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5.「君が僕を甘やかすから、つい」……つい?

 

 グランデヌエベ王国の第一神殿。

 リラジェンマの知っている神殿と一見して変わらないように見えたそこは、天に向かいそびえる石柱が等間隔に立ち並ぶ。柱だけで天井はない。床は緑の芝生。その芝生の中央にすっくと立つ高い鉄柱。

 実はこの鉄柱、どうやって立っているのか学者の間でも疑問視されている謎の物体でもある。

 いつからあるのかはっきりしていないそれは、王国建国以前にこの大陸で君臨していた帝国時代のものらしい。

 約千年前の遺跡に近い代物で、風雨に晒されているのにも関わらず錆びることのない謎だらけの鉄柱。

 この鉄柱に精霊たちが集まるのだとリラジェンマは母から聞いた。精霊のための施設なので、彼らが集まりやすいよう天井がないのだとも。


(こういう施設そのものはグランデヌエベもうちも同じなのね)


『神殿』と称されるがその実、中央に鉄柱があるだけの芝生広場だ。

 芝生の外周を石柱が等間隔に並ぶが、おいそれと一般人が出入りするような場所でもない。


(設置場所は違うけれど。ウナグロッサ(うち)は山の上に。グランデヌエベでは宮殿の中央にあるのね……あら?)


「ウィル。近くで鉄柱を見ても?」


「……あ」


「なに?」


 返事を聞く前に芝生に足を踏み入れた状態で立ち止まり振り返ると、ウィルフレードが引き()った笑みを浮かべていた。


「? 入ってはいけなかったかしら」


 リラジェンマが首を傾げると、彼は彼女の頭のてっぺんから足の爪先までジロジロと眺めまわした。


「あー、……いや。構わない。自由にふるまってくれ」


 ウィルフレードの煮え切らない態度に疑問を抱いたが、とりあえずそれは見て見ぬふりをした。それよりも疑問に思ったことがあったのだ。

 中央に(そび)え立つ鉄柱に違和感を覚えた。

 近くに寄ってよくよく見れば。


「……八角形の鉄柱?」


 それぞれの面にうつくしい彫刻が施されている。この形は初めて見た。


「何か気になる点でも?」


 リラジェンマの後ろからウィルフレードが覗き込む。


「八角柱なのねって思って……ウナグロッサにある鉄柱は円柱なのよ。こんなにうつくしい彫刻もない、のっぺりしたものよ」


「円柱? 本当に?」


「うちの大神殿は山の上にあるって言ったでしょ? ここと似たような雰囲気よ。芝生があって、中央に鉄柱が立って……。周りに石柱がぐるっとあるのも同じね。でもうちのは円柱なの。よく雷が落ちるわ」


「確かに。雷はこれに向かって落ちる……だが、円柱……ウーナは円……ヌエベは八角……」


「ウィル?」


「興味深い……実に興味深いな。ウナグロッサでは円柱だって? それもなんの彫刻も施していない単純な形なのか? ウナグロッサは“始まりの国”とも称される歴史ある国なのに、神殿の鉄柱になにも飾りがないと? しかも山の上にあるというのもなかなか……」


 なにやら急にブツブツと呟き自分の思考の海に没入したようなウィルフレード。

 リラジェンマは呆気に取られて彼を見つめた。


(なんだかすっごく楽しそう)


「そうか、鉄柱にそんな違いがあるなんて思いつかなかったな。これは他国の神殿も調べてみる価値がある……」


 ブツブツと呟いていたウィルフレードは、自分を見あげるリラジェンマの存在をやっと思い出したようだ。


「あぁ、すまない。つい……」


「わたくしのことなど気にしないで。それより、ウィルが楽しそうで良かった。なんだか学者みたいね」


「――そう、見えた?」


「見えたわ。何より楽しそうだったし」


「え?」


「歴史とか考古学が好きなのでは? 瞳の輝き方が違ったもの」


「――うん。本当はね。そっち方面に進みたかった。でも」


 ウィルフレードは言葉を続けなかった。黙って八角形の鉄柱を見あげた。精霊が集まると言われる鉄柱は陽を浴びて黒く光る。


(王族に生まれていなければ、学者になっていたかもしれないってことなのかしら)


 生まれた時から職業選択の自由がない王族。

 特に第一子として生を受ければ王位継承者と目されるのはウナグロッサでも同じだ。男女の性差はあれ、リラジェンマも同じ立場だった。だからこそ、なにも考えずに尋ねてしまった。


「ウィル……さっき言っていた弟殿下に王位を譲って、自分は好きなことをするって手もあるのではなくて?」


 そう尋ねれば、ウィルフレードは一瞬目を見張ってリラジェンマを振り返った。思いがけない事を聞いたといった表情だった。


「王太子を弟に譲って自分は好きなことを、か……」


 そう言ったウィルフレードの顔を、たぶんリラジェンマは一生忘れないと断言できる。

 リラジェンマの瞳は相手が悪意を持っていれば見極めることができる。だが、細かな心の機微までは分からない。

 それでも理解できた。ウィルフレードが考えて考えて考えて、その末に断腸の思いで自分のしたいことを諦めた過去を。

 切なくて悔しくて。けれど自分の立場を捨てるメリットもデメリットもすべて天秤にかけたことも。

 それらを年下の女の子に悟られて恥ずかしいと思っている現在の心境も。


「ごめんなさい、ウィル。余計なこと、言ったわ」


 無神経にも人の心に土足で踏み入るような一言を投げてしまった。

 なんという無礼を働いたのだろう。

 第一王女として、王太女として育てられたリラジェンマは他者を慮ることが苦手だ。国益のための政策などはいくらでも考えられるのだが、個々人の考えに思い至れない。


(だからこそ、フィガロもベリンダの甘言に絡めとられたのだわ)


