34.与えられたその名は【完】
ウィルフレードは真面目な、王太子の顔をしていた。彼の真意を知りたくてじっと見つめても、どこか混沌としていて分かりづらい。
これはウィルフレードも特殊能力持ちだからだろう。そして王太子としての教育――その本心を他者に悟られないように、平常心であり続けるよう表情を一定に保つ――を受けているから。
「そうだ、と言ったらリラはどう思う?」
ウナグロッサをグランデヌエベと併合する――それはつまり『ウナグロッサ王国』はこの大陸から消滅してしまうことに他ならない。
今現在、ウナグロッサの正統な後継者はリラジェンマだけである。このままリラジェンマがグランデヌエベの王妃となれば、当然ウナグロッサを統治する権利は夫であるウィルフレードに、グランデヌエベ王家に移譲されることになるだろう。
だが併合してひとつの国となれば、ウナグロッサだった地区の統治をリラジェンマができるかもしれない。
今のウナグロッサの上層部は、半分は役立たずだ。そうなるように国王代理が堕落させたから。
他国に併合され違う国になり、その一地区となった方が民のためになるかもしれない。
「……分からない。併合された方が民のためになるのなら、わたくしは……」
リラジェンマにとって苦渋の決断を口にしようとした時。
それを遮ったのはウィルフレードだった。
「ねぇ、リラ。男の夢ってどんなものがあると思う?」
「……は? おとこのゆめ?」
いきなり突拍子もないことを聞かれ驚いた。
「そう。それも権力者の。例えば……僕みたいに次期国王とか、の」
突拍子もないことではあるが、尋ねられたのでリラジェンマは考えてみた。
権力者の?
次期国王が夢見るものといえば?
国家安寧を願うか、それとも酒池肉林を望むか。
あるいはもしかしたら……
「――世界征服、でしょうか」
権力者が持つ一般的によくある最大の野望。それは世界統一して己の傘下に収めることではなかろうか。
リラジェンマの返答を聞いたウィルフレードは、その頬を笑いの形に歪めた。
「うちの保管庫にさ、それはそれは膨大な量の帝国時代の歴史ものが遺されていてね。帝国は大陸を統一し巨大国になったって読んだよ」
帝国時代の歴史ものなど、古代文字で書かれたそれを解読し読み込むことはウィルフレードの趣味である。
「ウィルも、帝国に倣うと? かの国のように大陸統一しようというの?」
世界征服。その第一歩がウナグロッサ併合なのだろうか。
まさか、ウィルフレードが?
本人の望みは歴史研究家になることだったはずだ。
そんな彼が世界征服?
(ありえないわ!)
「いいえ、違うわね。ウィルにはウィルの持つ、『男の夢』がある。そうでしょう?」
リラジェンマの問いに、今までしかつめらしい顔をしていたウィルフレードが表情をガラリと変えた。
とても無邪気な、少年のような笑みに。同時に彼の心情がリラジェンマに届いた。
(『やっぱり君は僕を解ってくれている』……そう、思っているのね)
「あるよ。やっぱり男が抱く野望といえば世界征服だよね。だけど」
「……だけど?」
言葉を切り、思わせぶりな視線を投げかけるウィルフレードに胸がドキドキする。
彼もやはり征服者になりたいのだろうか。
「自分の手でそれを為す気は皆無なんだよね。
だって考えるだけで面倒臭いじゃないか!」
「え? メンドクサイ?」
また、思ってもいなかった単語を聞いた気がしてリラジェンマは肩透かしを喰らった気分になった。
「うん。そりゃあ、やろうと思えば出来るよ。
でもさぁ、いちいち遠征して戦争して征服して? あぁ! メンドクサイ! しかも、占領下の国々をヌエベ式に改める? それともその国の特性に合わせて統治する? どう考えてもメンドクサイ事だらけじゃないかっ! 気が遠くなるよっ僕は! 全部為すまでに一体何年かかることだろうね!」
(……えぇぇぇぇぇ? この人、なに言ってるの?)
