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006 木馬亭①

「シマノフスキ、悪かったね。今から“木馬亭”に行ってお昼にするから、もう少し辛抱してよ。」

「うん。大丈夫。」


 ベルトの店から中央広場に向かい、そこから貧民街を抜ける。

 昼時という事もあり、屋台や食堂は多くの人で賑わい、貧民街の家々からは煮炊きをする匂いが饐えたような街の匂いに混じって漂っていた。

 物乞いや客引きの間を掻い潜って、薄暗い路地を迷う事なく進み、シバケンは“木馬亭”の前に立った。

 入り口の前には人集りができており、店の前の地面に座って食べている者もいた。

 いつも繁盛してはいるのだが、いささか異常な様子だった。


「うわっ、今日は一段と凄い人だな。この調子だと、食べられるのは少し時間がかかりそうだね。もしかしたら地面に座った方が早いかもしれないけど、シマノフスキどうする?店で食べたい?」

「待つ。」

「わかった。この後予定がある訳じゃないから、それじゃ、待ってお店の中でゆっくり食べようか。」


 シバケンはシマノフスキの手を引いて、店の前の人垣を分け入った。

 行列は10人は超えていた。


「順番に声をかけるから。そこに名前書いて待ってて。外で食べるんなら、声かけてよ。」


 カンナのキビキビした声が響いた。


「あっ、シバケンさんだったの!?ごめん、忙しくて気付かなかった。」

「いいんですよ。名前書いて待ってますね。」


 シバケンは受付表に名前を書いて外に出たが、シバケンの後からも、数組客が続けて来たようだった。

 待ちきれずに地面に座って食べるようカンナに声をかけた者も少なからずいたが、シバケンなチラリと厨房を覗いたが、中には親父さんが1人いるだけだった。

 よくこれだけの客を捌ききれるものだと感心をする一方、給仕を一手に引き受けるカンナもトラブルもなく店を切り回すのに、シバケンは感心しながら飽きずに眺めていた。

 と、


「シバケンさん、お待たせ。奥の席空いたから、座って。」


 カンナが汗を拭きながら、外で待つシバケンに声をかけた。

 シバケン達が通された席は店の一番奥の壁際にある、長椅子と小さな机、そして対面には椅子が1つという、狭いスペースだった。

 シバケンは荷物を置き、窮屈そうに腰をおろす。


「ごめんね、荷物も多いのに狭い席で。何にする、って言っても今日は特別に忙しくてね。あんまり材料も残ってないかも。」

「有り合わせの物でいいですよ。」

「折角来てくれたのに悪いわね。お酒はどうする?」

「えっと、濁り酒を。シマノフスキはハーブティーでいい?」


 シマノフスキが頷いたので、カンナは「濁り酒とハーブティーね」と言って、慌ただしく席を離れて行った。

 シバケンは、その後ろ姿を優しく見送った。

 店の外で食べていた客は肉体労働者と思しき者達がほとんどだったが、店の中の客層は衛兵や冒険者といった、比較的時間に余裕のある者が多いように思われた。

 ふと、商家の御隠居然とした小柄な白髪の老人が、少しの肴で濁り酒を楽しんでいる姿がシバケンの目に入った。

 よく見かける老人で、老人の方もシバケンの視線に気付いたのか、顔を上げて目が合うとお互い会釈を交わした。

 言葉を交わした事はないし、お互いの素性も一切知らない、酒場独特の顔見知りというやつだ。


「お待たせ。まず濁り酒とハーブティーね。シバケンさんは、このギャパンの骨髄煮で時間繋いでて。シマノフスキくんは、アタシの作ったミルクジャムよ。両方とも、パンに付けて食べてね。パンが足りなかったらすぐに持ってくるけど、料理の方はちょっと待ってね。順番に作ってるから。」

「急がなくていいですよ。今日はあとの用事もないですから。」

「そうなんだ、よかった。それじゃ、ゆっくりしてって。」


 カンナは笑顔を見せた。

 