 国に残した婚約者――いや、元・婚約者フィガロ・ヴィスカルディはリラジェンマの幼馴染みであった。気心の知れた相手だからと油断していた。彼が何を思い、何を悩んでいたのか知ろうともしなかった。その隙を異母妹(ベリンダ)につけ込まれた。


 (うつむ)き内省するリラジェンマの頭部に温かいなにかが乗った。


「リラ。そんな顔するな」


 見あげれば正面にウィルフレード。そして彼の手が頭をぽんぽんと軽く撫でている。

 基本、笑ってはいるが泣いているのを堪えているような苦い、複雑な表情のウィルフレード。彼にそんな顔をさせてしまったのかと、リラジェンマの胸が痛んだ。


「芝生に座るのは抵抗ある?」


 ウィルフレードはそう言うと、率先してそこに腰を下ろした。鉄柱に背中を預けると、リラジェンマを見あげ隣を指し示す。ご丁寧にもハンカチが敷かれた。

 少しだけ躊躇(ちゅうちょ)したが、黙って彼が指し示した隣に座った。


「ちいさいころ、この芝生に興味を持ったのが始まりだった」


 ウィルフレードは静かな声で語った。

 芝生は常に青々とそこにある。手入れする人間もいないのに。なぜだろうと少年時代のウィルフレードは疑問に思い調べ始めたと。

 神殿と呼ばれるその地域一帯は、ふだん無人の場所であり、精霊のための広場であると認識されていること。

 それは千年昔の帝国時代の名残りであること。

 『神殿』と呼ばれているくせにそこには『神』を象徴するものが祀られていないこと。

 管理者が常駐しないこと。

 宮殿奥の資料庫にさまざまな文献があったこと。

 古代文字を判読するのが楽しかったこと。

 調べれば新たな疑問が湧き、その疑問を調べつくすまでまた資料庫を漁る。

 世界各地にあるはずの『神殿』とそれに付随する資料を調査したいと考えたけれど、王太子である自分がおいそれと他国に行くわけにはいかなくて諦めたこと。


「リラ。考えてみれば、君も僕と同じ立場だったね」


 王統の次代を継ぐ者としての責任と期待を背負う人間。

 自我を抑え公的にふるまうことだけを信条とする生活。

 誰も自分の本音を聞いてくれない毎日。


 おそらくウィルフレードのこれは弱音。

 だれにも話したことのない本音。

 同じ立場の人間でなければ本当の意味で共感できない想い。


 芝生に座り込んだウィルフレードは、立てた膝に両腕を乗せそこに顔を埋めているから、彼がどんな表情をしているのかは分からない。

 リラジェンマは彼の隣で空を眺めた。

 雲ひとつない空は青く澄み渡り、風は心地良い。陽の光がきらきらとウィルフレードの金髪に反射する。


(金髪……綺麗ね……)


 金髪は異母妹(ベリンダ)のそれでうんざりしていたはずなのに、ウィルフレードの金色はなぜか心に染み渡るように落ち着く。


 魔が差した。


 その彼の金髪を撫でていた。ついうっかり。

 意外としっかりとした手触りの毛並みだ、などと思いながら。


 彼の襟足の首が真っ赤になっていた。彼の耳も。

 独り言のような弱音を吐いていたウィルフレードが黙ってしまった。


 気まずい。


(どうしよう。わたくし、つい無意識に頭を撫でるなんて暴挙にでていたけど……どう収拾をつければいいのかしら……)


 特にやめろとも言われないし、何食わぬ顔をして手を引っ込めればいいか。うん、そうだそうしよう。

 そっとウィルの頭から手を……離した……はず、が……。


 !!!


 何かに操られるように、あるいは離れた手を追うように。ウィルフレードの頭がリラジェンマの膝の上に乗った。芝生にごろりと寝転んだウィルフレードは、膝枕にリラジェンマを選んだらしい。

 彼女に背を向けているから、ウィルフレードの表情は見えないけれどその耳は赤く染まっている。


「ウィ、ル?」


「なに?」


「この体勢は、いったいなんでしょう?」


「君が僕を甘やかすから、つい」


「つい、ですか」


「です」


 そういえば先ほどのリラジェンマも『つい』ウィルフレードの頭を撫でていた。


(つい、ねぇ……。そんなこともあるのかもしれないわね)


 日差しが暖かくて心地良い。

 まぁいいかと思った。



「ねぇ、リラ。ウナグロッサ国内でなにがあったのか話して。君の身に起こった出来事を知りたい」


 ウィルフレードはリラジェンマに背を向けたまま、そんなことを言う。相変わらず耳や首筋を赤くしたまま。

 リラジェンマの眼に彼の『悪意』は視えなかった。純粋な彼の厚意で聞きたいというのだろうか。自分の心の鬱憤(うっぷん)をリラジェンマに話した代わりに、彼女の鬱憤を聞こうというのか。


(へんなひと)


 どのみち、ひとりで抱え込むには大きすぎて、どうしたらいいのか途方に暮れているのだ。

 誰かに聞いて貰いたかった。

 リラジェンマの身に、なにが起きたのかを。


 母国でどんな扱いを受けていたのかを。




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