26.ウィルフレードと第一神殿で
用意させた馬車で、ベリンダたち四名(三名の騎士を含む)を国境検問所まで送り届けたという報をリラジェンマが聞いたのは、四阿での会談があった日の夜。
ウィルフレードとの晩餐中に妙に上機嫌なバスコ・バラデスから報告を受けた。
「あの子、こちらで用意させたドレスやお飾りを何点か持ち帰ったのではなくて?」
頭の痛いことだと思いながらリラジェンマが問うと、バラデスが薄く笑いながら報告を続けた。
「えぇ。妃殿下のお察しのとおりです。ですが……今回、王妃陛下お抱え商会の全面協力のもと、かの姫の為に身の回りのお衣装、装飾品などを多数取り揃えたのでございますが……、その商会に持ち込まれる下請け業者のサンプル品をわざと数点潜り込ませていたのですがね。なんと申しましょうか、いえ、ご本人がお選びになったのですから、わたくし共にはどうにも出来なかったのですがね――」
なんとも嬉しそうに語られるそれは、ベリンダが聞けば屈辱が二倍増しになる事実であったろう。
ピンからキリまで取り揃えられた中から、ベリンダ本人に選ばせたそれは、ものの見事に安価で粗悪な商品ばかりを選択したらしいのだ。
“本当にそちらのネックレスをお選びに?”と恐る恐る侍女(伯爵家の令嬢で、それなりにモノを見る目がある)が尋ねると、“だって凄くキラキラと光ってるわ! こんな輝き見たことないもん”と掴んで離さなかったらしい。
本物とイミテーションの違いも判らないのかとその侍女は唖然としたのだとか。
ドレスにしろ装飾品にしろ、一事が万事その調子(その分、とんでもなく時間をかけての選択)だったようで、迎賓館担当の侍女たちから今頃は宮殿で働くすべての従業員たちに広がっているだろうとバスコ・バラデスは人の悪い笑みを浮かべて言う。
「ですのでイミテーションの、それもサンプル品で、物によっては粗悪品を数点持ち逃げされたところで、こちらとしてはたいした損害ではないかと。妃殿下がお心を痛めることなどなにもございません」
(そういえば……昼間の四阿で見たあの子のお飾りも不自然な光り方をしていたわ)
なるほどと納得するベリンダのマヌケな所業は、グランデヌエベ王国・王太子妃としてはただ嘲笑って終わりにするか、そのマヌケさ具合を引き合いに出して今後の国交に生かすか。どちらにしても対岸の火事として捨て置ける。
けれど。
(宝石を売って外貨を稼いでいるウナグロッサの者がイミテーションを見分けられないなんて、恥だわ。恥以前だわ。そんな調子でこの先やっていけるの?)
ウナグロッサ王国の第一王女として育ったリラジェンマにとってはそこで終わってはいけない問題だ。
やはりアレにあの国を任せる訳にはいかない。
どうしてもそう考えてしまう。
内政干渉になるが、こちら側から手を回すべきか。
それとも……。
「リラ。食事が済んだのなら第一神殿へ行こう」
至極まじめな顔をしたウィルフレードがリラジェンマにエスコートの手を差しだした。
(そういえば、足が治ったら第一神殿へ行って祭祀を試してみるって言っていたわね)
ウィルフレードは聡い。
もしかしたらリラジェンマが物思いに沈みかけた思考を正確に読み取ったかもしれない。
ウィルフレードに手を引かれながら、リラジェンマはぼんやりと考えていた。
いつまでウィルフレードのこの手を取っていられるだろう、と。
◇
グランデヌエベ王国・第一神殿。
ウィルフレードに初めて連れてきて貰ってから既に二か月が経過している。
ここの芝生はあの日と同じ、いつものとおり青々とうつくしい。芝生の周りをぐるりと囲む石柱の上部がぼぅっと光り、辺りが完全に暗闇に閉ざされるのを防いでいる。
今日、あの日と違うのは訪れた時間。
夜空には満天の星。いくつもの小さな煌めきがリラジェンマを見下ろしている。
「さて。祭祀のことだけど。神殿で精霊たちに祈りを捧げる……わけだけど、一番の目的はなんだと思う? なんのためにこんなことしてると思う?」
芝生に足を踏み入れほぼ中央――あの鉄柱の側――まで来たとき、ウィルフレードはリラジェンマにそう尋ねた。
