004 出発前に
マドラーナから説明のあった依頼内容は、前日メルリーナから説明を受けていたので、シバケンにはすんなりと理解が出来た。
シバケンはアルゲリッチとヌブーに都度補足の説明をしたが、もちろんレントの事も“縊り猿”の事は口に出さなかった。
出発は明日。
まずはゴモ村から馬車で南に向かい、ラオールという集落を目指すという。
初日はその集落で泊まり、翌日からは徒歩に切り替え、タランテラ郷とラスタール郷を分かつカナオ山に入り、野宿の1泊を挟んで3日目までにアナカナという山中の集落に入る。
そして、4日目にカナオ山を抜けた麓にあるナーギ村に入り、そこで再び馬車に乗り換えてすぐに出発し、2日の野宿を経て、6日目の昼過ぎにワトカ到着を目指すという。
「まぁ、妥当な行程じゃないか?」
アルゲリッチがヌブーの顔を見ると、ヌブーが初めて口を開いた。
「うーん、どうだろう。何事もなきゃそうなんだろうけど、何か手違いでもあったら、その行程はズレるけど、それは問題ないのかい?」
「ああ、もちろんだよ。その点は安心してもらって大丈夫だ。早く着くに越した事はないが、まず優先するのは無事に我々と荷物を届けて貰う事だ。妥当だと認められるなら、キミ達の指示に従う事にやぶさかでないさ。」
「なら、ペナルティも無しって事でいいんだね?」
「その心配はごもっともですけど、その点についてはギルドとしても保証させて貰いますよ。さっき言った6日というのは、あくまでも目安ですから。安全を優先して、1日2日延長したとしても、ペナルティは科しませんからご安心を。」
「ふーん。あと、行程中の食事は各自なんだろうけど、宿泊を予定してる、ラオール、アナカナ、ナーギ村だっけ?そこでの宿泊は?」
「そこも安心してくれ、宿の手配と宿泊代だけはこちらで出すつもりだ。もちろん私らと部屋のグレードは違うがね。」
「わかった、アタシらの方はこれでいいよ。シバケンは他に何か聞いておく事は無いかい?」
「えっと、ひとつだけ。今、荷物はどこに?明日の朝早くに出るなら、今日のうちに馬車の荷台に積んだりは?」
「いや、その心配には及ばん。既にイルナに言って、荷台に積み込みは完了しておる。なぁ、イルナ。」
マドラーナはそう言うと、右隣の若い獣人の方に視線を移した。
イルナは「はい」とだけ言って神妙に頭を下げる。
「なら、私は大丈夫です。」
「それじゃ他に無いようなら、明朝正10刻(およそ6:00)に馬車乗り場で待っているぞ。」
マドラーナは席を立つと、慌ててイルナも席を立ち、皆に一礼するとマドラーナに先立って部屋の扉を開けた。
マドラーナは鷹揚に部屋を出て行き、イルナは再び部屋の全員に向けて頭を下げると、扉を閉めて小走りでマドラーナの元に向かった。
「ふう。エティ、ご苦労さま。それじゃ、無事に顔合わせが済んだ事だし、アタシもそろそろ帰るよ。」
「メルリーナさん、話があるんだ。ちょっと待ってくれないか。」
「ん?ジャリどうした?アンタが話だなんて珍しいね。それなら、ゆっくり話が出来るように、場所を替えようか。それじゃシバケン、明日からしっかり頼んだよ。」
そう言うとメルリーナとジャリは連れ立って部屋を出て行った。
エティも「やれやれ」といった表情で、机の上の書類を片付け始めていた。
「聞く事も聞いたし、顔合わせも済んだ事だから、アタシらも行こうかね。」
「ああ。」
「シバケンは今からどうする?アタシらは今からメシだけど、一緒にどうだい?」
シバケンは暫く逡巡したが、今からマーゴの店に顔を出した後、暫くゴモ村を離れる事を“木馬亭”のカンナに伝えたかったので、ふたりの誘いは丁重に断った。
「そうかい、残念だな。」と、言葉とは裏腹に大して気にした様子も無く、アルゲリッチ達はギルドを出ていった。
「さてと、暫くゴモ村を離れる事をマーゴさんに伝えに行こうか。」
頷くシマノフスキを連れて、マーゴの店に向かった。
通い慣れた道を歩きながら、シバケンは今回の依頼のために買い足さないといけない物が無かったかと考えていた。
タランテラ郷を出るのが初めてという事で、シバケンは柄にもなく少し緊張していた。
ゴモ村で荷物持ちの仕事をメインに、まがりなりにも冒険者として暮らしを立てていたため、知り合いも増え、この世界にも慣れたと思ったのだが。
かえすがえすも、顔見知りのアルゲリッチとヌブーの2人と同行出来るのが幸いだった。
もちろん、ふたりに甘えるつもりはなかったから、装備も万全の物を用意して依頼に臨みたかった。
「食糧は買い足さないといけないな。傷薬や毒消しなんかはあったけど、何があるか分からないから、こないだ高くて買わなかった呪符を施した包帯を買っていこうかな。あと、自前の荷車は用意しなくていいって話だったけど、帰り道の事を考えたら、やっぱりいるよなぁ。」
「薬欲しい。」
「んっ?」
どうやら独り言が漏れていたらしい。
それを聞き咎めて、シマノフスキが話し掛けてきた。
「薬って、何の薬だい?傷薬とかなら充分あると思うけど?」
「違う。赤いやつ。」
「赤い?あぁ、あれの事か。」
それを聞いてシバケンも思い当たった。
これもマーゴから聞いた話だが、動物の血液の中に魔石を浸けると、血液が透明な溶剤になるという。
それはスクロールを描くのに必要な塗料の溶剤になるのだが、血の赤い成分を吸った魔石はというと、今度は擦り潰して果実酒を醸造する過程において、果実に混ぜるのだという。
そうして出来た酒は「養命酒」という、どこかで聞いた名前だが、魔力回復には役立つものだという。
シバケンは魔法を使う事なと無いので気にもしなかったが、一度マーゴのところで飲ませてもらって以来、シマノフスキはすっかりお気に入りになったようだった。
ただ、マーゴの店のものは高いため、一度違う店で買ってみたのだが、それはシマノフスキのお気に召さなかったようだった。
傷は自然に治るし、魔力についても依り童は暴発する、云々と脅されていたぐらいなので、シマノフスキに魔力回復など不要と思い込んでいたが、そういうものでもないらしい。
確かに、その薬を飲んだ次の日はいつもより元気そうに見えた。
「そうだね。長い旅になるし、買っておこうか。」
シバケンの言葉に嬉しそうに見返すシマノフスキ。
2人は連れ立って歩き、やがてマーゴの店に着いた。