24.「リラ。君が謝る必要はない」……。
◇ 時間を少し戻して ◇
舞踏会があった夜、ウナグロッサ王国第二王女ベリンダ・ウーナは迎賓館の一室に無理矢理押し込められた。
騎士ごときに両腕を摑まれ、放り出されるように。
王女である自分にそこまで無礼を働くとは思いもしなかったベリンダは、大声をあげ不満を訴えたが誰ひとり聞き入れてくれなかった。
ベリンダの身の回りの世話をするメイドを呼べば、女性騎士まで付き添ってくる。女のくせに怪力でベリンダの言うことなど一切聞かないこの女性騎士がベリンダは大嫌いだ。
「なに? わたしを監視してんの?」
この女性騎士はさも当然というようにベリンダを睨んだが何も言わなかった。
ベリンダに用意された夜着は上等なものであったが、色が気に入らなかったので取り替えさせた。
ベリンダの髪を梳かす栄誉を与えた侍女は、手際が悪く何度も髪を強く引っ張るので叱責して交代させた。
入浴の準備はさせたが、気分が乗らなかったので入らずに寝ることにした。
すべてが気に入らなかった。
ベリンダがせっかく来たというのに、あの忌々しい異母姉に阻まれ王太子に会えなかった。
あの女さえいなければ。王太子に会いさえすれば、ベリンダの思いどおりになったはずなのに。
騎士ごときにとんでもない力で握りこまれた手首には痣ができた。
いつもベリンダの髪を梳かす時に用いる専用の香油がないせいで気分がノラないし、強く引っ張られた髪の根元が痛む。ベリンダの繊細でうつくしい髪は特に気を付けて手入れしなければならないというのに。
すべてが上手くいかない。
寝台に入ったはいいが、イライラして眠れない。
気分を変えようと窓を少し開けると、眼下に警備の兵士がふたりいるのが見えた。彼らは上階にいるベリンダに気がついていない。気付かぬまま、ぼそぼそと無駄話を続けていた。
「今度こそちゃんと部屋に籠って、出てこないで貰いたいもんだな」
「まったくだ。俺らがどんだけ苦労したと思ってんだか。このお姫さん、本当に王族なのか? 普通のお姫さんが真夜中の庭園の、しかも舗装もされていない森の中に入るなんて思わねぇよ。ウナグロッサの教育はどうなってんだ?」
「いやいや、リラジェンマさまを拝見すれば解るだろう? 教育のせいじゃねぇよ、このオヒメサマが特殊なんだよ、ト・ク・ベ・ツ!」
「あー、俺、聞いたぞ。ウナグロッサの第二王女は姉姫の婚約者を寝取った性悪だってさ」
「はーあ? 俺、うちの王太子殿下の本当の花嫁は自分なんだって息巻いてきたって聞いたぞ? 姉の婚約者を寝取っておいて、また性懲りもなく結婚相手を替えろって乗り込んできたっていうのか⁈ 恥という概念はないのか?」
「あれば来ない」
「なるほど。恥知らずか」
「あぁ。たまーにいるよな、そういう恥知らず。恥は“かく”ものじゃなくて“かかされる”ものだって思ってるタイプ」
「あー、なるほど、なるほど。反省ができない輩だな。だから常に“かかされる”恥に憤怒している。低能といってもいい」
「自分で“恥かいた”って思えたら反省できるから、二度と繰り返さないようになるのに」
「学習能力がないんだよ」
「ある意味、不憫なんだな」
「そうそう」
「俺、さっきリラジェンマ妃殿下とこのオヒメサンとの会談、廊下から聞いてたんだけどさ。同じ場所にいながら違う次元の話をしているのかと錯覚を起こしたぞ」
「あぁ。俺はイバルリ小隊長からそれ聞いた。とんでもなく人の言葉を理解できない低能だって言ってたぞ」
「そういうタイプは自分の見たいものしか見ないから厄介なんだよ」
彼らは夜勤の合間の暇つぶしに他愛ない駄話をしていた。
『性悪』『恥知らず』『反省ができない輩』『低能』『学習能力がない』『不憫』『違う次元』『厄介』
自分に対する第三者の評価がこんなに酷いとは、ベリンダは夢にも思わなかった。
それもこれも全部。
異母姉リラジェンマのせいだと思った。
◇ ◆ ◇
まる一日、ほぼ寝たきり生活だった翌日。
パチリと目覚めたリラジェンマは自身の体調に驚いた。
前日までの身体中の倦怠感や疲労感が嘘のようにすっきりと解消されている。なんならそれ以上に体調が良い。
良いというか万全。むしろ漲っているような心地で、空気まで澄んで見える。驚いたことに、負傷していた踵の怪我まですっかり完治していた。
ウィルフレードとぴったり吸い付くように離れなかった手は自然と解けていた。
(妙に冴えている、というか……不思議な感覚だわ)
すっきりと目覚めたリラジェンマは、ハンナたち侍女を呼ぶと早々にベッドを抜け出し自室に戻った。
(なにかしら、この感覚。なんでもやればできると絶対確定しているような……自信が漲るような……万能感?)
