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29.我、ウーナ王家の正しき後継者にして、ウナグロッサを憂う者なり

 

「祭祀といっても難しいことはなにもない。この鉄柱に触れながら祈りの言葉を捧げる。それだけだ」


「それだけって」


 軽く説明をしてくれたウィルフレードであったが、その説明は余りにも大雑把過ぎる。

 リラジェンマは胡乱な瞳をウィルフレードに向ける。


「決められた祈りの言葉などない。大切なのは、声に出すこと。

 声に出して、言葉にして、精霊たちに呼びかける。真摯に。心底からの思いを届ける。

 それを精霊が聞き届けてくれれば成功、となる」


 続けての説明はわりと具体的であった。

 だが『成功』の必要条件が分かりづらい。それは誰が判断するのだろう。

 とりあえず、鉄柱に向き合って立った。


「ただ、距離がある。グランデヌエベを守る佑霊たちの結界もある。それを乗り越えてウナグロッサに届けなければならない。だから」


 そう言ってウィルフレードはリラジェンマの背後に立った。


「僕の力を君の祈りに乗せる。僕の力も一緒に使え」


(心強い、とはこんな感じなのかしら)


 背後に感じるウィルフレードの気配は大きく温かくリラジェンマを優しく包み込んでくれる。


 リラジェンマは両手を前に伸ばして鉄柱に触れた。ひんやりと冷たく固い鉄の感触と、表面に施された飾り彫り。よくよく見ればウナグロッサの紋章に使われる一角獣が小さくそこに彫られていた。


(よくある意匠だから気にも留めなかったけれど、ウナグロッサを象徴するものではあるわね)


「どうした?」


 背後から声をかけられ、その耳を(くすぐ)る囁きに薄く笑う。


「いいえ。タヌキだったら笑ってたというだけ」


 リラジェンマの応えにウィルフレードの気配は戸惑った色を纏った。


「???? どういうこと?」


 再度の問いは無視した。

 目を瞑り、何度か深呼吸を繰り返し気持ちを落ち着かせる。

 昏倒から目覚め感じていた万能感をことさら意識してみる。


(そういえば、ウィルはわたくしの後ろにいるのに、彼の戸惑った気配を感じるなんて……視ていないのに心情が分かるってどういうことなのかしら)


 思い返せば、今日は朝から調子が良い。

 ハンナを始め、バスコ・バラデスらの気持ちが手に取るように理解できた。


(バラデスが心情をはっきり示していたわけではなく、わたくしの能力が向上したから理解できた、ということなのかしら)


 一度昏倒し、それを睡眠によって回復させた。

 目覚めたとき、身体中を(みなぎ)る万能感があった。足の怪我まで快復していた。


(昨日までのわたくしより、今のわたくしの方が強い力を使えるのかしら)


 思いを言葉にして精霊へ届ける。それだけだとウィルフレードは説明した。

 だが、いざ言葉にしようとすると何を言ったらいいのやら戸惑いばかり感じる。


「落ち着いて、リラ。初めて出会う人とすることはなに?」


 ウィルフレードが背後から手を伸ばし、鉄柱に触るリラジェンマの右手の上に彼の手を重ねた。彼の左手はリラジェンマの腹の前に回された。

 右の耳に直接触れるような近さでウィルフレードが囁く。


「だいじょうぶ。リラの、素直な気持ちを言えばいい。君が思う、ウナグロッサの民を想う心の内を」


 民を想う、心の内。

 初めて出会う人に、まずすること。


「……わたくしは、リラジェンマ・ウーナ。ウーナ王家の正しき後継者にして、ウナグロッサを憂う者なり」


 リラジェンマの凛とした声が静かな夜陰に響いた。

 石柱の上でぼんやりと光っていたモノが、その輝きを強くする。


「わたくしは、このグランデヌエベの地にありながら遠き故郷、ウナグロッサを想う。かの地が穏やかであることを。

 ウナグロッサの民を想う。かの地の民の生活が安からんことを」


 言葉として思いを発声した途端、リラジェンマの中から不思議な力が湧き出たのが解った。それらは彼女の掌を通し吸い込まれるように鉄柱の中に流れこんだ。


「精霊たちよ。わたくしの想い、かの地ウナグロッサへ届け給え」


 リラジェンマの声に合わせるかのように、彼女を中心に風が渦巻くように舞い上がる。


「かの地が、お母さまの愛したウナグロッサが、いつも平安でありますように」


 身体中を駆け巡っていた力が両手に集中し、それらが次から次へと鉄柱に吸い込まれる。

 ひんやりと冷たく感じていたはずの鉄柱の表面は、いつしか熱を持ち始めた。

 リラジェンマの言葉に呼応するが如く、表面に施されていた彫刻――リラジェンマの目に留まった一角獣――が徐々に動き始める。


「ウナグロッサの民から悪霊が祓えますように。邪悪なものは滅しますように!」


 ぶわりっと風の音がした。

 同時に地面から夜空に向けて、目に見えない何か強大な力が打ちあがった。それはリラジェンマの身体を通り抜け、彼女の力を根こそぎ奪い取る勢いで螺旋状に鉄柱の周りを駆け上った。


