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9.「僕もさっき聞いたばかりだ」……なんですって?

 

 リラジェンマとウィルフレードがこっそり国王宣誓書に新たな署名を書き加えたあと。

 廊下に出た途端、ウィルフレードは彼の側近二名に捕まった。

 その側近一名――やせ型で目の下の隈がとても印象的な文官タイプ――が凄かった。


「こちらにいらしたのですね、あぁ! ウナグロッサの姫さまもご一緒でしたかご一緒のところお邪魔して申し訳ありません私バラデスと申しまして殿下の侍従を務めておりますバスコ・バラデス、バスコ・バラデスと申します以後お見知り置きくださいませ」


 ここで一度、リラジェンマに対しびっくりするほど優雅にお辞儀をした時だけは静かであった。

 しかし顔をあげれば。


「殿下にはここ数日で溜めに溜めた書類仕事がございますですよ殿下のお目通りを今か今かと待っているのですさぁ山積みの決裁書類を征服するために剣をペンに持ち替えて突進する時です時は来たれりです今こそあのにっくき書類仕事を片付けるのですっ! さあ! さあ! さあ!」


 血走った目となんともいえない迫力で押されたうえに、怒涛(どとう)口上(こうじょう)に捲し立てられ、ウィルフレードは口を挟む間もなく背を押され凄い勢いで連行されていった。


(彼、息継ぎはいつしているのかしら)


 呆気にとられ見送るしかなかったリラジェンマのために、ウィルフレードは連行されながらも道案内兼護衛を指示した。それがウィルフレードの側近その二であるヘルマン・ゴンサーレス。

 自身の名を告げ低頭したゴンサーレスの顔にリラジェンマは見覚えがあった。

 ウナグロッサからこちらに来る時、馬車の中を寝床仕様に変更してくれた騎士さま本人だ。体躯も逞しく只者ならぬ気配を持つが、口数は少なく常に彼女の身を案じてくれた誠実な騎士だった。

 彼はさきほどウィルフレードを連行していった側近(バラデス)とは真逆で無駄口をきかなかった。リラジェンマは静寂の中、彼女に宛がわれた部屋に帰ることができた。


(ウィルの側近は……ちょっとおもしろい人が多いのかも)


 彼を取り巻くその他の人間も知っていきたい。

 リラジェンマは自然とそう考えていた。



 ◇



「さぁ! お支度、整いました。ご確認くださいませ」


 年配侍女のハンナが笑顔で姿見をリラジェンマの前に移動させた。

 鏡の中のリラジェンマは全体的にうつくしく飾り立てられているようだった。

 プラチナブロンドの髪のあちこちに薄紫色の小さな小花の飾り。

 同色の薄紫色のふんわりとしたドレス。

 ハンナたち侍女が着付けてくれたそのドレスはリラジェンマの身体にぴったりだったし、結い上げた髪の随所に散りばめられたリッラの髪飾りはドレスと同色で特に可愛らしいと思う。

 飾りやドレスは可愛らしいとは思うが、それが自分に似合うかは分からない。

 丁寧に化粧も施されたが、リラジェンマはその出来栄えをじっくり見ることが出来なかったから。

 ――自分の顔を嫌いになったあの日から、きちんと鏡を見たことがない。

 だから全体的なイメージだけは捉えることが出来ても、自分の顔がどんな仕上がりになっているのか把握しきれない。


(いい加減、この(こだわ)りも捨てるべきかも)


