27.「ただその時。僕はリラと手を繋いでいた」
「リラは、近衛の詰め所で僕が体調を崩したことをどう見ている?」
ウィルフレードにそう尋ねられたリラジェンマの脳裏に浮かんだのは、子どものような反応を示していた彼の姿。
「……愚妹が臭かったから、とウィルが言っていたけれど詳しい説明は聞いてなかったわね」
けれど、いまそれが関係あるのだろうか。
「僕もあの時まで知らなかったんだ。悪霊って集まるともの凄い悪臭を放つものなんだって」
「え」
目の前で胡坐をかいて座ったウィルフレードが肩を竦める。
「君の愚妹、アレはだめだ。悪霊の温床と言ってもいい状態だった。周囲に酷い悪臭を撒き散らすレベルにまで悪霊どもを引き寄せていた。一つや二つ、悪霊に懐かれている人間ならあそこまでの悪臭にはならない。だがあのレベルになると……」
溜息をつきながら首を振られると、愚妹のそれはどれだけ酷いレベルでの“悪臭”だったのだろうかと閉口する。
「つまり……悪霊は、集まるとヒドイ匂いを放つモノと化して、ウィルはその匂いまで感じられると」
声だけでなく、姿だけでなく、匂いまで感じられるとは。
「そう。あの時僕は久しぶりに精霊酔いを起こして……あぁ、勝手にそう呼んでいるんだけどね、精霊に干渉し過ぎて体調不良を起こすことを。まさか、あんなに大量の悪霊を引き寄せる人間がいるとは思わずにうっかり充てられた。同じ部屋に入るまで気がつかなかった」
あの時のウィルフレードは、本人が『精霊酔い』と呼ぶような状態だった。
(“酔い”というくらいだから、お酒に悪酔いしたときのような、乗り物に酔ったときのような心地だったのかしら)
体験できないリラジェンマには、それがどれほど辛いのか実感としては分からない。
分らないが、もう辛い思いをしなければいいのに、とは思う。
「そこに君が、リラが来てくれた。僕に触れてあの悪霊の酷い気を打ち消してくれた」
「うちけした?」
リラジェンマはなにもしていなかったはずだが。
「そう。君はそこにいるだけで空気が、邪気が祓われる。清浄になる。今まで満ちていた悪意という霧がすーーっと晴れていくのが僕には視えたよ。僕に触れた肩から流れ込む君の清々しい気のお陰で、僕が吸い込んだ悪意も祓って貰えた。混沌とした闇の中に君という一条の光が救いになったんだ。あんなに嬉しかったことはない」
犬のようにリラジェンマに抱き着いたときのことだろうか。カバジェ団長を始め、近衛騎士の皆さんから怒号を受けていたのだが、ウィルはそれを覚えているのだろうか。
(もしかして、ウィルがたびたびわたくしのことを“正常”だって言っていたのは……“清浄”の聞き間違い、というか理解間違い? だったのかしら)
自分の聞き間違いをウィルフレードに確認するのは、逆に恥ずかしいと思ったリラジェンマは黙って彼の言葉のつづきを聞いた。
「それでも精霊酔い状態が続いていた僕は少々混乱していた。あの悪霊の塊にまた会わねばならないのか、そしてこんなにも苦しいのに、この苦しみは誰にも理解されないのかという絶望。それらが相俟って……つまり、駄々を捏ねたんだ。いやだいやだと子どものように」
そこで言葉を切ったウィルフレードはリラジェンマを見つめた。穏やかで温かい黄水晶の瞳は、リラジェンマの心にも温かい火を灯す。
「ただその時。僕はリラと手を繋いでいた」
リラジェンマも思い出した。
突然、頭の中に響いた知らない人の声を。
「あのとき、君と僕とが手を繋ぎ……つまり僕が思うに、僕らふたりの特殊能力が倍増されていた状態で、七代目さまが勝手に術を発動させたんだ」
「ななだいめ、さま?」
「そう。佑霊の中でもわりと古株の方だね。生前はグランデヌエベ王国第七代目国王陛下。死してなお、ご自分が国王だったという自覚を忘れない佑霊だ」
そういえば、国王夫妻との晩餐で過去のグランデヌエベ国王の話は聞いていた。ウィルフレードと同じように精霊の声を聞き取れる特殊能力持ちの国王だったと。
「もしかしてあのとき聞こえた『感覚共有。範囲、城内』というお声が、七代目さま?」
「リラにもやっぱり響いていたのか。そうだ。あれは七代目が僕の意を汲んで、僕の力をむりやり勝手に引き出した現象だ」
「いをくんで? かってに?」
それは……だいぶ無茶なことをされたのではなかろうか。
「そう。僕の『いやだいやだ』という気持ちを汲んで、“それならお前の気持ちを皆に伝えればよかろう?”と。城にいる人間およそすべてに渡る広範囲で僕の『あの悪霊は嫌だ、きらいだ、どっかいっちゃえ』っていう気持ちを共有させたんだ。なんというか……親バカならぬ、究極の爺バカっていう? 子孫思い?」