「……っぐっ!」


 リラジェンマの腹に回されていたウィルフレードの大きな左手に力が込められた。

 彼女の右手の上に重ねられた彼の手も熱くなる。

 懸命に両足を踏ん張っていないと一緒に飛ばされそうな勢いの突風の中、リラジェンマは両手に意識を集中させていた。


(熱いっ! 両の(てのひら)が、熱いっ!)


 自分の能力のそれとは違う、別の色の何かが背後から彼女を覆ったのが分かった。それはリラジェンマを保護するかのように取り囲んだかと思うと、彼女の右手を通して鉄柱に吸い込まれていく。


「リラ。上を見て」


 右耳に囁かれたウィルフレードの声に反応し夜空を見上げてみれば。

 鉄柱の表面を飾っていたレリーフの一角獣が、キラキラと白く光りながら柱の表面を螺旋状に駆け上っていくさまが見えた。

 一角獣はそのまま柱の先端から夜空に向け飛び立ち、天空高く舞い上がる。

 それらはキラキラと軌跡を遺しながら、やがて星のひとつに紛れ見えなくなった。


「え? 消えちゃった、の?」


 駄目だったのだろうか。

 リラジェンマの力はかの国には届かず、精霊たちの力を借りたとしても徒労に終わったのだろうか。

 急激に手の平の熱が冷める。

 あんなに熱かった鉄柱は元の、いや、それ以上に冷たい感触をリラジェンマに伝える。


「いいや、リラジェンマ。成功だよ」


 ずっと夜空を見上げていたウィルフレードが囁く。


「君にも視えたかい? 一角獣の姿に変わった精霊たちの姿を。彼ら、ちゃんとウナグロッサ王国方面へと向けて飛んで行った。大丈夫、あの調子ならきちんと届いたよ」


「ほん、とう?」


「本当だとも」


 ふと最初に手を触れた位置にあった彫刻の一角獣を確認してみれば、それはちゃんとそこにあった。


(精霊が、一角獣の形になって、飛んでくれた……? 成功、した? ……え?)


 どくんっ


 耳鳴りがした。

 急激に息苦しくなり視界が狭まる。動悸が酷い。心臓が痛むほどだ。眩暈も同時に感じ、真っ直ぐに立っていられない。


「……っくっ……はっ……」


 苦しいっ、苦しいっ、息が吸えないっ、

 痛い、身体中が急に痛みを訴える、

 耳鳴りが煩い、頭痛がする、苦しい、苦しい、

 このままでは、死んでしまうかも、しれない……っ!


「リラ。リラジェンマ。落ち着いて。落ち着いて息を吐いて、ゆっくりでいいから」


 背後から温かいなにかがリラジェンマを包み込んだ。

 それは優しい金色に光っていた。


「落ち着いて。だいじょうぶだから。僕の声を聞いて」


 右の耳から優しい声。

 背後から大きく温かな気配。

 腹の上に置かれた大きな手からリラジェンマのそれとは違う力が流れ込む。


「息を吐いて……ゆっくり……」


 声に合わせ、ため息のように深く、ゆっくりと息を吐く。


「息を吸って……ゆっくり……柱から手を離そうか」


 声に合わせて息を吸う。掌に感じていた冷たい感触から解放された。同時に右手が温かく大きな手に包み込まれる。


「もう一度……息を吐いて……そう、上手」


 ウィルフレードが静かな声で指示する動作に合わせ、それを繰り返すうちに耳鳴りが治まった。

 煩いほどだった動悸も徐々に治まっていき。

 リラジェンマは急激な寒さを感じ震えた。


「大丈夫。大丈夫だよ、リラジェンマ。急に力を解放させた反動が来ているだけだから。大丈夫、落ち着いて」


 ウィルフレードの甘く落ち着いた声で囁かれる“だいじょうぶ”という響きは、リラジェンマの鼓膜を揺するたびに胸の奥に何かを積み上げていく。


 だいじょうぶ

 だいじょうぶ

 だいじょうぶ


 何度も何度も繰り返される声に甘え、背後にある温かい胸に(もた)れた。



 リラジェンマは軽く意識を無くしていたかもしれない。

 すっかり心拍数も元に戻り、呼吸も普通に出来るようになり、頭痛も治まったころ。

 目を瞑ったままだったリラジェンマは、ふと自分の体勢に気がついた。

 確か、鉄柱に向かって立っていたはずだ。

 それが今、脚を投げ出して地面に腰を下ろしている。背後にある温かい何かを背もたれにして。


(わたくしが寄り掛かっているモノって……もしかしたらウィルかしら)


