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8.国王宣誓書に施された魔法

 

「君は僕のお嫁さんだから、もしそうなっても大丈夫だよ」


 そう言ってウィルフレードは事も無げに笑うから、リラジェンマは逆に困ってしまう。


(そんな簡単なことなの?)


「ちなみに、だけどね。僕が次のページの国王の欄に名前を書いても弾かれてしまうんだ。見てみる?」


 ウィルフレードはそう言いながらリラジェンマの手から羽ペンを取り上げる。そしてあっさり次ページを捲り、国王の欄に己の名前を記名した。

 理屈でいえば、次ページは第十七代目グランデヌエベ国王が宣誓式のときに署名するための物であり、そのとき国王として名を連ねるのは間違いなく現王太子ウィルフレードである。

 だから、このページはウィルフレードのために出現した用紙であり、ウィルフレードの物だ。

 だがしかし。

 リラジェンマが見ている目の前で、彼が書いたその名前は薄くなりすーーーっと消えてしまった。あとにキラキラとした陽炎のような光が淡く立ち上った。それは虹色に光を放ちながらあっさりと消えていった。


「ね。凄いよね? 正式な儀式後に書いたら別なのだろうけど、今はまだ認められないってことだろうね」


 ちょっと弾んだ声と良い笑顔でウィルフレードが言う。自分の名前が否定されたのに実に嬉しそうである。


(凄い。まるで紙面が意思を持っているみたいに見えたわ)


 リラジェンマが生まれ育ったウナグロッサ王国の王宮には、帝国時代の名残りである魔法の護符の陣が成されていると言われていた。だがそこで生活している間、『魔法』を感じたことはなかった。王宮全体に施されていたせいで、目に視えるものではなかったからであろう。

 だから、いま初めてまともに『魔法』と呼ばれる帝国時代の遺産を目の当たりにした。感動もする。

 しかし。


「ウィル! あなた大人になってまでこんなイタズラして、いいと思っているの⁈」


「うん」


 悪びれもせず頷くさまは、いっそ天晴(あっぱ)れだ。軽く眩暈(めまい)を覚えるリラジェンマのほうが、さも間違っていると言わんばかりである。

 とはいえ。

 さきほど、キラキラと光りながら消えていったあの魔法の名残をもう一度見てみたいのも事実であった。

 いい笑顔で羽ペンを差し出すウィルフレードに苦笑しつつ、それを受け取ったのは間違いなくリラジェンマの意思。


 逡巡はほんの少しの間だけ。

 彼女の意思で、王太子の欄に書かれた『ウィルフレード・ディオス・ヌエベ』の署名の下に、己の名前を書いた。

『リラジェンマ・ウーナ』と。


「リラジェンマは僕のお嫁さんなんだよ」


 独り言のような呟きをウィルフレードが溢すから、いったいどうしたのかと彼を見上げた。

 ウィルフレードは彼女を見てはいなかった。彼の視線の先は壁に掛けられた肖像画に向かっていた。


「この絵はどなた?」


 リラジェンマがそう問いかけると、ウィルフレードはちらりと彼女に視線を寄越した。その黄水晶の瞳と、絵の中の人物の瞳の色が同じだった。


「僕のおじいさま。サルバドール・ブリジャル・ヌエベ。グランデヌエベ王国の十五代目で、前国王陛下だよ。この肖像画はまだ若かりし頃のお姿だ」


 絵の中の人物は青銅色の髪に黄水晶の瞳。野性味に溢れ眉目秀麗といって遜色のない顔立ちをした、今のウィルフレードと同じ年頃の貴公子だった。眉間に刻まれた皺が、彼が気難しい性格の人物だったのだろうと推測される。


(あまりウィルとは似ていないけど、瞳の色は同じね)


 ウィルフレードの顔立ちはどちらかといえば中性的。

 この絵の前国王陛下は野生味に溢れた男性的な人物である。


(人の好みは千差万別というけど、わたくしはどちらかといえばウィルみたいな顔立ちの方が好みだわね)


「あれ。サイン……」


 絵とウィルフレードの顔、交互に見比べていたら手元に注意を払うのを忘れていた。


(いけない、うっかり魔法が発動するところを見逃してしまったわ)


