19.「君の異母妹が、じきに来る」……‼
夕闇が迫るころ、リラジェンマのもとにウィルフレードが訪れた。
一歩入室しリラジェンマをひとめ見た彼は、頬を紅潮させパァッと瞳を輝かせた。音声としては聞こえなかったが、彼の唇が「かわいい……」という形で動いたのが分かった。
本日のウィルフレードは夜会用だろう黒を基調としたタキシード――白金の刺繍が施されている―――を纏っている。襟元を飾るクラバットは翠色。彼が耳につけたイヤーカフ――白金の地――に施された宝石も翠色。リラジェンマの瞳の色だ。
ウィルフレードはリラジェンマを前にして喜怒哀楽を隠さない。
だれに対しても感情を隠すよう教えられたリラジェンマにとって、彼という存在は驚異だ。いつでもなにをしても、新鮮な表情を見せてくれるウィルフレードに惹きつけられる。
そのウィルフレードが、切れ長の一重を笑みの形に変え……て、がっくりと膝をつくと、苦渋に満ちた声でなにやら呻きだした。
「くっ……は~は~う~え~~っ!」
「え? どうしたの、ウィル?」
地を這うような低い声を出したウィルフレードの突然の行動に、疑問しかないリラジェンマ。
彼女の問いに応えず、彼は部屋の隅に控えていた侍女頭に顔を向けた。
「ハンナっ! どうしてリラが着ているドレスがこれなんだ⁈ 僕が用意した物は⁈ 可愛いけどっ! 凄く可愛いけどもっ‼」
一歩前に足を踏み出し優雅に畏まったハンナは余裕の笑みを見せ応えた。
「本日は、こちらのドレスをお召しいただくよう、王妃陛下よりご指示を承っておりますれば」
「ハンナっ」
いま纏っているリラジェンマの衣装は、そのどこにもウィルフレードの色彩はない。だれが見ても一目瞭然。リラジェンマを花嫁だと「我が妃」だと公言するウィルフレードとしては、不満に思っても致し方ない。そんなこと、この聡い侍女は承知しているはずだとウィルフレードは詰め寄るが。
「王太子殿下におかれましても、ヌエベ家の皆々様が勢揃いすれば王妃陛下のお考えがお判りいただけるかと」
侍女頭のハンナはウィルフレード王太子の訴えをあっさりと受け流し、いい笑顔で太鼓判を押した。
(ヌエベ家の皆々様が勢揃いすれば?)
なぞかけのようなハンナの言葉を理解したのは、舞踏会入場前に王族専用の控室に足を踏み入れた時であった。
リラジェンマたちより先にその部屋で待機していたのは、ビクトール国王、ヴィルヘルミーナ王妃、ベネディクト第二王子、セレーネ第二王子妃の四名。
「あぁ! リラ! わたくしの選んだ衣装の似合うこと! 素晴らしいわっ! なんて愛らしいのでしょう!」
そう言いながら駆け寄ってきたヴィルヘルミーナ王妃陛下が着用しているドレスは白を基調としているが、そこここに翠のレースをアクセントに使われたイブニングドレス。スカートの前面にわざと開いたスリットがあり、王妃陛下が歩くたびに彼女のうつくしい膝下が晒される。その足が履いているのは、リラジェンマが履いているのと同型のミュール。
(おかあさま……お足元がっ。ミュールを目立たせるために、わざと露出させるなんて革新的だわ! ナイティみたいで色っぽい……ドキドキしちゃう。……それに、もしかしてわたくしの色彩を纏っていらっしゃるの?)