特に、ウィルフレードと繋いでいた右手から感じる『何か』があって、握ったり開いたりしながらじっと見つめてしまう。
とはいえ、それが何なのか形容できずもどかしい。
侍女たちの手を借り入浴、身支度を済ませ朝食を取っているとウィルフレードも食堂に来た。
見たところ、どうやら彼も体調は万全のようでホッとする。
「リラ。僕に一言もなく部屋に戻るなんて」
「あら。伝言は残したはずですが」
実は目覚めた瞬間、彼の顔も見ることなく早急に部屋を出ていた。
体調は万全なのだ。そんな状態のときにウィルフレードのあの秀麗な寝顔など見たら、今度は確実に叫び声をあげてしまいそうな予感がしたからだ。
(昨日は疲れ果てて声すら出なかったから大丈夫だったけど)
無様な自分を見せるわけにはいかない。リラジェンマはそう考えていたのだが。
「伝言は聞いた。でも、僕は直接リラの顔が見たかった」
ウィルフレードの顔をちゃんと見れば、唇を突き出した子どものような不機嫌丸出しの不満顔。
ふと、昨日の朝見た彼の喜色満面の笑みを思い出す。
昨日の彼の、とてもとても嬉しそうな、あの。
花が乱れ飛んだように可愛かった、あの。
今朝、彼は目覚めた直後リラジェンマの不在を知り落胆したのかもしれない。
悲しんだのかもしれない。
あれだけの喜びようを表現した彼だ。悲しみも超級のものだっただろう。
(そう思うと、ちょっと悪いことをしたのかも……)
自分の存在をあのように喜んでもらえるなんて思ってもいなかったせいで、逆に狼狽えてしまったのだ。ウィルフレードを落胆させたかったわけではない。
……ただ、動揺を見られたくなかっただけで。
「女は寝起きの顔を見られるのを良しとしませんわ。お察しくださいませ」
なんとか澄ましてそう応えると、リラジェンマのすぐ傍の席に着きじっと彼女を見つめ続けるウィルフレードは不満顔のまま物騒なことを言い出す。
「早くリラジェンマの寝起きを毎朝見たい」
「……っぐっ!」
飲み込みかけたサラダが喉に詰まった。給仕のために控えていたメイドの動きがピタリと止まったのが目の端に映る。
「毎朝毎晩見て、髪を撫でて、頬を撫でて」
「~~~っ」
慌ててコップの水を喉に流し込んだが、やっぱり喉に詰まる。羞恥で爆発しそうだ。
「抱きしめて眠って、朝一番に顔を見て『おはよう』って言って」
もはや食事など続けられない。ウィルフレードはなぜこれを真顔で言えるのか、リラジェンマには心底不思議である。彼は羞恥心を持っていないのでは、とさえ思う。
「君の髪に絡まって起きたい」
(なによそれは⁇⁈)
「莫迦ですか。戯言も大概になさいませっ」
「心の底から本気だっ! 君には解かるだろうっ?」
「解かるから言ってます! 莫迦ですね⁈ なんですか、その『髪に絡まって起きたい』って!」
「だってリラは髪の先まで清浄で触っているだけで気分がいいし気持ちいいし嬉しいし」
「あー! あー! もう! その辺で勘弁してくださいっ! みなが聞いてますっ!」
「聞かせている!」
「悪趣味っ!」
「悪くないっ。出来れば君を手の平サイズの小さなお人形にして持ち歩きたいくらいだというのにっ」
「今度は猟奇的っ!」
「え? どこがっ?」
「おふたかた。バスコ・バラデス卿がご報告申し上げたいと扉前で待機しております。お通ししてもよろしゅうございますか?」
ハンナの横槍が入らなければ、メイドたちに生温かく見守られながら延々と、どうしようもない会話を続けていただろう。
(助かったわ、ハンナ)
もっとも、その横槍を入れたハンナは彼らを温かく見守る筆頭でもあるのだが。
取り敢えず、リラジェンマは食事を終えた。
ウィルフレードは朝食を取りながら報告を聞くと言い、バラデスの入室を許可した。
「おはようございます。両殿下、ご体調が戻ったと聞き安堵いたしました」
現れたバスコ・バラデスは一目見てその不機嫌が分かった。
いや、笑顔ではある。
髪も衣服もきちんと整えうつくしく丁寧にお辞儀をするさまは、一級の官吏に相応しいそれである。
