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5.契約婚の『初夜』

 王都に構えられたバルトル様のお屋敷はご立派だった。なんでも、没落してしまった子爵家の邸宅を買い取られ改修されたのだとか。


 使用人たちもみな明るい顔をしている。実家では、不貞の子のわたしは使用人たちからも良く思われていなかったから、目があった時に睨まれたりわざとらしくそっぽを向かれたりしないのが新鮮だ。とはいっても、ほとんどずっと離れで過ごしていると彼らに会う機会は少なかったけれど。


 案内された食堂でバルトル様と一緒にいただいたご飯も温かくておいしかった。こんな風に柔らかくて温かい料理をいただいたのは久しぶりだ。


 バルトル様は「僕はテーブルマナーには疎いから」と仰りながらも、美しい所作で食事を召し上がっていらした。

 ずっと部屋で一人ボソボソとご飯を食べていたわたしよりも、きっとバルトル様の方が人前で食事をする機会は多かったことだろう。わたしは……お母さまから厳しく指導はされていたから、作法自体は身についてはいるけれど……。誰かと話をしながら食事を楽しむ、というのは経験がない。


 そういう意味では、バルトル様の方がよっぽどわたしよりも優れているだろう。バルトル様がお話をしながら器用にカトラリーを操るのをわたしはじっと眺めていた。


 食事を終え、お風呂をいただいたらその後は夫婦の寝室で過ごすこととなった。


 侍女が用意してくれたのは着心地の良い綿のワンピースタイプの寝巻きだった。旦那を誘惑するために着るようなナイトドレスではなかったことに少しホッとする。……でも、夫婦として過ごす初夜に何を着るかなど些事であると思うけど……きっと、どうせ脱いでしまうのだから。


 ぎゅ、とワンピースの裾を握り締めながらバルトル様が寝室を訪れるのを待つ。


 そう長くはない時間。だけれど、時計が刻む秒針の音がやけに重々しく響いて聞こえていた。


 やがて、ギィと音を立てて寝室の扉が開けられる。

 ハッと振り向くと、バルトル様がいらっしゃった。湯上がりで髪の毛がまだ少し濡れている。


 ブロンドヘアーが目に入って反射的にわたしは目を逸らしてしまったけれど、バルトル様はそれを気にした様子はなく、寝室の大きなベッドのそばで立ち尽くすわたしに近づいてきた。


「……電報が届いたよ。僕たちの婚姻誓約書が無事に受理されたそうだ。実感が湧かないだろうが、これで僕たちは正真正銘、天地が認める夫婦となった」

「そうなのですね……」


 貴族院の仕事の速さに舌を巻く。

 バルトル様がすぐ横をスッとお通りになり、ベッドに腰掛けた。


 ただそれだけのことなのに、思わず身体がこわばる。


「その、バルトル様」


 不安になって口をついて出てしまった声は我ながら情けないものだった。


「あ。大丈夫だよ、僕たちの初夜はまだ先にしよう」


「え?」


 投げかけられた言葉に思わずバルトル様のお顔を真正面から見てしまった。ベッドに腰掛けるバルトル様はニコニコと笑顔を浮かべられている。


「書類上の夫婦にはなっても、ホラ、式を挙げていないだろう? それからでいいと思うんだよね」

「え」

「うん?」


 バルトル様はこてんと首を傾げてしまう。


「ええと、式……挙げるのですか?」

「うん、そのつもりだけど。ホラ、だから万が一……子供ができたら、お腹が大きくなって好きなドレスが着れなくなるかもしれないじゃない?」

「……そ、そういう理由なのですか?」

「大事なことだろう? 君は細身のドレスの方が似合いそうだし……」


 バルトル様は……一代限りの男爵位から、魔力を持った子を成すことでさらに成り上がっていくことを望まれていて、そのために私を娶ったのでは……?


 式など挙げなくてもその目的は達することができるというのに。


 きょとんとしている私の頬に、冷たい手のひらがかすって思わずビクッとする。反射的に見上げると、細められた蒼い瞳と目が合った。

 長い指がサラリと私の真っ黒の髪に触れられた。


「……髪も、伸ばしているんだろう?」

「あ……」

「きっときれいだよ。君のこの黒髪が風にたなびいて、光の下で煌めいて……純白のドレスを着た姿」


 金の濃いまつ毛に縁取られた蒼い瞳が細められる。その目に映っているのがわたしというのがどうにも信じがたかった。


「だから、式をするまで僕は君にそういうことをする気はないよ」

「そ、そうですか……」

「すまないね。早く君を連れ出してしまいたくて、式をする支度を整える前に連れ出してしまった」

「そうなのですか……?」


 早く嫁が欲しかった。それならば、いち早く子を望んでいるのではないか。わたしの髪が伸びるまでにはとっても時間がかかるはず。来年以降の話になるかもしれないのに。


(……いいのかしら?)


 頭の中は疑問でいっぱいだけど、彼の微笑みを見ているとなんとなくそれを問いただす気は失せてしまって、わたしは黙り込む。


「今日は疲れたね。よくおやすみ。夫婦の寝室はここだけれど、その日が来るまで互いの部屋で夜は過ごそう。あっちの青いプレートのかかった部屋が僕の部屋だ。ひとり寝が寂しいのなら慰めるくらいの甲斐性は持っているつもりだがね」


 ドアノブに手をかけ、振り向きざまに彼は片目を閉じて笑んだ。


 ……ええと、これは、ウインクというやつだわ。実際にする人は初めて見た。つい呆気に取られてしまう。

 とてもお上手、鮮やかで爽やかだった。


 バルトル様は容姿や立ち振る舞いもご立派だけれど、貴族だったらしないだろう愛嬌のある仕草を自然と行える彼はやはり平民の出自なのだろう。……悪い意味ではなくて、きっと温かな家庭と友人たちに囲まれて育ってきたのだろうと思った。


「……数々のご配慮、ありがとうございます。お言葉に甘えて、今日は自室にておやすみさせていただきます。旦那様、おやすみなさいませ」

「…………」


 今度はバルトル様がポカンとしていた。


「あ、あの、変でしたか?」


 ……わたしもウインクをしてみたのだけれど。


 意外とこれが難しくて、顔が引き攣っていたのが我ながらよくわかる。きっとこれは彼が持つ文化での友好の仕草だと思ったから、それに倣いたかったのだけど。


 失敗してくしゃくしゃになった顔を晒していたんだろう。結婚して初めての夜、おやすみのときに妻がお見せすべき顔ではなかった。


「お、おやすみなさい」


 恥ずかしくて慌てて自室に繋がる扉をバッと大きく開いて逃げ込む。バタンと扉を閉めると、そのままその場にうずくまった。


(は、恥ずかしすぎる。もう妙な真似はしないようにしよう)


 頬に手を添えると、ひどく熱かった。

 はあと大きくため息をついていると、隣の部屋から何かを派手に落としたような大きな物音が数度聞こえてきた。


「……バルトル様、転んだりされたのかしら……?」


 壁の向こうにいるバルトル様を思いながらハラハラと壁を見つめるけれど、その後は不自然なほど静かになってしまった。

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