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18.「第二王女が私に面会を求めていると?」……⁈

 

 リラジェンマが推測したように、彼女の爪先の出血は尖った爪が隣の指の皮膚を傷付けて出来たものだった。これは派手な出血だったわりに血はすぐに止まった。


 問題は踵の出血だった。広範囲に靴擦れでマメができ一皮剝けてしまったそこは、リラジェンマ本人が見ても血が滲み痛々しい。包帯で保護しているせいで足が一回り大きくなったように見える。

 問題は傷を負ったことではない。リラジェンマを正式紹介する王家主催の夜会が今晩催されるという事実だ。それも晩餐会だけならばまだよかったのだろうが、今回は舞踏会がメインなのである。


(この足でちゃんと踊れるかどうか……不安だわね)


 踊らないという選択肢もある。

 だが、王太子妃として正式に紹介される舞踏会で踊らない他国の姫などいるだろうか。舞踏会で踊らないなんてグランデヌエベを馬鹿にしているのかと不満を持つ人間も出てくるだろう。


(どうしようもないウナグロッサだけど、その国の評判をわたくし自身が貶めるわけにはいかないもの)


 どうしようもないウナグロッサだが、それなりに利点はあった。

 ウーナ王家の人間を保護する魔法陣が張られていたせいで、王宮育ちのリラジェンマは怪我をしてもすぐ治ったのだ。ダンスレッスンで靴擦れやマメが出来たことなど何度もあった。だが一晩寝れば翌日には治癒された。

 しかし、そのせいで怪我に対する認識が甘かったと自覚した。


(翌日になれば大丈夫なんて思っていたけど、驕り以外の何物でもなかったわ。これが普通なのね)


 当然のことながら、一夜明けてもリラジェンマの足の怪我はすぐに治癒されない。皮の捲れた踵が地味に痛い。


 ウィルフレードやハンナが大騒ぎしたせいで、リラジェンマが怪我を負ったことは国王陛下の耳にまで届いたらしい。

 王妃陛下がなんとか踵に負担のかからない靴を用意すると鼻息を荒くしていたが、果たしてどうなるだろう。


 そして問題がもうひとつ。

 ウィルフレードたちの落ち込みようが酷い。


 バスコ・バラデスは自分の発案のせいだと言い、首を切らんばかりの勢いで気落ちしている。

 ヘルマン・ゴンサーレスも、一度はウィルフレード殿下を捕獲したのに自分が取り逃がしたせいだと自責しているらしい。

 そしてウィルフレードもまた。


「もともとは僕のせいだよな……僕が執務室で仕事をしていたら、バスコも城内ツアーなど考え付かなかったものな……」


 初めて会ったときのウィルフレードは、その金髪や明るい笑顔と態度で、底抜けに明るく綺羅綺羅しい人物だという印象を抱いたのだが。(その後、金キツネになったが)


 今のウィルフレードは。

 暗い顔をし、地の底までもめり込む勢いで落ち込んでいる。こんな瞳孔が開き切ったような暗い表情は初めて見た。

 落ち込みながらも書類決裁はしているので、冷静な判断は出来るようだと、少しばかり安堵したのだが。


「そこまで落ち込まないでください」


 いま、リラジェンマはウィルフレードの執務室にいる。

 立って歩いている姿を見せれば安心するだろうと思って来たのだが、柔らかい布地で踵を覆う部分の無い室内履きの足元を見せたら、逆に落ち込み具合を加速させてしまった。

 今夜の舞踏会がちょっと心配です、などとうっかり言ってしまったから余計に。


「いいえ……このバスコ・バラデスが悪いのです……卑怯な手段を用いて……()りにも選って王太子妃殿下を利用しようなどと、姑息な手を……お守りすべき立場の私が……申し開きもできません……」


 ウィルフレードが決裁した書類を仕分けしながら、バラデスが小刻みに震えつつ、ぶつぶつと呟いている。俯きながらひどい猫背になり、目の下の隈が一気に濃さを増し、顔色も途轍もなく悪くなった。彼の瞳孔も開き切っているように見える。


 護衛であるヘルマン・ゴンサーレスは、護衛に徹しているせいか扉の前に姿勢正しく待機して何も言わない。何も言わないが、その目は常に涙を湛えている。涙を浮かべながらリラジェンマの動きを逃すまいと、彼女の一挙手一投足を注視している。


(ちょっとでも(つまづ)いたら、すぐに助けに来そう……)


 本来護衛はその気配を消す。周囲に満遍なく注意を払っているから、護衛対象者と目が合うことなどない。だが今日はゴンサーレスとがっつり目が合う。

 大丈夫よ、という気持ちで微笑みかけたら、彼の片方の目からつつーと涙が零れた。


(泣かせてしまったわ……あんな大男を)


