2.
バルトルは自分は恵まれた人間だと思っている。
みなしごのバルトルが大きくなるまで生きてこられたのはなんといっても、人の優しさのおかげだった。
物心ついた時にはもうバルトルは一人だった。不思議と自分の名前はその時から『バルトル』だと認識していたから、もしかしたら母はそれなりに大きくなるまでそばにいて、名前を呼んでいてくれていたのかもしれない。それが産みの母なのか、育ての母なのかはわからないが。バルトルは母のことが記憶には残っていなかった。
その時のバルトルに残っていたものは『バルトル』という名前と、自分の金色の髪をボロ布で巻いて隠す習慣の二つだけだった。
◆
普段は雨風がしのげる場所に潜み、市場に行って残飯を漁ったり、店主の隙を見て野菜や果物を盗んだ。
「――コラッ!!! ドロボウっ!」
「……っ」
張り出された大声にバルトルは弾けたように駆け出す。足の速さには自信があった。バルトルは追われてもいつも逃げ切れていた。
「……?」
しかしある日。ふと気づく。
屋台の立ち並ぶ市場の通りから、路地裏に入り込もうと道を曲がる。いつもなら後ろを振り向くことなくそのまま走っていくのだが、たまたまこの日は運悪く猫のしっぽを踏んで転んだ。
やばい、捕まる。そう思ったのだが、店主の親父の太い腕が自分に伸びてくることはなかった。そっと路地の角から逃げてきた方角を窺う。だが、そこにその店主の姿は見当たらなかった。
次、同じ屋台から物を盗むときにバルトルはわざと遅く走ってみた。追いつかれなかった。
おかしい。
また別の日、バルトルは物陰に隠れて屋台の様子を伺っていた。そして、店主の男と目が合ったが、店主は何も見なかった、とばかりにすぐにクルリと背を向けたのだった。
(……もしかして、わざと、見逃されている?)
バルトルはそう思った。
そうだと思ってからはバルトルはその屋台を避けるようになった。
それから、二週間ほど経っただろうか。毎日、いつものことだが、バルトルは腹が減っていた。
「……おい! このどろぼう小僧っ。見つけたぞっ」
「……!」
あの屋台の店主だ。バルトルは身構えた。
逃げる。だが、バルトルはあっという間に首根っこを捕まえられた。
そして、バルトルは男に抱え上げられ、どこかへ連れていかれる。
住宅街。漆喰の壁の小さな家だった。
なぜかバルトルは暖かい空間の中にいた。木の板でできた大きな机の上には湯気を立てる何かが器によそわれていた。目の前に置かれているスプーンをバルトルは一瞥する。
その向かい側には、店主の男が腕を組んでどっかりと座り、バルトルを見つめていた。
「……お前さん、親がいないんだろう」
「……」
「養う、なんて立派なことはしてやれねえ。オレにゃ子どもが三人もいて、正直店も毎月赤字だ。だがよ、雨風しのげる寝るところと、売れ残りの食べ物くらいは食わせてやれる。お前さえ、よけりゃ……」
「……」
「……お前、喋れないのか? 一体いつから一人で……」
ガタッ、と大きな音がした。バルトルは走って男の前から逃げ出した。
しばらく走って走って、走り続けて息が上がる。
じわ、と目が熱くなって、バルトルは咳き込んだ。だが、走るのをやめてしまうほうがよほど苦しくなるので走るのをやめることはできなかった。
おさまらない動悸。胸が痛かった。
あれから。
あのとき逃げてしまったバルトルだったが、あれからも彼は何かと自分を気にかけてくれて、バルトルも少しずつ彼の優しさを受け入れられるようになっていっていた。
一緒に住むということこそできなかったが、バルトルが小さいうちに野垂れ死しないですんだのは彼のおかげというのが大きいだろう。
恵まれている。バルトルはそう思う。
その後も、出会う人たちには恵まれていた。ゴミのストックヤードに不法投棄された魔道具を弄って遊んでいたバルトルを魔道具の工房に連れて行ってくれた人、バルトルに魔道具についての本を与えてくれた人、バルトルに文字の読み書きを教えてくれた人。それらの人がいなければ、自分はこうはなれていなかった。きっとバルトルは他に類を見ないほど、運がいい。
気がついたときには『隠すべきもの』と認識していた金の髪と、電気の魔力。だが、この力がなければ魔道具士にもなれていなかった。そういう意味ではバルトルは生まれ落ちたその瞬間から、恵まれていたのだ。
この髪を晒して、国に申し出ればその瞬間からバルトルはみなしごではなくて、国から保護されるような立場になることは知っていたが、バルトルは「貴族にはなりたくない」と思っていた。
結果としては、まあ、このとおり貴族になってしまったのだが、もうバルトルは大人だった。バルトルは良いように利用はされない、むしろ自分が利用してやるのだというくらいの気持ちでいた。
(これからはもっと魔道具開発に臨めるようになるんだ)
そう思えば、けして悪い気分ではなかった。
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