考えてみればこのウィルフレード・ディオス・ヌエベという男は、一国の王太子としては実に有能なのだが、側近たちを出し抜いてでも仕事を怠けようとする不届き者であった。
バスコ・バラデスにテンション高く説教されても、ヘルマン・ゴンサーレスに城中追いかけ回されても、あるゆる手段を用いて執務室から遠ざかろうとする怠け者であった。
やろうと思えば出来るのだ。
そうやって逃げ回り仕事を溜めながらも、一度執務に向き合えば驚異的な早さで片付けてしまうのだから。
そんな男が領土拡大に伴う煩雑な政治活動を真面目に勤めようとするだろうか。
いや、怠けようとするだろう。
彼がただ戦争をしたいだけの戦闘狂ならば、リラジェンマを迎えに行くなどと嘯かず、本当に宣戦布告し実行、今頃はウナグロッサを管理下に置いていたはずである。
(……えーと? どういうこと?)
「でも男が抱く野望といえば世界征服っていま自分で言ったわよね? なのに自分でやる気は無いってどういう意味?」
リラジェンマがそれでも一応、彼の真意を問い質せば、ウィルフレードはよくぞ聞いてくれました! とばかりに勢い込んで返答する。
「言葉のとおりだよ。だからね、リラ! きみにいっぱい子ども生んで欲しいんだよね。その子どもらを各国の王族に嫁がせたり養子に入れたりして……うん、いわば結婚外交をしようと思っているのさ。僕らの血を引く子どもがその国の王族として、その国に血を残す。そうやってゆくゆくは僕の血がこの大陸中のすべての王家に蔓延るって考えたらワクワクしないかい? そういう『世界征服』を僕はやりたいんだ。こっちの方がだいぶ平和的だろう?」
(脱力する……)
リラジェンマには相手の真意が視える。
だからウィルフレードが本当に本気で彼流の『世界征服』を望んでいるのが解る。
(武力で押し通そうとしない辺りがウィルらしいと、言えなくもない、のかしらね……)
なんとも斜め上な『世界征服願望』であった。
「メンドクサクないし?」
「僕はメンドクサクないねぇ」
(そうね、あなたは子ども生まないしね!)
にこにこと笑顔で応えるウィルフレードに対するこの憤りはなんだろうとリラジェンマはこっそり考える。
「苦労するところは子どもを生むわたくしと、あなたの子どもに任せると?」
少しやさぐれた気分で問えば笑顔で受け止められる。
「絶対苦労するとは限らないよ! 君のように歓迎され愛されるかもしれないし、僕の子なら強く生きて欲しいからね」
確かに、この能天気さは強く生きる秘訣かもしれない。
「呆れたわ」
「誉め言葉として受け取るよ」
リラジェンマの右手を持ち上げ、その甲に唇を寄せるウィルフレード。
(あら? ウィルの願望を叶えるとしたら、わたくしは子どもを何人生まなければならないの?)
周辺諸国の数を思い出し軽く戦慄を覚えるのだが、それはひとまず保留にした。
いま追求すべき問題はそれではない。
「待って、ウィル。ということは。ウナグロッサも併合する気は無い、ということ?」
彼の言うとおり、婚姻によるその血統で諸国を征服(?)するというのなら、実際の併合は眼中にないと聞こえるのだが。
「そうだね。僕としてはウナグロッサという国を残したい。君の祖国だし、『始まりの国』でもあるし」
ウィルフレードは先ほどからリラジェンマの手を弄んでいる。
彼女の手を握ったり、指を絡めてみたり、爪の先に口づけたり。
果ては彼女の手の平にまで唇を落としたあと、自分の頬に当ててうっとりとしている。
「それじゃあ……ウナグロッサの主権はそのまま?」
手を弄ばれながらリラジェンマが問うと、ウィルフレードは事も無げに応えた。
「うん。リラがそのまま女王になればいい。ウナグロッサの女王のまま僕の王妃になる。それでいいと思う」
(ウィルがそれでいいなら、……いいのよね?)
