4.「だからお嫁さんが欲しくなって」……は?
いちおう、というか当然というか。
リラジェンマはウナグロッサ王国で生まれ育った人間で、ウナグロッサで使う言語の中で生活してきた。
隣国であるグランデヌエベ王国とは、ほぼ同じ言語であるが細かな言葉の意味とか使い方がやはり違う。
今しがたウィルフレードが寄越してきた質問の数々は、言葉の違いのせいかついていけない。ツッコミどころが多過ぎて眩暈がするとリラジェンマは思った。
ウィルフレードは何と言った?
『ウナグロッサで何があったのか』ときいた。何かがあったと確信しているかのように。
確かにリラジェンマ本人には割と衝撃的な出来事があったにはあった。だがそれをなぜ隣国の王太子が把握しているのだろうか。時間経過としてはたった3日前の出来事なのに。
そして『つい介入しちゃった』とはなんだ? 『うちのが騒がしすぎて』ってなに? 間諜に入り込まれていたということだろうか。だからこそウナグロッサに何かが起こったことを承知していると? それにしても“騒がしすぎて”とは?
しかも『リラは早晩この世のモノでは無くなる』と言った? なんて物騒な!
どこまで突っ込んで聞くべきなのか、何から聞いたらいいのか分からなかったが、とりあえず一番物騒な内容から聞くべきか。
「わたくしが、この世のモノでは無くなっていた? のですか?」
『僕が放置していたら』という但し書きがあったが、早晩この世のモノでは無くなるという意味は、つまり、死んでいたということに他ならない。リラジェンマの言語理解能力が確かならば。
傍らを歩くウィルフレードの顔色を窺えば、彼は進行方向を真っ直ぐに見据えリラジェンマを見ようとしない。見ようとしないまま、彼は答えた。
「普通、有り得ないだろ? 王太女をこんなにもあっさり手放すなんて。いくら他国軍に宣戦布告されたからといって易々と国外に出すなんて変じゃないか。ウナグロッサの上層部は阿呆ども揃いなんだと確信したぞ。
他の条件を提示したり話し合いをしようと目論んだり武力で抵抗しようとしたりしても可笑しくないところを、こちらが布告した翌日に君を寄越したんだぞ? 婚姻を申し込まれたとはいえ、奇妙にもほどがある。しかもあいつらまでさっさと連れていけとか言いやがるし」
まったくもってウィルフレードの指摘どおりなのでなんの言い訳もできない。しかも王太女の輿入れを脊髄反射的な素早さで対処したのかと思えば、不審がられても致し方あるまい。
だがやはり理解できない言葉がでてくる。
「あいつらって? 誰のこと?」
リラジェンマが尋ねると、ウィルフレードはちらりと彼女を横目で見た。黄水晶の瞳がこちらを向いたことに胸の鼓動が大きくなった。
「君を守っていた騎士たちだよ」
そう言って切れ長の一重がにっこりと微笑んだ。一瞬、何かをごまかすためにわざと微笑んでいるような印象を抱いた。
(あのとき? 親衛隊のみんなは守れなくて申し訳ないって謝っていたけど、早く連れていけなんて言ってたかしら)
今、ウィルフレードは何かをごまかした。けれど、何をごまかしたのかリラジェンマには分からない。
「まぁ、その辺を見極める為にわざと強行軍で早急にグランデヌエベに連れ帰った訳だが、追手もないし楽々と国境を越えたしで拍子抜けしたよね、あのときは」
ウィルフレードはそう言いながらまた視線を正面に戻した。もうちょっとこの人の視線を受けていたかったな、などとこっそり思ってしまう自分にリラジェンマは戸惑う。
(あのとき、この人はぐーぐー寝ていたと思ったけど)
そういえば、いつの間にか彼のマントがリラジェンマの身体にかけられていた。彼女が気絶するように眠りに落ちたときに彼は起きていたのだろう。たぶん。
彼がごまかしたのは、自分が人質に情けをかけたことだろうか。
「で? 誰がわたくしを亡き者にしようとしていたのですか?」
「さあ? それは私にも解らない」
突き放され、さっと一線引かれたように感じた。
自分を示す言葉も『ぼく』から『わたし』に変わった。
そして何より、リラジェンマの瞳には冷徹な王太子の仮面を被ったウィルフレードの姿が視えた。
(話す気は無い。そういうことね)
「……つまりウィルフレード殿下は――」
「ウ ィ ル」
呼べば即座に訂正される。彼が王太子の仮面を被ったのでそれに合わせ対応したまでなのだが、ちょっとうんざりする。
このやり取りはもうしたくないから拘るのはやめようと、こっそり心の奥で誓ったリラジェンマだ。
「――ウィルは、わたくしの身の危険を察知して、わざと国外逃亡させるために人質としてわたくしの身柄を要求したと?」
この金色キツネは何を言い出すのか。彼の真意を知りたくてじっとその翠の瞳で観察した。
すると彼は目を見張って彼女を見た。意外な質問をしたらしい。
だが彼の答えに驚いたのはリラジェンマの方だった。
「……ううん。お嫁さんが欲しかったから」
「は?」
(え? 本気で? 口実だったのではなく?)