ここに来るまでの道々ずっと沈黙を守っていたウィルフレードの突然の問いに、リラジェンマは面食らう。
「え? それは……雨が続いたとき、とか……」
王は祭祀を行う。
そういうものだと、それが当たり前だと思っていた。
長雨が続いたとき。
日照りが続いたとき。
リラジェンマの母は祭祀を行うと言って、大神殿へ赴いていた。
「うん。天候不順が続いたときも祭祀を行うね。精霊や佑霊に祈りを捧げ、慈雨豊穣のため彼らの助力を祈願する。でも主目的はそれじゃない。祭祀の一番の目的はね、悪霊を祓うためにある」
「あくりょう、を、はらう」
「そう」
悪霊。
死んだ人間はすべて精霊になるこの世界で、恨みを持ちつつ死んだ者や誰にも弔われず寂しく死んだ者がなるといわれている。現世に生きている人間を恨み、不運を齎す存在。
「僕が佑霊から聞いた話だけどね。悪霊って、存在そのものは一般的な普通の精霊より小さく弱い。
だけど周囲に多大な悪影響を与える存在なんだって。
普通の精霊でも悪霊と触れあうことによって影響を受け悪霊に変化してしまう。そうやってどんどん増えて、人の世に災いとなり関わってこようとする。
人を呪い、破滅に導く存在。それが悪霊なんだと」
「どんどん、ふえる?」
「そう。だから定期的に祓わなければならない。僕はそう聞いた」
「祭祀で祓えるの?」
「少なくとも、グランデヌエベではそうだ。父上は定期的に国内の神殿巡りをして祈りを捧げている。たぶん、ウナグロッサでもそうだったと思う。ただ……、正しい祭祀は王族が捧げる祈りでないと意味がないそうだから、前女王が亡くなってからろくな祭祀を行っていないウナグロッサは……悪霊が蔓延っている状態だ」
「はびこって、いる」
「そう。リラを迎えに行ったとき驚いた。王太女を守る親衛隊? だったかな、彼らの中の何人かが悪霊に懐かれ始めていた」
「なつかれ、はじめる?」
「そう。本来、騎士団や近衛隊の人間は佑霊……あぁ、ウナグロッサでは『始祖霊』というのだったかな。始祖霊に懐かれ易いはずなんだ。生前の自分がその任についていたから、後輩を応援したり守ったりするはずで……だというのに、始祖霊は見当たらず悪霊が微妙な数だけど、いて……」
そういえば、初めて会ったときのウィルフレードはウナグロッサの王太女親衛隊を見ながら言った。
『微妙……混じってんなぁ』と。
リラジェンマはそれを聞き、親衛隊の質が“微妙”なのか、と推測したのだが、“微妙”な数の悪霊が存在し始めたことを差していたのだ。
「あの時は、まだ悪さする程の数ではなかったけど……今現在はどうなっているのか、私にもわからない」
ウナグロッサは前女王が亡くなってから八年もの間、まともな祭祀を行っていない。ということは……。
「ウナグロッサが悪天候に見舞われている理由は、悪霊が蔓延しているせいなのね」
確認するようにリラジェンマが口にすれば、ウィルフレードは頷いた。
「推測ではあるが、たぶんそうだ。それと正しい後継者である君の不在」
「わたくし?」
「そう。君がいたからこそ、ぎりぎり均衡を保っていたのだと思う。始祖霊たちは国を、というより君を守るために存在していたように、私には感じた。その君がいなくなったから、始祖霊は働かなくなった」
ウィルフレードは推測だというが、恐らくその推測は正確に状況を捉えている。
八年間、正しい祭祀を行わなかったせいで増えた悪霊。
守る対象を失い機能しなくなった始祖霊。
人の世に介入したがる悪霊たちにより、長雨がつづく。
――それが現在のウナグロッサ。
「……ウィル。わたくし……わたくしはウナグロッサに戻りたい。戻って大神殿でちゃんと祭祀を執り行いたいの。正統な王として」
(とうとう言ってしまった)
自分の本当の望み。自分を育んだウナグロッサと、かの国の民のために正式な祭祀を執り行いたいという。
(だから、わたくしの方から“好き”って言えなかったのだわ)
ウィルフレードが示す愛情表現が嬉しかったのは確か。でも同じ言葉を返せなかったのはなぜだろうと密かに疑問に思っていた。