「おい、注文だ。」

「はいよ、今行くね。」


 それも束の間、客に呼ばれてカンナは忙しなく立ち戻った。

 生き生きと働くカンナの姿を、シバケンは楽しげに眺めていた。


「食べていい?」

「あっ、ああ。シマノフスキ、ごめんよ。それじゃ食べようか。」


 シマノフスキはさっそく薄切りの硬パンにミルクジャムを付け、ジャムが滴り落ちるのを受けるようにして口に入れた。

 シマノフスキの顔が綻ぶ。

 続け様に残りのパンを口に入れると、ハーブティーを飲み込んだ。


「美味しい?」


 表情を見ると聞くまでもないのだが、シマノフスキは笑みを浮かべて大きく頷いた。

 シマノフスキは指についたミルクジャムを、嬉しそうに舐めとっていた。

 シバケンの方は、ギャパンの骨髄煮だ。

 しっかり煮込んで出汁を取ったギャパンの骨を、今度は砕いてローストにして焼き上げる。

 出汁ガラ、かと思うと、そうではないらしい。

 ローストした骨からトロリとした骨髄を取り出して、臭み取りに使った屑野菜や野菜の捨てる部分をペーストにした物と合わせて、塩だけで軽く煮込む。

 ドロリとした見た目の、濃厚な旨味だけが口に広がる料理だ。

 正直中年にはくどい味だが、少量なら酒のアテにはありがたい。

 硬パンに少し乗せた物をシマノフスキの皿に置き、自分用にも同じ物を作って一口齧る。

 空腹にガツンと来る獣の味が非常に美味い。

 二、三度咀嚼したのち飲み込むと、すかさず濁り酒を口にする。

 口の中に酒の芳醇な香りと共に骨髄の旨味が口の中に広がる。

 ふっと気付くと先程の老人がこちらを見て、笑顔を見せていたのに気付いた。

 照れ笑いを浮かべると、老人も恐縮したように再び優しい笑顔を見せて会釈を返した。

 よっぽど旨そうにしてたかな。

 年甲斐もなく恥ずかしいところを見られちゃったと、シバケンは苦笑を漏らしながら濁り酒を口にする。


「お待たせ。」


 カンナが、2人分の料理を持ってきた。

 手のひらぐらいの大きさの揚げ魚と、きしめんのような平打ちの麺の入った野菜スープだった。

 揚げ魚には甘酸っぱいタレがかかっており、噛みごたえのしっかりある、ホクホクとした硬い肉質の魚だった。

 皮もパリパリに揚がっており、酸っぱ過ぎないタレが揚げ油をうまく調和させていた。

 惜しむらくは、小骨が多いことか。

 だが、魚自体の味は美味かった。

 麺の方は、ギャパンの出汁のしっかりとした旨味の中に野菜から出た甘味が加わり、非常に美味しいスープだった。

 それを、コシのない幅広の麺がよく吸って、腹持ちが良さそうだった。

 シマノフスキは、魚に苦戦しているようだったが、それでも手を伸ばしているところを見ると、味は気に入ったようだった。

 昼時で客が立て込んでいるようなので、酒の追加注文は控えようと思っていたのだが、シマノフスキのハーブティーが無くなったので、シバケンはカンナに声を掛けた。


「濁り酒とハーブティーのおかわりね。すぐに持ってくるわ。」


 一通り客には料理を提供し終わり、後続の客も途絶えたようだった。

 ひとまずこれで山は越したかに思われた。


「お待たせ。」

「すごい混んでましたね。前にお昼に来た時はこんなに混んではなかったと思うけど、何かあったの?」

「そうなのよ。3日前から、この少し先の建物の解体が始まってね。その人足の人が来るようになったのよ。で、解体が終わったら、いよいよ新しく娼館が建つみたいよ。」


 確かに“木馬亭”から100mぐらい進むと歓楽街になる。

 シバケンには縁が無かったが、夜この店に来ると歓楽街独特の雰囲気をまとった客がちらほらと姿を見せていた。


「古い娼館だったからね。床が抜けるの雨漏りするのって、娼婦のコ達がいろいろ言ってたんだけど、旦那ってのが吝嗇でね。全然直そうとしなかったのよ。それがこないだの長雨と大風で、いよいよどうしようもなくなってね。」

「それで、建て替えですか。」

「そうなのよ。最初からマメに修理しておけばこんな事にならなかったのに、馬鹿よね。一気に解体と建て替えだから、完成まで4〜5ヶ月は掛かるんじゃないかな。その間の売り上げはパァよ。ふふふ、今までのツケが回ったのよ、いい気味だわ。」

「ダメですよ、カンナさん。人の不幸を笑ったりしちゃ。」


 シバケンが笑いながら嗜めると、カンナはペロリと舌を出す。


 「でも、その建て替え工事のおかげで、この店にはお客が来ていいんでしょうけど、毎日あの調子だと大変でしょうね。」

「そうなのよ。今はだいぶこっちも慣れて来たけど、最初なんてホント大変だったんだから。気の荒い人足が料理が出るのが遅いのなんの、って難癖付けてきて。そしたら、ただでさえイライラしてたおじさんが怒鳴り付けて、もう大騒ぎだったのよ。」


 人足の荒くれ者と店の主人の大立ち回りを、カンナは楽しそうに話す。

 シバケンも店の主人が冒険者やごろつきを叩き出している姿を何度か見ており、さもありなんと厨房の主人に視線を移す。

 相変わらず無愛想な顔で、料理の仕込みをしていた。


「でも、繁盛したって喜んでばかりはいられないのよ。」

「えっ、何故です?」

「だって、こんな調子だと、今まで来てくれてたお客さんにも迷惑かかっちゃうじゃない。時間に余裕のある人ばっかりじゃないからね、このお客の入りに怖気づいて寄り付かなっちゃう人もいるわよ。かといって、今来てる人達も工事が終わったら、それっきりだからね。今はいいけど、工事が終わったら人足の人達も今までの常連さんも両方来なくなりました、じゃ話にならないでしょ?嬉しい事ばっかりじゃないのよね。」

「なるほど、言われてみればその通りですね。かと言って、来るなとは言えないですもんね。」

「そうなのよ。まぁ、おじさんなら言いかねないけど。もう少ししたらアタシもお昼にするから、一緒に食べていい?」

「ええ。もちろん。」


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