7.
さて、バルトルは髪を濃い茶色に染めた。さらに分厚い伊達メガネをかけ、キャップ帽を目深に被る。普段は着ないようなツナギの作業着を着て、アーバン家を訪れた。
「最近、水道料金が高いなと思いませんか? もしかしたら配管が劣化しているせいかもしれません。今ならサービス料金、10ジルで点検、修理させていただきます」
我ながらなんて胡散臭い業者だ――と思いながらも、心の広いアーバン家はバルトルが変装した魔道具士を家に迎え入れてくれた。金遣いが荒いという噂だが、それだけにこういう『格安』『サービス』という言葉に弱いのだろう。
バルトルもちゃんと国から資格を得た魔道具士になる前はこうした詐欺まがいの営業で金を稼いでいたことがあったからわりとこうしたことには慣れていた。――いや、詐欺まがいではなく無認可で活動していたのだから、直すものは直していたとしてもまさしく詐欺だったのだが。
「本邸の作業は終わりました。あまりこちらは劣化は見られませんね、ですが……さきほど庭の向こうに小さな離れがあるのが見えましたが、そちらは……」
「ああ、そこは……。作業せんでも構わん。ご苦労だったな」
「失礼ですが、あちらの離れ、最後に作業されたのはいつでしょう?」
「……」
バルトルの対応をしてくれていた少し厳つい使用人の男は押し黙る。
バルトルにここで待っていろ、と指示をして男はどこかへ出て行き、そしてしばらくして戻ってきた。
「……旦那様から許可を得た。ただし、あの離れには病気で伏せっている御息女がいらっしゃる。不用意な行動はするな、必要な作業のみこなしてくれ」
「はい、かしこまりました」
やあ、アーバン伯爵が金にがめついお方で本当に助かったなあ! とバルトルは笑みを浮かべた。
アーバン伯爵家は彼の代になり金銭的には困窮したそうだが、庭も邸も広く建物の造りは立派だ。魔道具が造られた時代、『電気』の魔力が持て囃されるようになってから盛り立てられるようになった家なんだろう。
彼女が住むという離れの前まで来ると、バルトルは少し胸が弾んだ。窓からはレースカーテンごしに恐らく彼女だろう人影が見えた。すでにバルトルはなんの確証もないのに、「この子があの魔力の糸を作っているんだ」と思ってしまっていた。
ジェイソンあたりには「お前やっぱやべーやつだな」と言われそうだ。ジェイソンの苦い顔を思い出して、心を鎮める。
「……この廊下の突き当たりにバスルームがある」
使用人の男は離れの玄関を潜ると、他によそ見をするな、と牽制でもするかのように廊下の奥をスッと指差した。
「はい! わかりました!」
バルトルは威勢よく返事をして、ズンズンと前を歩く彼の後ろについていった。
小さな離れは部屋数もそう多くない。
(えっと、外から見たときに窓から見えていたのは……このへんかな)
そして、バルトルは一応ノックをしてから彼女がいるだろう部屋の扉を開けた。
「……!」
彼女は突然開いた扉に驚いたようで、びくりと肩を震わせ、目を見開いてこちらを振り返る。バルトルは素早く、注意深く彼女の周囲を眺めた。彼女の手元にはキラキラと輝く糸があった。
間違いなく、バルトルが見惚れたあの魔力の糸だ。やはり、『不貞の子』と呼ばれていた彼女があの糸を紡いでいたのだと確信する。
「……あ、あの……」
「……ああ、すみません。水回りの点検に来た魔道具士のものなんですけれど。どうもお部屋を間違えてしまったようですね」
「あ、いえ。お話はお伺いしております。……ありがとうございます」
彼女は驚いているようだったが、バルトルの無礼に怒ることなくニコと小さく微笑み、頭まで下げた。
「おい! 最近の魔道具士ってやつは勝手に人の家の部屋を開けるのか!?」
「ああ、すみません。ボク、初めて訪問で仕事をするもんで……」
アーバン家の使用人の男が怒鳴りながら、バルトルの首根っこを引っ掴み、彼女の部屋から引き剥がすと、乱暴にバルトルの背中を押し、バスルームに案内した。
「あの、すみません。その、旦那様には黙っていただけますと……」
「…………ふん、いいか。二度目はないぞ」
バルトルを離れにいるご令嬢と遭遇させてしまったと知られて困るのはこの使用人の男も同じらしい。彼はバルトルの監視役も担っているはずだから。
バルトルはペコペコと頭を下げながら、「ありがとうございます」と繰り返してみせた。
そして、作業に取り組みながらさきほど見た彼女に思いを巡らせる。
目が大きい子だな、というのが彼女への第一印象だった。
髪全体を覆うような帽子をかぶっていたから、余計に目が印象的に見えるんだろうか。あの帽子で不貞の子の証という黒髪を隠して過ごしているのか。
(……あの帽子を取ったらどんなふうかな)
きっとかわいらしい少女なんだろうと思う。大きな瞳も、綺麗な鼻筋も、小さな唇も、ずっとこの離れにいるからだろう、青白いと形容できるほどの白い肌も相まって、どこか人形めいた雰囲気があった。
(……僕と一緒だ。髪の色を隠して)
少女とは反対に、バルトルの場合は『電気の魔力』を持っていることを知られないように、平民として生きていくために隠していたわけだが、なんだか不思議な親近感が湧いた。粗末なボロ布でとにかくグルグル巻きにして髪を覆えていればよかった自分とは違って、彼女が被っているのはいわゆるモブキャップでレースやリボンの装飾がついたかわいらしいもので家族からよくない扱いを受けていてもご令嬢という雰囲気ではあったが。
声を聞いたのはたったの一言、二言だけだったが、少女らしいよく澄んだ声だった。
(部屋の中に繰糸機はなかったな。別の部屋に置いてあるのかな)
いきなり部屋を開けて、悪いことをしてしまった。バルトルがもう少しうまい立ち回りをできるのならばこうも強行策は取らないでよかったのだが。
「……あの、さきほど失礼をしてしまったご令嬢にあらためて謝罪をしたいのですが……」
「御息女は病弱でいらっしゃる。無用の訪問はよろしくない。貴様が非を詫びたい気持ちがあるのならば後ほど私からお伝えしておこう」
「そうですか……」
がっかりだ。ちゃんと謝りたいと言う気持ちはもちろん本心だが、それと、「もう一度彼女に会いたい」という気持ちもあった。
どうかよろしくお伝えください、と言い、バルトルはアーバン家の水回りのメンテナンス作業を終えた。