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第9話




 セオドアの一言に、一気に場が険悪になる。

 国王夫妻の後ろに立っているルヴィナが、軽い咳払いをして己の胸に片手を当てた。


「あなた相手に自己紹介など御免被りますが、良いでしょう。わたくしがルヴィナです」

「君が? 君は随分綺麗すぎる。さっきの女の子はどこに? 彼女が聖女だろ?」


 セオドアの言っている内容が分からず、エルシィは困惑気味に男を見る。

 リリンベルの王族達は、呆れた様子で失笑し、国王が片手を振った。


「日陰者が何を言い出すかと思えば……」

「ハッ、まったくだ。母体樹さまの害悪にしかならない根腐れめ。父上、早くこんな男、追い出しましょう」


 父親にジルヴェが賛同し、王妃も嫌悪感を露わにした目を向けてくる。

 しかしセオドアは堪えた様子もなく、片方の眉を吊り上げ、エルシィの額に頬擦りした。


「俺をその辺の魔術師と一緒にするなよ。この()には幾つも術式を書き込んである。さっきのお嬢さんは確かに聖女だろう、だが、そこの王女とやらは違うな」

「なっ──! 術式がなんです、何を根拠に!」

「さっきの女の子は、聖女としては未熟だろうが、魔法使いとしては()()だ。己の姿をどの角度からも偽り、完璧に相手を模写している。あの完成度は素晴らしい。常人には無理だ」

「ですから、さっきからデタラメを」

「なら、お嬢さんに聖痕を見せてみろ。……お嬢さんは、聖女ルヴィナの聖痕を見たんだろ?」


 雲行きが怪しくハラハラと見つめていたところに、突然、話を振られて肩を跳ねさせる。


「え? え、ええ。見ました」


 不思議に思いながら頷くと、ルヴィナは眉を吊り上げて、二人に背中を向けた。

 そして髪を胸元に寄せてうなじを晒し、どうだ、と得意げに指で指し示す。


「こちらです。お母さまにも見て頂いたものです」


 エルシィは一瞬、本気で理解ができずに息を呑んだ。

 確かに聖痕を見せられた場所と、今、視線の先で彼女が示す場所は同じである。

 だが目の前にいる少女の首にあるのは、ただの傷だったのだ。

 十字に入った、ただの引っ掻き傷。痛そうであることは変わりないが、エルシィの自宅で聖女が見せた聖痕と、まるで違っていた。


 彼女の聖痕は、こんな生優しい傷跡ではなかった。

 痛みに嘆き、悲しみ、苦しんで、もがく。そんな苦痛と解放への祈りを捧げる、聖なる傷痕だったのだ。


 慌ててセオドアに縋りつき、青褪めた顔で男とルヴィナと名乗る少女を、交互に見つめる。


「っ……ど、どういう、……」

「お母さま?」

「違う、あなたは、……ルヴィナさまじゃない……!!」


 セオドアがソファーを蹴って立ち上がりざま、エルシィを横抱きにして腕に持ち上げた。

 国王と王妃が何事か叫び、ジルヴェが片手を振り上げたことを合図に、一斉に兵士が足を踏み出す。

 のこのこついて来ては駄目だったのだ。

 平民で田舎者のエルシィには、世界情勢も歴史も学問も分からず、相手の善悪を押し測れない。

 だが少なくとも隣国の王族が、何も知らないエルシィを利用しようとしている魂胆は理解できた。


 少なくとも目の前にいる少女は、エルシィをママと呼んで頬を染めた少女ではないのだから。


 ここに居ては駄目だと、直感が喚いてセオドアの首に腕を回す。

 彼はソファーの横に立てかけていた旅行鞄を掴み、遠心力に任せて投げ飛ばした。

 重量のあるそれは兵士の一部に直撃し、怯んだ隙を狙ってセオドアが掃き出し窓へ向かい一直線に走り出す。


「だめ、待って、行かせない! 戻りなさい、だめ、あの人を逃がさないで!」


 背後で少女の甲高い声がし、落胆は大きくなっていく。

 王族の誰一人、魔法を行使しようとする様子がないのだ。もし彼女が本当に聖女ルヴィナであれば、即座に魔法を使い、エルシィを捉えようとしただろう。


 旅行鞄を拾ってバルコニーに飛び出したセオドアが、手すりに足をかけると、曇り空を降り仰ぎながら膝を曲げ、一気に跳躍して壁を駆け上がった。

 魔力で強化されたブーツと足の筋力が、二人の体が重力に引き寄せられる前に、軽やかに空へ向かっていく。


「お嬢さん、どうする? このまま逃げるのは簡単だ」

「駄目ですよ、ルヴィナさまを探さなくちゃ!!」

「いいねぇ、危険を顧みない心意気やよし! 喜んで奴隷のように手足を差し出そう! だから俺と結婚しよ」

「結婚すれば助けてくれるなら!!」


 青い三角屋根まで登りきり、縁に体重を預けたセオドアは、エルシィの体を抱え直して顔を覗き込んだ。


「よし、交渉成立だ。お嬢さん、いや、俺の奥さま! 婚姻届は無国籍自治区に言って、無神教に提出しよう」

「最初に言っておきますが、わたしあなたのこと、嫌い寄りの嫌いですからね!? 背水の陣で選り好み出来ない立場を理解したからですからね!?」

「正直に事務的だ、嫌いじゃないぜ……!!」

「わたしは嫌いなんですけどね!?」


 遠雷が聞こえ、鼻先に土の匂いがついたと思えば、頭上から緩やかに雨粒が落ちてくる。

 セオドアは周囲を見渡し、一度頷いてから再びエルシィと視線を合わせた。


「ひとまずここを切り抜けよう。先にも言ったように、聖女ルヴィナの魔法は聖女としては未熟だが、魔法使いとしては聖域だ。今の俺の装備では、彼女をこの城から的確に探し出せないし、魔術式に費やしている時間も、落ち着いて書き込める場所もない」

「屋根の上ですし、わたしを抱えてますからね」

「だから、奥さま。君の力を少し解放する」

「へ?」


 どういう意味だと問いかけようとした声は、彼の口内に消えていく。

 唇が触れ合って鼻先が擦り、空気が抜けて、ふす、と恥ずかしい音が互いの吐息から溢れていった。

 心臓が大きく高鳴って鼓動を打ち鳴らし、全身の血液が沸騰しながら細部に亘るまで駆け巡る。耳鳴りが鼓膜を揺らして、こめかみを脈うち、大きな円形の魔法陣が立体的に二人を閉じ込めて浮き上がった。


 エルシィは真っ赤な顔で目を丸くし、徐々に赤く点滅する視界の向こう側で、セオドアが笑う。

 それは極めて悪質で美しい男の、口角を釣り上げた意地悪な笑みだった。


「大丈夫だ、君の尊厳と生命は俺が守ろう。──なぁに、少し痛いことするだけだぜ、エルシィ」




 

 

 

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