5.
新しい邸での生活もバルトルはだいぶ慣れてきた。庭には工房を建てた。特に要請がない限りはバルトルは一日中ここに戻って何かしら作業をしている。
広い庭の一角にこんな工房を建ててしまったのが以前の持ち主に少し申し訳ない気がしたので、バルトルは美しい庭園の景観を元のまま維持できるよう庭師に頼んでいた。バルトルが初めてこの屋敷の門をくぐった時、多少荒れてはいたが、それでも美しさの名残があったこの庭はきっと元の持ち主が大切にしていたのだろうことが察せられた。
自己満足といえばそうだが、バルトルにとっても毎日目に入る景色が美しいほうが嬉しいことには間違いなかった。
「お庭きれいにしてから、なんだか毎日ぐっすり眠れるようになりましたよぉ」
おっとりとした口調で話すのはバルトルが雇ったメイドのセシリーだ。
「夜中になると誰かの視線感じたりとかそういうのもなくなって……」
「えっ、なにそれ」
「私が思うに、アレって、いわゆる、心霊現象……みたいな」
「……」
この家を買う時に不動産の男が妙に歯切れが悪かったのはそういうことか、とバルトルは察した。
没落した子爵家が手放した邸宅というふうに聞いてはいたが。
「僕は全然気が付かなかったし、気にもしてなかったけど、みんな気づいてたの?」
「んー、大なり小なりって感じですけど……やっぱり、お庭もきれいになって、お屋敷も毎日お掃除してきれいになったのを見て、未練無くなったんですかねえ」
「……なんか、申し訳なかったね。そんな家に招いて働かせて」
「アハハ! 私はそういうの慣れっこですし! 大ベテランのみなさんも「よくあること」って感じでしたよぉ」
栗色のおさげを揺らしながらセシリーは明るく笑う。十四歳で両親を亡くした彼女はその時からずっと住み込みのメイドとしてマダム・ルリーナの屋敷で働いていたそうだ。マダムが彼女を引き取るまでになかなか苦労があったらしい。
バルトルは実際のところ、心霊現象の類を信じてはいない人間である。だが、バルトルが男爵位を得て貴族となったことに苦い顔をする人間はまだまだ多いが、かつてここに住んでいた人物からはこの邸の持ち主としては認められたようだと、そう思うことにしておいた。
「玄関に花とかも飾ろうか」
「そうですねえ」
セシリーはそういうセンスがいい。彼女に任せておけば、きっとますますこの屋敷も華やかになることだろう。
談笑をしているところに白髪混じりの使用人が「旦那様」と声をかけてきた。
「旦那様。王家に依頼していた『魔力の糸』が届きました」
「ああ、ありがとう。このまま工房に運んでおいてくれるかな」
セシリーに「じゃあね」と声をかけると、バルトルは足早に工房へと向かうのだった。
◆
バルトルの工房の作業台に黒箱が置かれていた。納品書をチラリとだけ見て、バルトルはワクワクとした気持ちで箱を開けた。
黒い箱には上品な輝きを放つ『魔力の糸』が収められていた。
『電気』の魔力を持っているバルトルは本来このように電気の魔力の糸をわざわざ買わなくてもいいのだが、この魔力の糸だけは特別だった。
「……きれいだな」
糸の束を撫で、バルトルの目は自然と細まった。見た目だけでなく手触りも滑らかで心地よい。不思議な色彩をしていて、銀色のような透明のような、光の当たり方によっては虹色にも見えるそれはとにかく「きれいだ」と思わせた。
アーバン家の、魔力の糸である。
アーバン家の魔力の糸は魔道具士の界隈では評判だった。質もいいし、毎月大量の納品をしているようで、人気はあっても国の在庫が尽きてしまうことはそうそうなかった。
他の糸やバルトル自身が作った糸では動かなかった魔道具の試作品がこの糸ならば動くことがある。最終的にはどんな魔力の糸でも動くようにしなければならないのだが、しかし、試作段階においてはありがたかった。魔力回路の構造に欠陥があるのか、別の部位の構造に無理があるのか。このままではどうして普通の糸では動かないのか考察がしやすくなる。
(なんでこの糸は他の魔力の糸と違うんだろう?)