更にウィルフレードは驚きの内心を吐露する。
「僕の弟が結婚してね。これがもう、こっちが呆れるほど愛妻家になってしまって、もうこの兄を構ってくれないんだ!」
「……はぁ」
憤懣遣るかたなしといった風情が見受けられることに驚きである。本音だと解るからなおさら。
(結婚したのなら、それが当然なのでは?)
リラジェンマは母とは違い、相手の心の機微の細やかなところまでは把握できない。
だがウィルフレードが、いま本音で話しているのは伝わってくる。一人称が『ぼく』になっているし。
そして彼女の記憶が確かならば、王太子はもう24歳になっているはずで、彼の弟である第二王子はリラジェンマの二つ上の21歳のはずなのだが。
成人は男女ともに16歳のはずだが、それはウナグロッサだけの常識なのだろうか。このグランデヌエベでは違うのだろうか。成人をすぎた兄弟は結婚しても妻より兄を優先するものなのだろうか。
(ええと……だいぶ、ブラコンなのかしら?)
「だからお嫁さんが欲しくなって」
弟に結婚を先越されたから自分も焦って相手を見繕った。
一見、一理あるような言い訳ではあるが、だからといって隣国の王太女をむりやり指名しなくてもいいのではないかと、リラジェンマは思う。過去に親交があり知己で相思相愛の相手ならともかく、自分たちは初対面だ。変ではないか?
「……国内で適当に見繕ってはいかがでしょう」
「うーん。かれこれ10歳の時から探してはいるんだけどね、だれも彼もピンとこなくてねぇ」
「……はぁ」
(ピンとこない……えぇえ? 王太子ともあろう者が自分で伴侶を選ぶの? 国王陛下が決めるものではないの?)
高位貴族の縁組など政略結婚が定番だ。だいたいは親が決めた相手を伴侶にするものだ。王族ならなおのこと。
そう思っていたのだが、グランデヌエベでは違うようだ。
「だから丁度いいし、お嫁においで♪」
「ちょうどいい」
明るく。あくまでも明るくあっけらかんと口にするウィルフレードの様子にリラジェンマは軽く眩暈を覚えた。
(えぇぇぇぇ? 自分で決めるならそこには好みってものがあるのでは? ちょうどいいなんて理由で決めていいの?)
好みがあるからこそ、ピンとこないという理由でいままで婚約者がいなかったのではなかろうか。
そういえば年配の侍女ハンナもウィルフレードが連れて来た女性というだけで、諸手を挙げて賛成しているような風情だった。
「そう。ちょうどいいだろ? 僕は君がそうだと思ったし」
(そうだってなに? なんのこと⁈)
結婚は家のため、国のためにするもの。
今までのリラジェンマの常識ではそういうものだった。だが、ウィルフレードの行き当たりばったりな物言いは彼女のいままでの常識から遥かに逸脱した理論を展開している。
「わたくしにはウィルが何を言っているのか、もう、何がなんやらさっぱり解りません。ことばの違いにしても解らなすぎる」
混乱をきたす話をされ戸惑っているのだと伝えれば、ウィルフレードはあくまでも笑顔である。ときおり本音を見せつつ王太子の仮面を被ったりもする。だから一層リラジェンマは混乱する。
「えぇー? ちゃんと受け答えできてるよ?」
朗らかな明るい笑顔はだれからも好かれるだろう。そんな表情を向けて、なのに王太子の仮面を被りこちらを観察もする。本音と建前の絶妙なブレンド具合がいっそ天晴れというべきなのか。
「基本的な言語は同じですから、意味は分かるのですが、なにかこう……肝心なところで理解がさっぱりなのです」
おもに常識とか常識とか常識とか。
「そうなの? ま、いいや。その話はおいおいで」
ケロっとした軽い笑顔でウィルフレードは言うが。
『おいおい』? これから徐々に、とか時間が経つにつれてだんだんと、といった意味だったと記憶している。
そんな適当で悠長なことを言っていて良いのだろうか。
そして何よりも、このウィルフレード・ディオス・ヌエベという男はこんなに行き当たりばったりな人間なのだろうか。
戸惑うしかないリラジェンマを知ってか知らずか、ウィルフレードはにっこりと王太子の笑顔で彼女に指し示した。
「さあ、着いたよ。グランデヌエベの第一神殿だ」