いつも飄々として捉えどころのない彼が信じきれないのかも? と思ったが、そうではなかったのだ。
リラジェンマが彼女の義務を、『女王になるはずだった自分』を放棄できなかったのだ。
だから、ウィルフレードに応えることが出来なかった。
いずれ、今日のような決心をする日がくると予感していたから。
「なんのために?」
「え?」
意外なほど無表情のまま、ウィルフレードは問う。それはグランデヌエベ王国王太子としての問いであった。
「なんのために戻ると? リラ。君は既にこの国の人間だ。今日の昼間も君の愚妹相手に言っていたじゃないか。終始相手の名前は呼ばず他国の人間として扱い、“何やら世迷言をほざき、我が国に入国したようだが”と言った。完全にグランデヌエベ国民としての発言だったな、あれは。私はとても嬉しく誇らしかった」
そうだっただろうか。
あのときのリラジェンマは、ただ夢中だった。早くあの愚妹を退去させたかっただけで、そこまで深く考えて行動したわけではない。
あのときは、ウィルフレードが辛そうだったから。
ただ、夢中で。
ウィルフレードの、ために。
「それに、ちょっと武力をちらつかせて脅せば世継ぎ姫をホイホイ差し出すような国だぞ? そんな国に戻りたいのか?」
重ねて問われ、ウナグロッサ上層部の人間の顔を思い出す。
(確かに、上層部の者たちは半数以上、国王代理の言いなりのようになっていたわ)
それでも残り半数はリラジェンマのためにと、真摯に働いてくれていた。
あの国にいる血の繋がった肉親は父のみ。その父がリラジェンマを他国へ追いやった。
しかし。
だまし討ちのような状態で王宮を出たとはいえ、リラジェンマ自身が納得して出国したのだ。
国民を守るために、と。
「父に未練があるわけではありません。上層部の半分はお飾りです。それでもわたくしには……あの国を、なんの罪もない国民を見捨てることは、どうしてもできない。……それだけです」
長雨が続いて被害に遭うのは国民だ。
国力が衰え、飢えて、一番の被害を被るのも国民だ。
『だれもかれも愛すべきわたくしの国民です』
生前の母の言葉が脳裏を過る。
『いずれ女王となるあなたは国民ひとりひとりを守らなければなりません。それが上に立つ者の努めなのです。
リラジェンマ。努々それを忘れてはなりませんよ』
母は最期まで女王として生きた。長雨の中、大神殿へ赴きその帰りに事故にあって命を落とした。そんな彼女の生き方をリラジェンマは誇りに思う。
「やっぱりわたくしはウナグロッサの王女なのです。愛する国民を捨てられません。
だから……ウィルフレード王太子殿下。わたくしに祭祀の方法を教えて下さい。お願い致します」
リラジェンマはそう言いながらウィルフレードの前に跪いた。
まっすぐに顔を上げ、ウィルフレードの顔を見つめる。
場の空気がピンと張り詰め、どこか寒々しい。
王太子の顔をしたウィルフレードは、ただ黙ってリラジェンマを見つめ返す。
その黄水晶の瞳はいつも蕩けるようにリラジェンマを見つめていたのだが、そこから読み取れるものは――今はなにも、無かった。
(ウィルのくれた言葉の数々、嬉しかったわ)
好きだと。
一緒にいたいのだと。
小さな人形にして持ち歩きたいくらいなのだと。
彼の他愛ない言葉が嬉しかった。
彼と一緒にいたいと思ってしまった。
だが、自分は責任ある王女として生まれ育ったのだ。その責任を全うする義務があるのだ。
この恋心は封印しなければならないのだ。
彼とは結ばれず、自分は女王として生きる――
「とりあえず」
そう言いながらウィルフレードは芝生の上――跪いたリラジェンマの正面――に腰を下ろした。
「僕の立てた仮説、聞いてくれないかな。リラもちゃんと座って。長い話になるから」
(ん……? わたくし、わりと悲壮な覚悟で提案したのだけど)
先ほどまでの張り詰めた空気が、いつの間にか無くなっている。
ウィルフレードが口の右端をあげて笑う、なにか企む様な笑顔を見せたときから。