 ウィルフレードがリラジェンマの手元を覗き込みながら声をあげたので、つられるように自分の手元を見たリラジェンマは、そこに黒々と残る自分の名前を確認した。


 消えない。

 きっちりと残った署名。


「……消えないわ、ウィル。これって……」


「弟が名前を書いたときは消えたんだけど……」


 ふたりで書面を注視するが、いつまで待っても『リラジェンマ・ウーナ』と書かれた署名が消えることはなかった。


「あぁ! なるほど!」


 ぺらりと前のページを見比べたウィルフレードが声をあげる。


「この、王太子の下の欄はその伴侶が名前を書くスペースだったんだよ! だから弟が書いたときは却下されたんだ」


 前のページは、この部屋に掲げられた肖像画の人、第十五代目国王サルバドール・ブリジャル・ヌエベが署名した国王宣誓書。当然、彼と王妃のサインの下には当時の王太子だったウィルフレードの父の署名がある。王太子として。そしてその下の欄は当時王太子妃であったウィルフレードの母の署名がある。


「ウィル。あなた、知っていたんじゃないの? ここの欄はどういった人がサインするべきなのかを」


 ウィルフレードの真意を知るために、じっと彼の瞳を睨みつける。とたんに、彼が『王太子』の仮面を被ったのを感じた。


「いや。知らなかった。今解った」


「本当に?」


 白々しいと思いながらもなお問えば、さも当然だと胸を張るウィルフレード。


「当たり前だ。知っていたら弟に書かせたりしなかったよ。もし宣誓書に認められたら弟を伴侶に選ばなければならなかった! いくら僕が弟を愛しているからといって、兄弟婚はさすがにできない!」


 たしかに、弟と忍び込んでイタズラをした子どものころは、知らなかったのだろう。

 ……()()知っていたようだが。


「……それもそうね」


「弟はこどもを生めない。これはまずい」


(……ん? ()()ならする気だったのかしら)


 帝国時代は同母でなければ兄妹での婚姻もあったらしい。

 だが、さすがに現代でそれはタブー視されている。同母でも異母でも兄妹間の婚姻は(姉弟間も)出来ない。

 そして。

 一連のウィルフレードの行動から鑑みるに、どうやら彼はリラジェンマの手でこの宣誓書にサインさせたかったようだ。

 なんのために?

 恐らく、宣誓書の魔法が効くのか試したかったからだ。該当しない者が署名したら弾かれる魔法。リラジェンマがその試練をパスするのかどうか己の目で確かめたかったのだと推測する。


(まわりクドイことをする王子さまだわね)


『挨拶させる』と言って連れ出された神殿で、しかしだれにも会わなかった。リラジェンマは、そこにウィルフレードの両親である国王夫妻が待ち構えているのかと思ったが、肩透かしだった。

 次に『サインしなくちゃ』と言って連れてこられた書斎で、魔法がかかった国王宣誓書にサインさせられた。王太子妃が署名する欄に。


 これで、書類上は第十六代グランデヌエベ国王治世下の王太子妃となった。


 リラジェンマは公式に王太子妃として認められたことになるのだろうか。いや、ならないだろう。


(国王陛下に謁見もしてないし、グランデヌエベの議会で承認されたわけでもないわ)


 ウィルフレード・ディオス・ヌエベ。彼の意図がわからない。


「ウィル。あなたいろいろまずいと思う方向性が間違っているわ。そもそも公式文書にイタズラ書きをしようとするところから間違っているのよ?」


 子どものころだったとはいえ、いや、子どもだからこそ看過できない。リラジェンマが常識的な意見を言えば、ウィルフレードは満足げに頷く。


「リラはまじめだな」


「ウィルがふざけすぎているのよ」


「リラは()()だ。そこがいい。君の傍は心地良い」


「……は?」


 妙にウィルフレードの瞳が熱っぽいように感じ、リラジェンマはその空気に戸惑った。

 戸惑うリラジェンマに優しく微笑むと、ウィルフレードは国王宣誓書を閉じた。隠し扉の中に戻し、本棚をもとあった位置に移動させた。


(わたくしが()()? どういうこと? わたくし、いまさりげなく馬鹿にされたってこと?)


 彼らの間に小さな誤解が生じていたが、それが解消されるのはまだずっとあとのことである。

 この時のリラジェンマはまだ知らない。


 母国ウナグロッサの天候不順も。



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