 そう思っても鏡の中に映る自分の顔を直視できないリラジェンマに、ハンナが笑顔で語りかける。


「リラジェンマさまのお名前のようなリラの髪飾りをご用意してくださったのは、ウィルフレード殿下でございますよ」


 グランデヌエベ(こちら)ではリッラをリラと発音するのかと思いながら、リラジェンマはひっそりと驚いた。


「ウィルフレード殿下が、(みずか)ら、これをご用意されたの?」


「はい。こちらをリラジェンマさまに、と」


 薄紫色のリッラの小花を模した飾りは、今にも香りそうである。

 少し面映ゆい心地で鏡の中の自分の髪を飾る小花を眺めていると、リラジェンマの背後に控えた侍女たちが鏡越しの視界に入った。

 みなリラジェンマの返答を、彼女の声がかかるのを待っている。


「ありがとう。あなたたちの仕事はいつも完璧ね。お陰でわたくしは快適に過ごせるわ」


 ふり向いて侍女たちに労いの言葉をかけると、彼女たちは一斉にお辞儀をしたあとリラジェンマを飾り立てるために準備した諸々の片付けを始める。


(本当に優秀な子たち。一切の無駄がない。それでいて無味乾燥な印象もない……あの子たちもこうであったら)


 よく教育された侍女たちを見るにつけ、母国ウナグロッサの宮殿と比べ気落ちする。

 とはいえ。


(ここからわたくしに出来ることなんて……もうないでしょうし……)


 ウナグロッサが自分を捨てたのだ。

 必要ないと排除したのだ。

 リラジェンマに出来ることは、この二国間に戦争が起きないようにするだけ。そのためにグランデヌエベ王国に来たのである。

 それ以上を母国に望めば、それは内政干渉となる。

 これからはグランデヌエベ王国とウィルフレードを知ることに努めようとリラジェンマは心に誓った。



「リラ。支度が済んだって聞いたけど――」


 そう言いながら入室したウィルフレードはリラジェンマの姿を見た途端、動きを止めた。


「ウィル?」


 ウィルフレードの切れ長の一重の目が、これでもかとばかりに見開かれている。彼から感じる心情は『驚愕』だった。


「どうしたの、なにかあったの?」


 今度こそ晩餐をともにしようという連絡があり、それに合わせてハンナたち侍女がリラジェンマの支度をしてくれた。

 そしてウィルフレードがエスコートするために訪れたと思っていたのだが。


「可愛い」


「え?」


「リラに似合う髪飾りはないかなって、宝物庫を探していたらこのリラの髪飾りが出てきて……母上からも使えそうなものはなんでも使えって言われてたけどこんなに似合うなんて……」


 ウィルフレードの黄水晶(シトリン)の瞳がとろりと蕩けたような錯覚を受けた。

 しみじみと呟いたと思うと、ウィルフレードの頬が徐々に上気していく。しかもやわらかく微笑んでいる。


「リラ、可愛いなぁ」


(わたくしは、なにを言われているのかしら)


 思わず、といった調子で溢される単語に聞き覚えがないせいで、耳を疑ってしまう。

『可愛い』などという単語はリラジェンマのために使われたことなどない。リラジェンマを褒めるための単語は『聡明』とか『優秀』とか『次期女王に相応しい』であったはずである。

『可愛い』などと。

 そんな単語、ついぞ聞いたことがなかった。


 生前の母は『正統な跡継ぎ』としてのリラジェンマの賢さを褒めてくれたが、その他では冷淡であった。

 父はほぼ無関心であった。家庭教師から優秀な成績を修めているという報告を受けたとき、リラジェンマに対して『よく励め』と言ったきりだった。


 その後、宮殿に引き取られた異母妹(ベリンダ)に対して『お前は可愛いなぁ』などと話しかけているのを聞いたことがあった。


 父に似ているのはリラジェンマだというのに、自分に似た娘は可愛くないらしい。

 そんな父に似てしまったからこそ、母はリラジェンマに対して冷淡に接していたのかもしれない。

 そう思い至ったとき、リラジェンマは自分の顔が嫌いになった。自分も父と一緒に母を裏切っていたようで母に対して申し訳なかった。

 それ以来、まともに鏡を見ることが出来なくなったのだ。


 けれど。


 今、気のせいでなければウィルフレードはリラジェンマに見惚れている。

『可愛い』などと彼女に対する賞賛の単語を口にしている。


(わたくし、ウィルの目には可愛く映っているのかしら。信じてもいいのかしら)


 彼の真意を知りたくて黄水晶(シトリン)の瞳を覗き込めば、その瞳の中に、リラジェンマが視えた。


 赤い頬をしている。

 それはウィルが?

