が出てきた。率直にそう思う。
何より厄介なのは、その力の強さより、言語能力の高さだ。
ここは敵陣営のど真ん中。つまりアリスとは扱う言語が違う。相手の作戦も読みにくいが、こちらの意図も察しされにくい利点があった。
だがこの少年は、あまりに流暢な言葉遣いで話しかけてくる。己が持つ力で強化しているのか、それとも地頭が良いのか判断できないが、アリスには些か不利な状況であった。
加えて、精神的な疲労が溜まる今の状態では、この強者と渡り合うだけの力が発揮できない。防御壁がたわむ現実が全てだ。
このまま攻防していれば、最初に力尽きるのはアリスの方であろう。
アリスは次の作戦をまとめ、魔法具の先を空に向けると、そのまま発砲した。
一直線に上空へ辿り着いた弾は破裂し、色のついた煙が風に流され、味方にアリスの意志を伝える。
一瞬、肩をすくませて片手で耳を押さえた少年は、胡乱げに空を見上げて目を眇めた。
「何してんだ、味方への合図か?」
「…………」
「……まぁいいか。俺の夕飯はオメー様にかかってんだから!」
地面を蹴って、たった数歩で距離が詰められる。
防御壁でも支えきれないような衝撃が走り、空気がざわめいてアリスは眉を寄せた。
彼女は防戦に見せかけて魔法具を振り回し、ゆっくりとタイミングを見計らっていく。
少年が防御壁に足をかけて、背後に飛び上がった。
かろうじて視線で追いかけたアリスは、今だ、と魔宝具から手を離す。
アリスは疲れていたのだ。どうせ多少無理をしても、この体は生半可なことでは死なない。
なので少し眠る時間をもらう事にしたのだ。
寝ている間に、自分の体が多少好き勝手されても、どうせ傷は回復する。
先ほどの狼煙は味方に対し、自分は敵勢の本拠地に潜伏するという合図である。
内側から切り崩した後の吉報を待ち、今は安全に撤退しろとする号令であった。
少年が体を反転させる延伸力に任せ、振り回された踵が防御壁に当たる寸前で、アリスは全ての力を解いた。
振り返り様、少年の輝くオッドアイと目が合う。濁りのない柔らかな瞳は、それだけで彼の幸福な境遇を表していた。
アリスは漠然と、彼が家族と囲む夕飯に思いを馳せながら、微かに微笑む。
「──いいなぁ」
直後、少年の回し蹴りが肩に直撃し、小柄なアリスの体は吹き飛んでいった。