彼女の首元を飾るネックレスの宝石も翠。ティアラやピアス、ブレスレットまで同じ翠色だ。
因みに、彼女はウィルフレードと同じ金髪と、薄紫の瞳。彼女自身に翠色の要素はない。
恐る恐る国王陛下を見れば、彼もウィルフレードが着ているような銀糸で刺繍が施された暗い色のタキシードを着用していた。勿論、首元のクラバットは翠色。
(陛下までっ⁈)
ブルネットの髪に黄水晶の瞳をもつビクトール国王陛下にも、翠色の要素はない。
「リラさま。本当によくお似合いです。王妃陛下のお見立ては確かですわね」
王妃の後ろから顔を出したセレーネ妃が笑顔でリラジェンマを褒める。
彼女のドレスも翠色が主体。流石に瞳の色が翠色のセレーネ妃がこの色のドレスをまとっても違和感はない。とはいえ、こうもあからさまに翠色を主張したドレスを着るものだろうか。
(着るときもあるでしょうけど、こうやって皆さまが勢揃いされるとその意図はあからさまになるわね……)
彼女の夫、ベネディクト王子殿下もやはり銀糸の刺繍がうつくしい黒のタキシードに、クラバットも翠。この『妻バカ』である殿下は妻の色を纏って至極当然という顔をしている。
(でもその銀糸の刺繍……わたくしの髪の色に寄せているわね)
因みに、ベネディクト殿下の瞳も黄水晶。髪は青銅色。
(あなたの妻はあなたの色を纏っていませんが、それは無視? えぇ、それが家庭円満の第一歩ですわね)
「なるほど。王家全員がリラの後ろ盾だと無言のアピールが出来るな」
ウィルフレードが溜息混じりに呟いた。
(ハンナの言っていた“ヌエベ家の皆々様が勢揃いすれば”ってこれのことなのね)
とはいえ。
「おかあさま。よろしいのですか?」
こうまであからさまにしてもいいのかとリラジェンマが問えば。
「うふ。よくてよ。どうやら貴族たちはリラの情報を掴みかねているみたいでね。だから思い知らせてあげるの。リラが既にわたくしたちの家族だという現実をね」
冴え冴えとした微笑を湛えてヴィルヘルミーナ王妃は応えた。リラジェンマの瞳には王妃の背後にあの威風堂々とした女神像が視える。
「兄上がわざわざ出向いてその手で連れ帰った。この意味を認められない輩も数人、いるんですよ。嘆かわしいことに」
ベネディクト第二王子も肩を竦めながら王妃に続く。右の口の端だけを持ち上げる笑い方は、男性的な風貌の彼がするとなんだか悪巧みをしているようだ。
「ま、これで黙るなら安いモノだ」
国王陛下も同じような笑い方をしながらそう言った。
彼らの言を聞き、リラジェンマは悟った。
どうやら自分の娘を王太子妃にと望む貴族が未だにいるのだ、と。王太子は長い間、正妃はおろか婚約者すら決めていなかったのだから致し方ないと言える。
その王太子が急遽隣国から花嫁を連れて来たという情報を得て不平不満を訴えているのだろう。おそらく、『どこの馬の骨だ』くらいの罵倒はしているはずだ。
そんなときに開かれる舞踏会。
果たしてどのような娘が王太子妃を名乗るのか、虎視眈々と注目されるのは間違いない。
(これは、わたくしの後ろ盾はヌエベ王家全員だと知らしめると同時に、王家の意向をどこまで汲むことができるのか。貴族たちへの試金石でもあるのね)
さらに。
リラジェンマ本人は王家の色彩である黄水晶ではなく、王妃陛下の瞳の色である紫を身に付けている。
ヌエベ王家のオピニオンリーダーは誰なのか、わからない貴族は社交界から追い出されるだろう。
となれば。
リラジェンマにできることは、ただひとつ。
だれにも後ろ指さされることのない、完璧な王太子妃として振る舞うのみ。
(ウナグロッサの王女というのは言うべきなのかしら)
どうやら、ウィルフレードや王妃陛下たちはリラジェンマが王女であるという事実を意図的に隠しているように感じるのだ。お陰で自ら名乗ってもいいのか判断できない。
(おかあさまたちが思い描く想定図を、わたくしが潰すわけにはいかないものね)
さすがキツネの総元締めだとリラジェンマはこっそり納得した。
◇
王家主催の舞踏会は定刻どおり開催された。
リラジェンマはウィルフレードに手をひかれ、ベネディクト王子夫妻のあとに続いて会場入りした。最後尾に入室するのは国王夫妻である。
その途中、ウィルフレードは進行方向を見つめながらリラジェンマに話しかけた。
「祭祀の件。リラの足が完全に回復したら第一神殿に行って試してみよう」
「え」
少し高い場所にある中二階から会場に向け階段を下りている最中に、そんな重要案件を囁かれたリラジェンマは立ち止まりそうになり慌てた。
「精霊たちの力を借りられるかもしれない」
「それは……はい」
このような大事な話はお互いの顔を見ながらしたいのだが。
(相変わらずこの金キツネは重要な話を突然ぶち込んでくるわねっ)
リラジェンマにとって、会場にいるのは知らない人間ばかりなのだ。
そのだれもがリラジェンマの一挙手一投足に注目しているのだ。
ただでさえ、負傷した足に負担をかけない為の慣れない型の靴なのだ。
それでも負傷を悟らせないよう笑顔を絶やさず優雅に歩いている最中なのだ。
それも階段をっ!
(足元が見える殿方にはわからないかもしれませんがね! スカートで足元が見えないのよ? そこを優雅に歩くのよ? しかも履きなれない靴で! 失敗できないときに動揺させないでよ! この金キツネ! 鬼畜!)
