3.
「バルトルくん。私が紹介した彼らはどう?」
「ああ。とても良く働いてくれています。僕が平民上がりだということも気にしないで、いつも明るく働いてくれていて」
「そう。それはよかった」
シルバーに近い白みがかったブロンドヘアーをふっくらと豊かに巻いた初老のマダム・ルリーナは真っ赤な紅を差した唇で白磁器のカップに口つけた。
邸を買ってほどなくして、バルトルは使用人の男と女を二人ずつ雇った。
バルトルが懇意にしているこのマダムの紹介である。男二人と女の一人はそれなりに年嵩のいった人物だったが、もう一人の女は年若い少女だった。
少女は身寄りがなく、住み込みの仕事を探していたそうだ。若いながら、とても懸命に働いてくれている。
「エイブリルがとても驚いていたわ。バルトルくんはとても覚えがいいって」
エイブリル、というのは彼女もまたマダムの紹介によりバルトルが依頼したマナー講師の名前である。
貴族としての立ち居振る舞い方、テーブルマナー、服装、夜会での過ごし方、マナーブックには載っていないような口伝的な貴族のしきたりなど――彼女は一ヶ月ほどの間、バルトルの邸に過ごし、あらゆる知識を叩き込んでくれた。
「元々バルトルくんはとても人に気を使う人ですものね。貴族のマナーなんて言うけれど、貴族なんて関係なしに、マナーというのは共に過ごす人と気持ちの良い時間を過ごすためにあるものだから。バルトルくんにはそれがすでに身についているのだから、あっという間にマスターするのも当然ね」
「マダム、褒めすぎですよ」
ルリーナは、バルトルが爵位を賜る前からバルトルを腕利きの魔道具士として信頼してくれていた人物だった。バルトルもまた、年の離れた貴婦人の彼女に信頼感を抱いていた。
ルリーナは若い時に夫を亡くし、以来女侯爵として生きてきた女性だ。すでに家督は息子に譲っているが、彼女の立ち振る舞いは常に堂々としていて、誇り高さが伺える。
優雅にティータイムを楽しむ姿からは想像もつかないが、若い時は相当苛烈な人物として恐れられてもいたらしい。
そんな彼女がどんなきっかけで自分を気に入ってくれたのか、バルトルはよくわからなかったが、有体に言えば「面白かった」のかもしれない。
「……きっとバルトルくんはこれから大変よ」
「大変? 何がですか?」
心当たりはあるが、ありすぎてわからない。なにしろすでに一度家を焼かれている。
「電気の魔力は貴族の中でも特にありがたがられるわ。きっとこれから、バルトルくん、いろんな家から婿入りの打診を受けるわよ」
「婿? ……僕が?」
「ええ。それに、あなた、シンプルに顔もいいしね」
「それはないでしょう。僕は多くの貴族にとったら厄介者ですよ」
バルトルはルリーナの言葉に苦笑を浮かべた。
「そうね。嫁に行かせてやってもいい、って貴族はいないでしょうけどね。でも婿としてはあなたはきっと魅力的だと思うわ」
「知らない家から手紙が届いたら中身を見ずに全部燃やします」
「あらあら」
要は、『都合がいい男』として扱われるということだろう。電気の魔力で紡がれた糸は国に高額で買い取られる。
それにくわえ、一部の貴族にとっては目の上のたんこぶであろう厄介な開発をしているバルトルだが、その開発の特許で得た莫大な金も魅力的だろう。
貴族との婚姻、しかも婿入りだなんて絶対にごめんだとバルトルは思う。
「いい人がいるなら早く結婚してしまった方がいいわよ」
「いませんね」
「あなた、顔はいいのにねえ」
ルリーナは頬に手を添え、不思議そうに小首を傾げた。
別に女性を避けて過ごしてきたわけではないが、バルトルが歩んできた人生に『愛すべき女性』が登場することはなかった。誰かを好きだと思う間もなく、ひたすら魔道具士としての研鑽に励んでいたせいか。
マダム・ルリーナの言うとおり、早々に身を固めてしまえば貴族たちに『金ヅル』として見られずにすむだろうが。
◆
男爵位を得たバルトルの貴族としての初仕事は王国主催の夜会に出席することだった。
パートナーを伴わずにバルトルが入場すると、人目を引くとともに会場のあちらこちらでざわめき声があがる。
(……マダムの言うとおりだな)
会場入りして間も無く、バルトルは若い女に声をかけられた。適当にあしらっているともう一人。
バルトル自身にはたいして興味はなさそうだ。しきりに身なりばかりを褒められ、バルトルも「素敵なドレスですね」とご令嬢の着ている服だけを褒め返した。
しばらくすると、見知らぬ中年紳士が寄ってきて「……実は私は君のことを買っているんだが……」と、慣れない貴族社会に突然放り込まれたうえにあまり良い評判を聞かないバルトルを憐れんでみせてから「実は私には娘がいてね」と持ちかけてくる。
バルトルはげんなりしていたが、エイブリルのマナーレッスンで学んだ通り、薄っぺらい笑顔を貼り付けてそれをいなし続ける。
それが何回か続いた。
好意的なフリをして近づいてこられるのも面倒だが、バルトルの一挙一動を舐めるように見てくる視線も気分が悪い。少しでもバルトルが場にそぐわない挙動をしたら「しょせんは平民あがり。貴族にふさわしくない」と陰口を叩く気だろう。
(僕だって別になりたくてなったわけじゃないよ)
しかし、どうか爵位を受け取ってくれと国王陛下から懇願され、爵位を得ることでさらに魔道具開発を進めやすくなるということであるならば。バルトルが男爵位を得た理由はそれだけだ。貴族になんて生まれてこのかたなりたいと思ったことはない。
「……ねえっ、レックス様はどこかしら?」
「知らないわよ、ああん、いらっしゃってたらすぐわかるはずなのに……」
「しょうがないわね、じゃああっちのほうに行こうかしら」
(……あっちのほう、だって)
目の前のやり取りに集中していないバルトルの耳には、ひそめられてはいるものの興奮気味の少女たちの高い声がしかと届いていた。
やがて、相手をしていたどこぞの子爵家の親子がいなくなると、あっちのほうらしいバルトルの元に赤いチークを頬にまとわせた少女がスッと近づいてきた。
それとほぼ同じくして、会場にいる楽団が優美な音楽を奏で始める。ダンスタイムの合図だ。
「……バルトル様。よろしければわたくしと一曲……」
「ああ、すみません。レディ。お恥ずかしながら、このような華やかな場に慣れていなくて……。少し酔ってしまったようです。申し訳ありませんが、私は少し休んで参ります」
額を抑え、バルトルは少しフラついてみせた。ご令嬢に恭しく礼をして、バルトルはバルコニーへと向かった。会場では「平民が耐えきれずに逃げ出したぞ」とか楽しげに言われているかもしれないが、それくらいは言わせておけばいい。
(いやあ、でも、本当に疲れたな)
ふらついて見せたのは演技だが、下心をいなし続けるのはなかなか堪えた。
夜のバルコニーは心地よい風が吹いていて気持ちがよかった。
夜空を見上げながらぐっと伸びをして、バルトルはふと気づく。
先客がいる。
(……アイツは)
レックス・クラフト。バルトルと同じ魔道具士であり、そして貴族の男だ。バルトルと違うのは彼が生粋の貴族であること。バルコニーの手すりに肘をついている彼の後ろ姿は薄水色の長髪を深紅色のリボンで束ねているのが暗闇の中でも目立った。






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