 それともリラジェンマ?


 彼の真意はわからなかった。

 けれど、なぜか非常に恥ずかしく、居た堪れない気持ちになった。


(どうしよう。恥ずかしい……悲しくもないのに涙がでる……)


 急に部屋の温度が上がったように感じるのはなぜなのか。

 走ったわけでもないのに急に動悸が激しくなったのはなぜなのか。

 息切れが、眩暈(めまい)さえ感じるのはなぜなのか。


 ウィルフレードがやっと動きだした。

 優雅にリラジェンマの手を取り、彼女の手の甲に唇を寄せると音を立てるだけの挨拶をした。

 たぶん、お互いに手袋越しだから黙っていられた。

 もし、直に手を触れられ今の挨拶をされたなら。


(背中に冷や汗を感じるのだけど! 手は? 手もいやな汗かいているのではないの? スゴイわ、わたくし! 悲鳴をあげなかったのだものっ! 他者に内心を勘づかれないよう表情筋を鍛えた甲斐があったかもしれないわ)


 いままで女王となるために受けた教育のすべてが、今日この時のための物だったのかもしれないと思うほど、内心は動揺していた。

 その動揺をちゃんと隠しきれているのか、(はなは)だ疑問ではあったが。


「じゃあ、行こうか。今日の晩餐はリラも気に入るといいな。うちの料理長が腕を(ふる)ってくれたよ。父上と母上も楽しみにしてるって」


「え゛」


 父上と母上?

 ウィルフレードの両親といえば、グランデヌエベの国王と王妃を指す。


「両陛下が同席なさるの? 初耳よ?」


 王太子殿下との晩餐、ではなかったのか。

 そんな最重要な情報はもっと早く教えて欲しかったとウィルフレードに問えば、


「うん。僕もさっき聞いたばかりだ」


 と、いい笑顔で答えてくれた。


(あなたは実の両親だから突然でも良いかもしれませんがね!)


 なにやら覚えのない動悸、息切れ、眩暈、冷や汗、目の潤みなど不思議な諸症状に狼狽(うろた)えているところに、その最重要情報でとどめを刺そうだなんて、なんて狡猾なのだろうか!


 しかも、うっかり聞き流していたがさきほどウィルフレードはかなり恐ろしいことを言っていなかっただろうか。

 今リラジェンマが髪に飾っている物は『宝物庫を探して』見つけたとかなんとか。

 よくよく考えてみれば、王子殿下個人の『宝物庫』に、女性用の髪飾りなどあるだろうか。 いや、ないだろう。断言できる。王子に女装趣味があれば別だが。

 この場合『宝物庫』とは、王宮の、国の物なのではなかろうか。そして王宮の宝物庫なんて、歴史的御物が所蔵されている場所なのではなかろうか。歴代の王妃陛下が所有していたティアラとか。何代か前の王女殿下用に設えたドレスとか。

 そんな大切な物を引っ張り出してきたのか!

 ……そうでなければリラジェンマの年頃の女性に合わせたようなドレスやお飾りがすぐに用意できるとは考えにくい。


 しかも。


『母上から』『なんでも使え』と? つまり王妃陛下の許可のもと宝物庫を漁ったと?

 その王妃陛下が晩餐に同席すると?

 息子が何を選んだのか。それをつける隣国の姫はどういった人間なのか。

 それらの答え合わせのために国王陛下たちは同席するのだろう。


(胃まで痛くなってきたわ……)


 動悸、息切れ、眩暈、冷や汗、目の潤みに加え、胃痛。

 晩餐は断って寝込むべきだろうか。一瞬、そう後ろ向きに考えた。


 が。


(国王両陛下が晩餐に同席しようだなんて、だいぶ友好的な態度ではないかしら)


 リラジェンマの扱いは人質なのか花嫁なのか。

 国王陛下に会えば、国としての指針が判るだろう。


「さぁ、行こう」


 上機嫌なウィルフレードがエスコートするのに合わせ、リラジェンマは一歩を踏み出した。




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