罵詈雑言に溢れる内心を許せと思いつつ、会場を横切る。ふと目線を流せばセレーネ妃とのお茶会で知り合った伯爵夫人がいて、リラジェンマと目が合うと優雅なカーテシーを披露してくれた。
反対側に目を向ければ、やはり見知った貴婦人の顔がある。
(まるっきり知らない人ばかり、というわけでもなかったわね)
少しだけ張り詰めた気持ちを落ち着けることができた。
会場の隅にある王族専用の一段高い場所への段差に足をかけたとき、ウィルフレードはまたしても爆弾発言をしてリラジェンマを驚かせた。
「君の異母妹が、じきに来る」
「――!」
今度こそ足を止めてしまったリラジェンマは、真意を確かめようとウィルフレードの顔を見あげた。
そこにいたのは『王太子ウィルフレード』
この仮面を被った彼の真意は非常に解りづらい。
「今日の深夜には着くと思う。僕への面会を求めているらしい」
輝く金髪に夢見るような空色の瞳をもつ異母妹、ベリンダ・ウーナ。母親譲りの美貌と肢体。男を惹きつける仕草。
一般的に得られる外見からの情報は、愛らしい美少女。
リラジェンマにしか視えない、おぞましいバケモノの少女。
アレがこの国に来るという。
王太子に面会を求めているという。
彼女の目的は?
なにをするつもりで来るのか?
物思いに耽るリラジェンマをよそに、国王陛下が舞踏会開催の宣言をするとともに、リラジェンマの名を呼んだ。彼女は反射的にその場で軽いカーテシーを披露した。
「皆も聞き及んでいよう。この者、王太子が自ら足を運び、わざわざ隣国から招いた王女だ。王太子と心を通わせ、既に王太子妃として佑霊と精霊たちからも認められている。既に余の義娘ぞ。見知りおけ」
国王陛下のその言葉に、いっそお見事! と言いたくなるほど一斉に会場中が低頭した。
解る人には解ったかもしれない。
『隣国から』来た『王女』。『プラチナブロンドの髪と翠の瞳』
ウナグロッサの王太女であると。
そしてあからさまにリラジェンマの色彩を纏うヌエベ王家の面々。
「ここまでしたんだ。義姉上に盾突こうなんて頭の悪い輩はいないだろうね」
ベネディクト王子がニヤニヤと笑いながら隣にいる愛妻にそう囁く。
「わたくしの意を正しく理解した若い夫人たちは、それぞれの夫によく言い含めてくれていると推測しますわ」
セレーネ妃も囁き返す。
「さすがセレ、抜かりないね。問題は古狐どもか」
ベネディクト王子がさり気なく愛妻を褒め称えると、王妃陛下が横から息子に語りかけた。
「うふふ。大丈夫よベニィ。わたくしのこの目の色を忘れる者はいませんもの」
「いたら排除する」
「あら。陛下ったら。物騒ですこと」
(あぁ、ベニィってベネディクト殿下の愛称だったのね)
仲良し王家の会話を表面上は笑顔で聞きつつ、リラジェンマは先ほどウィルフレードによって齎された情報について考え込んでいた。
ベリンダ・ウーナ。
なんのためにわざわざグランデヌエベに来るのだろうか。
父である国王代理の許可のもと、正式に訪問しているのだろうか。あの父が大切にするベリンダを国外に出すとはとても思えないのだが。
あの少女は、いつもいつもリラジェンマの周りをうろついては彼女の持ち物を強奪していった。
今回も、リラジェンマの持ち物を狙っているのだろうか。
もうベリンダへ下げ渡す物などないというのに。
(まさか、わたくしが新たに手に入れた地位、グランデヌエベの王太子妃という立場を強請りに来た?)
王族としての義務を一切遂行していなかった第二王女。
第一王女であるリラジェンマがいなくなり、その責務を任じられたとしてもすぐにできるものではないだろう。
もしかしたら、それに嫌気が差して逃げ出したのかもしれない。
そして。
そんなことはないと思うが、もしかしたら。
(ウィルも、あの子に会ったら、好きになってしまう、かも……)
そこまで考えたとき、急に息苦しくなった。
そんなことはない。
この二か月、彼はリラジェンマに甘く優しく接してくれた。頬にキスを落とし、昨日は抱きしめてくれた。可愛い、大好きと言ってくれた。
(でも……あの子が泣いて縋ったら、きっと男の人ならだれでも手を貸したくなる、はず……)
ウーナ王家を守護する魔法陣のないこの場所に、リラジェンマ個人を護るものはなにもない。
専用の親衛隊もいない。
もしかしたら、……ウィルフレードは心変わりするかもしれない。
あの時。
二か月まえ、婚約者だったあの男がリラジェンマへ懺悔とともに別れを告白したときのように。
(だって……最初にウィルがわたくしを選んだ理由は佑霊の助言があったから。ウィル自身の選択では、ないのだもの……)
しかも、ヌエベ王家の人間は直感で物事を決める習性がある。
ひとめ見て『自分の運命の相手は彼女だ!』と決断してしまう可能性だってないとは言えない。
胸の奥が酷く痛んだ。
じくじくと膿んだ踵の傷のように、熱を孕んだ嫌な痛みだ。
怪我の痛みに悩まされたことのなかったリラジェンマにとって、これは初めての感情であった。
「リラ。踊ろう」