バルトルにはそれが不思議でならなかった。魔力の糸には属性の違いの他に、品質に良い、悪いはある。それは魔力の持ち主の魔力量や魔力の強さに依存するのだけれど。
(……アーバン家、か)
バルトルは貴族の界隈には興味がなくて、仕事で関わりのある複数の家のことくらいしか知らなかった。が、アーバン家のことがふと気になった。
これだけ見事な魔力の糸を納品する家というのはどんな一族なのだろう。貴族には『魔力継承の儀』というものもあるそうだし、代々引き継がれてきた膨大な魔力を有した伝統ある格式高い家なのか、それとも『電気』の魔力があることから台頭してきて今に至るわりと新しめの家なのか。
この魔力の糸を紡ぐ本人の魔力の量や強さも相当なのだろうが、それにしても、この品質の安定性や糸そのものの美しさも別格だった。どんな繰糸機を使っているのだろうか。バルトルは思いを巡らす。
バルトルが作った繰糸機ではこうもいかない。ここまでの均衡性を持ち、しかも大量に生産できるなどどういう性能をしているんだろうか。紡がれる糸の均一性といえば、575年製のダズル式だが、あれは魔力の糸に換える効率性に欠けていた。繰糸機自体を動かすのに魔力が使われてしまい、大量生産には向いていない。大量に糸を紡げるのはコルト式だが、動きはじめと動き終わりの時にどうしても品質にムラが出がちだ。
ダズル式を使ってなおこの量を生産できるほど膨大な魔力の持ち主なんだろうか。
消耗品である魔力の糸を見て、こんなふうに「これを紡いだ人物はどんな人だろう、どうやってこれを紡いでいるだろう」と、そんなふうに考えてしまうなんてことは初めてだった。
アーバン家の糸は、信じられないほど高品質のその糸と、あと凡庸な糸が混じっていた。アーバン家のうちの誰か一人がとてつもない魔力を持つ人間なのだろう。凡庸な糸は基本的には一種類だけだったが、たまに二種類異なる糸が混ざっていることがあった。おそらく、アーバン家には『電気』の魔力の糸を紡げる人間が最低でも三人いるのだろう。一目見るからに高品質のものとは仕上がりが違うので、凡庸なものは簡単にはじけることにははじけるのだが、魔力の糸は家単位で納めることになっている決まりになっていて、これがバルトルには不思議な習慣だった。
家ごとではなくて、個人単位で糸を納めるようにすればよいのにと思う。
同じ家の人間でも、これだけ品質に違いが出るのだから。
◆
「……アーバン家、ね」
マダム・ルリーナは一瞬だけ顔を曇らせた。貴族のことならば、自分の交友範囲の中で一番貴族に詳しいのは彼女だ。
バルトルはお茶菓子を片手に彼女の元を訪れていた。
「あまり魔力量に恵まれた家系ではなかったわ。でも、属性は違うけど、魔力の量が豊かな家系と婚姻して、そして産まれてきた子が幸運なことに、父親の『電気』の魔力の属性と、母親の豊かな魔力量を引き継いだみたいね」
「そうなんですか。……ということは、アーバン家は二人子どもがいるのですね」
「……あら」
ルリーナは美しいオリーブ色の瞳を見開いた。
「どうしてわたくしの話だけで、子どもが二人と?」
「僕、アーバン家の魔力の糸を取り寄せたことが何度かあるんですが、その時に納められていた魔力の糸は三種類あったんです。一つはきっとマダムのお話にあった幸運な子のとても品質に優れた糸、他の二種類は凡庸なものでした。母親は違う魔力の属性なんでしょう? だったら、父親、幸運な子ともう一人、『電気』の魔力を持った子どもがいるのかと」
「あなた、魔力の糸を見ただけでそんなこともわかるの?」
「まあ、一応、専門家なので」
バルトルの言に驚きつつも、ルリーナは小首を傾げ「でも」と続ける。
「……その……凡庸なものが二種類、というのは、どうかしら」
「? お子さんが二人いる、というのは合っているんでしょう?」
「……ごめんなさい、つい驚いて……。あまりよくないことを言ってしまったわね」
「どういうことですか、マダム?」
なぜルリーナはこうも芳しくない反応を示すのだろうか。つい前のめりに聞いてしまうバルトルに、ルリーナは目を眇め、そしてかぶりを振った。
「――もう一人の子は、病弱で、魔力も持たないそうよ」
「……そうなんですか」
「わたくしから、あのアーバン家について言えるのはこれくらいね。ごめんなさい。わたくしも、あまりよくは知らないの」
知らないことをベラベラとは話したくないの、とルリーナは美しい目をそっと伏せた。
「いえ、助かりました。……アーバン家には二人のお子さんがいるんですね」
ルリーナの様子から察するにもう一人の子は何やらワケありなのだろう。
(病弱で、魔力も持たない……)
きっとここで「そうなんですね」で終わらせてしまうべきだったのだろう。あまり、深追いすべきではない事情があることはルリーナの反応を見ていればよくわかった。少なくとも、ルリーナはあまり不用意な噂話をすることを好まない人物だ。だが、バルトルにはなぜか胸にふつふつと沸き立つものがあった。
(でも、絶対にアーバン家の糸は三種類あった)
病弱で魔力も持たないもう一人の子どものことがどうしても気になる。しかも、なぜかあの美しい魔力の糸を作った人物に無意識に重ねてしまっていた。ルリーナの話によると、もう一人の恵まれた幸運な子があの糸を作っていると思うべきなのに。
バルトルはけして夢想家ではない。だが、これは魔道具士としての勘に近かった。






◆アース・スタールナさま特設ページ