しかしヌエベ王家は代々佑霊の助言に重きをおき、それに従ってきたはずである。
「一と九を足して違う国にしろっていう佑霊の助言はどうするつもりなの?」
リラジェンマの問いにウィルフレードはいつものあの唇の端をあげる笑い方をした。
どうやらこの顔をするときは、なにやら企んでいるときの表情なのだと遅ればせながら認識する。
「あぁ、あれね。だから抽象的なこと言われたなぁって。いくらでも拡大解釈ができるだろ?」
「かくだいかいしゃく?」
「うん。単純に君と僕が結ばれることっていう解釈もありなわけで」
「わたくしとウィルが結ばれる……」
「そう。『一』であるリラと『九』である僕との間に生まれた子どもが新たなレベル、つまり新世界の王になるっていう解釈もあると僕は思うんだ。
そもそも佑霊の助言といってもね、それを絶対聞かなければいけないってことは無いのさ。それこそ決定するのは僕ら生きてる人間で、その僕らは『勘』で判断しているんだからね」
そう言って笑顔を見せるウィルフレードに呆れるやら納得するやら。
もともとグランデヌエベ王国という国は、行き当たりばったりな運営をしているのだった。
「それになにより、キャトゥルグロス王国が滅びた経緯ってのが、まずかの国の王族が死滅したのが始まりらしいからねぇ。僕としては自分の隣国を砂漠化させたくはないんだ」
もし。
もしウナグロッサをただの一地域として扱えば。
その地を治める王族がいなくなれば。
待ち受ける未来は砂漠化した大地となるのだろうか。
「わたくしと、ウィルの子どもがウナグロッサの新たな王になると?」
「うん。それでいいと僕は思うな。だからリラ。僕の傍を離れないでね? 例え女王になっても君は僕のお嫁さん。それは絶対だからね?」
リラジェンマの手に頬ずりしながらあの黄水晶の瞳をとろりと蕩けるように光らせるウィルフレード。
「……もうっ。ウィルには負けたわ」
そう告げた途端、手を引っ張られたリラジェンマの身体はウィルフレードの膝の上に乗っていた。
「でもウィル? いろいろと決めなければならないことが沢山あるわよ」
「まぁそれは、おいおいね」
「おいおいって」
「ゆっくり決めていこう。時間はたっぷりある。ウナグロッサを治めるのは翠の瞳と金髪の王族になるかもしれない。その時はグランデヌエベとの連合王国と名乗っているかもしれない。いずれにせよ、今きっちりと決めてしまうのは違うと思うんだ」
「それ、ウィルの勘がそう告げているの?」
「うん。今決めなければいけないのは――」
◇
ウィルフレード王太子の専属護衛ヘルマン・ゴンサーレスは目のやり場に困っていた。
わりと優れた視力持ちだと自負しているゴンサーレスであるが、こんな時はどう対処すべきなのか。
彼の主君が第一神殿の芝生の上でその妃といちゃいちゃし始めたからだ。
リラジェンマ王太子妃を彼の膝の上に乗せ顔を寄せ、唇をあちこちに触れさせながら睦言を囁いている図、にしか見えないそれは、臣下としては見て見ぬふりが正解だとは思う。
けれど、ちょっと目を離すとすぐに行方をくらましてしまう主である。そこにいる、という確認を怠るわけにはいかない。
しばらく思い悩んだゴンサーレスであったが、彼としては不審者をこの第一神殿に近寄らせなければそれでいいのだ。
横目でちらちらと主たちの動向を窺いつつ、彼は己の職務に心を配った。
◇ ◆ ◇
約四か月後。
グランデヌエベ王国王太子ウィルフレードは王宮の広場を一般市民に開放し、彼の妻である王太子妃を披露した。
市民たちと精霊に自らの妻の名を高らかに喧伝する。
新たに仲間入りする者にセカンドネーム――その者に相応しい名前――を配偶者が与え、それを大々的に喧伝する。これがヌエベ王家の「結婚式」だ。
広場に溢れる市民たちを前に、バルコニーに出たウィルフレードは妻に与えた名を呼んだ。
「我が妃の名はリラジェンマ・ウナグロッサ・ヌエベ」と。
その名に国名を与えられた王太子妃 兼 ウナグロッサの女王は。
艶やかに微笑み市民を魅了したあと、王太子からその唇にキスを贈られ周囲からの大歓声で受け入れられたのだった。
【おしまい】
ここまでお付き合い、ありがとうございました!
『精霊』『始祖霊』という単語は現実世界にも存在しますが、拙作で使われているのと意味合いが微妙に違うと思います。
『佑霊』という単語は造語です。悪しからずご了承くださいませ。
あなたさまのお気に召しましたなら、↓の広告を乗り越え評価をお願い致します。
<(_ _)>
(2022.12.21追記)
このお話の途中、24話あたり。リラとウィルが一日ベッドの住人になっていた間。
ベリンダ王女がウィルフレードの弟の宮へ訪問しております。
その辺りを侍女目線で描いたお話を始めました。
『結婚さえすれば問題解決!…って思った過去がわたしにもあって』
https://ncode.syosetu.com/n3952hz/
もしお時間に余裕があれば、お立ち寄りくださいませ。