なんとも面映ゆいという表情でウィルフレードが頬を掻く。子どものように駄々を捏ねていた状況を祖先に労わられる……。ウィルフレードしか味わえない心地なのだろうなと、リラジェンマも一緒に薄く笑った。
「そのお陰かどうかわからないけど、城内の人間すべてがあの愚妹を嫌った。同時に彼女が連れ込んだ悪霊をだいぶ祓うことができた。お陰で四阿で再対面したとき、わりと我慢できたよ」
まぁ、七代目の術の作用ばかりでなく、本人の資質で嫌われる要素は満載だったけどねとウィルフレードは肩を竦める。
そういえばとリラジェンマも思う。バスコ・バラデスは露骨に愚妹を嫌っていたなぁと。
「術を発動させたのは佑霊だけど、その力の根源、というか源は僕の生命力だ。
うーん? 生命力というか、体力とか気力とか……ごめんね、該当する言葉が見当たらなくて上手く説明できないんだけど。
まぁ、その無理矢理使われた術とその有効範囲の広大さに一気に力を使ってしまった僕は昏倒した。しかも僕と手を繋いでいたばかりにリラも巻き込まれた」
「わたくし、も?」
そういえば突然の眩暈と貧血を覚えた。
「そう。リラの力も使っての、あの“感覚共有”が発動されたんだ」
ウィルフレードは語る。
七代目国王陛下は帝国時代に栄えていた『失われた魔法』を復活させるべく尽力した方だったと。
彼は自分が調べたそれらを古代語で記し遺した。
子どもだったウィルフレードはそれらを翻訳し知ることとなったが、魔法を使うための力が足りず魔法発動は不発に終わる。
だが、自分の力だけでなく精霊の力も借りれば発動できると判明した。
実例としては、目くらましの術。ウィルフレードがよく側近から逃走しているアレだ。一定時間、他者の目を欺く効果があるという。
(なるほど。それであの『ふんだんに精霊のご加護を受けた方』という認識になるのね)
いつぞやのバスコ・バラデスの言を思い出し、半笑いになってしまうリラジェンマであった。
「いま、七代目さまはいらっしゃるの?」
「んー? ……どうかなぁ……」
リラジェンマの問いに夜空を見上げ星を眺めている風のウィルフレード。
彼の目にはあの星以上に精霊が視えているのか。
「勝手に魔法をかけるなんて……せめて、事前にひとことでも伝えて貰えないものでしょうか。あんな急に倒れられたら吃驚してしまうわ」
しかもふたり揃って昏倒したのだ。周囲の慌てようはとんでもないものだったと話を聞いている。
「“子孫思い”でやったことだからねぇ。しかも相手は佑霊だ。基本、好き勝手に動く奴らだ。僕らにその術の発動に適うだけの力があったから、やった。悪気は一切ない。
多分、君と手を繋いでいなかったら起こらなかった事故ってかんじかな」
半分諦めたような表情で語るウィルフレード。
「事故、ですか」
「……です」
「精霊からの認識はそうなるのね」
「ハイ」
精霊との付き合い方はウィルフレードの方が一家言持っている。といっても、語れるのはこの世にウィルフレードだけであろう。
リラジェンマには『ほどほどにしてと伝えてください』としか言えない。
「そこで。仮説ひとつめだ。僕らが力を合わせると、いつも以上の能力が引き出されるということ。さらに本来なら使えなかった術も、精霊の力を借りれば使える」
「それは……仮説ではなく実証されているのでは?」
リラジェンマがそう言えば、ウィルフレードはなるほどと膝を叩いた。
「確かに。どちらかというと、条件のひとつ、かな。まぁまぁ、続きがあるから聞いて? リラ。
この大陸に帝国が繁栄を築いていたのは今から何年前だって習った?」
いきなり歴史の講義のようなことを言い出すウィルフレードに面喰う。
「約千年まえ、だと」
リラジェンマの答えを聞いたウィルフレードは嬉しそうに笑った。
「そう。魔法やらこの鉄柱みたいな不可思議な技術やらで繁栄していたのがそれくらい前だと僕も習ったよ。
では。我がグランデヌエベは建国から何年経っている? ウナグロッサは?」
「……どちらも、約500年」
「そう。不思議じゃないか? 帝国は千年前に滅んだ。我々の王国は建国500年ほど。帝国滅亡から我が国が興るまで約500年の空白があるんだ。記録されなかった期間が。なにかが、あった。でも記されなかった。僕はずっとそれを調べたかった。そこに君の発言だ」
「わたくし?」
ウィルフレードは彼の後ろに聳え立つ鉄柱を指差した。
「言っただろ? “ウナグロッサのあれは円柱だ”って。しかも山の上にあり、君らはその場を“大神殿”と呼んでいると。ねぇ? ウナグロッサの姫? 家名も“ウーナ”」