だが、視れば視るほど彼が不機嫌であるのが伝わってくる。
(今までこんなに感情を剥き出しにする人だったかしら)
「昨日一日、寝込んで悪かった」
ウィルフレードがマフィンを口に入れながら告げ、彼が不在だった昨日の出来事を報告させた。
バスコ・バラデスはこめかみに青筋を立てたままの良い笑顔で語った。
ウナグロッサ王国第二王女ベリンダ・ウーナの昨日一日の様子を。
「王妃陛下にもご協力をいただきまして、第二王女のための衣装を数々取り揃えさせて頂きまして、それをご本人にお選び頂きまして、数時間かけてお衣装選びに興じていらっしゃいまして」
王妃陛下にご協力? とギョッとしたリラジェンマであった。
そういえば彼女は服飾専門の商会のパトロンであり、自身もデザイナーとして名を連ねている。だが王妃陛下の扱うものはすべて一流、金額もそれに見合ったものになる。
(あの子ってば、他国で浪費する気なのかしら。まさか、その費用はわたくし持ちになるとか考えていないでしょうね? いいえ、考えていそうだわ)
招待客ならともかく、自分から押しかけて来ているのだ。かかった費用はすべてウナグロッサの父に請求しようと思いつつ、バラデスの話を聞く。
「王太子夫妻は外せないご公務がありますので、申し訳ないが本日のご面会は叶いませんとお伝えしたところ、その、なんと申しましょうか、えぇと……淑女が使うとはとても思えない単語で罵られまして……あぁ、妃殿下。そのようなお顔をなさらずともようございます。不条理な物言いを受けるのは官吏の常でございますれば」
(うん、こめかみに見える青筋は気のせいじゃなかったわ)
「それで?」
食後のお茶を飲みながらウィルフレードが先を促す。
「午後はベネディクト王子夫妻がお茶会に招いて下さいまして、第二王子宮へ赴かれました。……そしてあの方は、どうしたいのでしょうな!
王太子殿下の本当の花嫁は自分だと乗り込んできたくせに、よりにもよって、その弟であるベネディクト殿下に対し奉り、傍目には口説き落とすような雰囲気で話しかけておりまして。
なんと申しましょうか、えぇ、この際言わせていただきますが、側に控えながらも非常に不愉快になりまして。勿論、ベネディクト殿下もセレーネ妃殿下も満遍なく不愉快におなりのようでした」
(頭が痛い……)
先ほどからずっと感じていたバラデスの不機嫌さの理由はこれかと思うと頭痛とともに申し訳なさに苛まれる。異母妹の所業を聞けば聞くほど情けなさに泣きそうであった。
「とはいえ、一昨日の近衛騎士団詰め所でのあの方のご様子は既にお伝えしておりましたので、ベネディクト殿下にも不問にするというお言葉を頂いております。
夜には迎賓館にお戻り頂き、その後は館から出していません」
言葉の端々に、いかにベリンダが我が儘放題に振舞っていたのか伝わってきたので、身の回りの世話をした者たちもバラデスと同じように不愉快さを味わったに違いない。
「バラデス。あなたにも、迎賓館担当の者たちにも迷惑をかけましたね。ウナグロッサの者として代わりに詫びます」
異母妹が想定外に下品な行動をとっていたのだとこめかみを抑えつつ謝罪の言葉を述べると、バラデスも慌てたように畏まった。
「妃殿下、それは」
「リラ。君が謝る必要はない。第二王女の入国を許可した僕の責任だから」
バラデスの言葉の途中から被せるように、ウィルフレードが声を出した。
テーブルナプキンで口元を優雅に拭いながら。
「うん、今日の午後。会おう。会ってちゃんと話して帰国させよう」
持っていたテーブルナプキンをくしゃりと丸めると、どこか覚悟を決めた風情でウィルフレードが言った。
(こぼれ話)
作中、バスコ・バラデスが“あの方は、どうしたいのでしょうな!”と憤慨したベリンダ王女の詳細を、別視点から語られる話があります。
拙作『結婚さえすれば問題解決!…って思った過去がわたしにもあって』(N3952HZ)
ベネディクト第二王子宮の侍女の目から見た隣国王女のようす。
併せてお楽しみ頂ければ幸いです。