 脚を投げ出して座り、自分の右肩に温かい『なにか』が乗っている。同時に、自分の右頬に温かい『なにか』が触れている……。

 自分の胴体には後ろからがっしりとした腕が回され固定されている。右手は『なにか』に包まれたまま、持ち上げられて『なにか』に触れている。


(いやいや。『なにか』じゃないわよ。ウィルね。ウィルが背後からわたくしの頬に自分の頬を重ねているのね。で、わたくしの右手はウィルの右頬を触っている、そういうことなのね)


 いつの間にこんな体勢になったのだろう。


(あー、目を開けるのが怖い気がする……)


 とはいえ。

 体勢に疑問は感じるが、リラジェンマは決してそれが嫌なわけではない。

 突然のあの体調不良には驚いたが、ウィルフレードの助言に従ったお陰で早々に回復できた気がするのだ。


(背中、温かいし……気持ちいいわ……)


「リラ。目、覚めた?」


 耳元で囁かれるウィルフレードの声は、相変わらず甘い。


「頭痛いのは、治った?」


 声にまで甘やかされている。そんな気がした。


「力を解放して精霊たちに与えると、一時的にだけど、身動きが取れなくなるんだ。先に言って置けばよかったね……チュッ」


(ん? 『チュッ?』)


 もしかして、もしかすると、いや、もしかしなくても。


(耳を、吸われた?)


「特にリラは初めて祭祀をしたわけだし……あぁ、リラ。目を開けて?」


 ウィルフレードの声に、リラジェンマの身体は素直に反応した。つまり、ぱっちりと目を開けた。


 すると――!


 闇の中、白くぼぅっと浮かび上がるように淡く光る人の形の精霊が、目の前にいた。

 そして、その顔は――


「おかあ、さま……」


 リラジェンマの母、ウナグロッサ王国先代女王の姿が、そこにあった。

 長く光るプラチナブロンドの髪と翠の瞳はそのまま、だが生前の姿より幾分若く幼いような印象の精霊の姿。

 その母の形をした精霊は穏やかな笑顔で手を伸ばし、リラジェンマの左の頬を撫でていた。

 その口がなにか言っているが、リラジェンマには聞こえない。

 しかし口の動きで言いたいことは分かった。


『よ く が ん ば り ま し た。 さ す が、わ た く し の い と し い む す め』


「おかあさま……」


 精霊は優しく、とても優しくリラジェンマの頬を撫でる。

 何度も。

 何度も。

 精霊に触れられている左の頬は温かく、特別な力が注ぎ込まれているのを感じた。


「良かった。もう泣いてないんだね」


 ウィルフレードが精霊に向けて言葉を発する。

 精霊はうつくしく微笑むと、やがて消えて視えなくなった。


「おかあさまっ!」


 目頭が熱くなった。

 いつの間にか涙が溢れ、頬に零れ落ちる。


「泣きながらリラの助命嘆願したあの精霊、やっぱりリラのお母上だったんだね」


「おかあさま……わたくしを、助けてと、ウィルにお願いした、の?」


 生前の母は、リラジェンマに冷淡だったのに。あんなに優しく微笑んで貰った記憶などないのに。


「始祖霊に、なったのに、わたくしについて、来ちゃった、の?」


 いつもいつも、女王としてリラジェンマの前にいた人。国を憂い民を思い、それに生涯を捧げた人。

 なのに。


「精霊になってしまうと、もともと自分が持っていた欲望から逃れることはできないらしいからね。本当にやりたかったことをやる。リラのお母上は、君が心配で仕方なかったのだろう」


「……お、おかあさまぁぁぁぁぁぁぁ」


 リラジェンマは母が死んで以来、初めて声をあげて泣いた。幼い子どものように。


 ウィルフレードがずっと、そんな彼女の頭を優しく撫で続けた。




(こぼれ話 1)

ウィルフレードが祭祀の方法を知っているのは、成人してから国王陛下のお伴で祭祀の現場に立ち会っているから。自身が祈りを捧げたことはありませんが、どういうモノなのかレクチャーは受けていました。

(こぼれ話 2)

ウナグロッサの前女王、リラジェンマのお母さんは、自分を厳しく律し母であるより女王である自分を選んだ人。他人にも自分にも厳しい人でした。

リラジェンマより格段に高い能力を持っていた彼女は、自分の夫の不貞を早々に察知。

仮面夫婦になったお陰でリラジェンマの弟妹は生まれませんでした。

離婚を選択しなかった理由は、ウナグロッサ王家の人間は離婚を認めないという法律があったせい。もし、リラジェンマが出来る前に王配の不貞が発覚していたら、離婚ではなく女王の側室(男)が増えていたことでしょう。

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