 これはこれで静かなる混沌(カオス)だとリラジェンマが苦笑していると、救世主が現れた。


「わたくしの可愛い娘リラはまだこの部屋に居る?」


 そう言いながら先触れもなしに入室したのはヴィルヘルミーナ・イェリン・ヌエベ。この国の王妃陛下である。


「さあ! おかあさまと一緒にお部屋に戻りましょう。リラに似合う愛らしい靴を用意させたわ」


 そう言ってリラジェンマに手を差し出すさまは、なんだか凛々しくて頼もしい。この鬱陶(うっとう)しく項垂(うなだ)れた男たちと真逆の朗らかさだ。


(おかあさま……ウィルによく似ているわね……違うわ、ウィル()よく似ているのだわ)


「あいらしい、くつ?」


「そうよ。踵を覆う部分のない、サンダルタイプの履き物よ。その分履き方にコツがいるけど……脱げにくくなるよう幅の広いリボンで足首に結んでしまえばいいと思っているの」


 ヴィルヘルミーナ王妃陛下は歌うように説明しながらリラジェンマを彼女の自室へ連れていった。

 あとに残された王太子たち落ち込み隊には『舞踏会は定時開催、遅刻厳禁。仕度を整えてからリラのエスコートに来い』と厳命して。



 ◇



 ハンナを始めとする有能な侍女たちに仕度をして貰い、リラジェンマは舞踏会用のドレスを着用した。

 うす紫のうつくしいレースがふんだんに使われたドレスは白を基調としたプリンセスライン。

 髪は丁寧に結い上げられ豪華なティアラが装着された。

 ピアスやネックレスもすべて淡い紫色の宝石が使われている。


(これ……王妃陛下の瞳の色だわね……)


 王妃陛下のリラジェンマに対する執着……いや、愛情を感じ苦笑するしかない。ちなみにその王妃陛下本人は、彼女の宮で自分の支度をしているはずである。


 そして問題の靴は。


「ミュール、と呼ばれる型だそうです」


 ハンナが優しく靴のリボンを結びながら説明してくれたそれは、爪先部分しか覆うところがないが、きちんとヒールのある靴だった。


「あぁ……こうやってリボンで結ぶと足から離れないのね」


 柔らかく幅の広いリボンを使い靴底から足の甲、足首を交差しつつ編み上げるように結ぶと、容易に脱げるものではなくなった。

 それでいて、リラジェンマの負傷した患部には負担が掛からない。


「王妃陛下お抱えの商会にひな型を作らせた靴だそうです」


 ヴィルヘルミーナ王妃は昔からアクセサリーやティアラのデザインを考えるのが得意なようでファッション関係の造詣が深い。そして彼女専属のデザイナーが立ち上げた商会のパトロンもしている。


 今回の「ミュール」も他国で既に存在するデザインらしい。

 嬉々としてリラジェンマの婚礼衣装のデザインを決めた王妃は、今回も「踵を怪我しているなら、そこを覆わない形の靴にすればいいのよ!」と思い切って「ミュール」を採用。

 半分しかない(としか見えない)靴をリラジェンマ用に改めてデザインしたらしい。

 半分しかないが、つま先部分には花のコサージュが付けられ、それが足首に巻かれたリボンと同系色でまとまりもある。

 リラジェンマにも目新しい形の靴は、このグランデヌエベでも目新しいとハンナは言った。


(おかあさま、センスがあるわ。わたくしに出来るのは、怪我を感じさせないよう皆さまに見せびらかして『素敵』と思わせることね)


 場合によっては新しい流行になるかもしれない。いや、王妃陛下自らのデザインだと公言すれば、流行(はや)らせるなど容易(たやす)いだろう。


(もしかしたら、今夜の舞踏会で新たな流行を生むおつもりだったのかも……いいえ。もしかしたらおかあさまも、同じミュールを履いていらっしゃるかもしれないわね)


 あの王妃陛下ならばやりかねない。

 リラジェンマの脳内で「娘とお揃いなのよ~♪」とはしゃぐヴィルヘルミーナ王妃が容易に想像できて笑ってしまった。



 ◇



 リラジェンマが舞踏会用の仕度をしていたのとほぼ同じ時間、ウィルフレードは国境警備隊から大至急の知らせを受け取っていた。

 なんと、隣国ウナグロッサから第二王女が訪問を希望し、国境検問所で足止めされているという。


「第二王女が私に面会を求めていると?」


 ウィルフレードは秀麗な眉を怪訝そうに寄せながら、側近であるバスコ・バラデスに問い返す。


「はい。ひとめ王太子殿下とお会いしたい、本当の花嫁は自分だと寝言をほざいているようです」


 国境検問所から飛ばされた鷹に託された秘密文書を解読したバスコ・バラデスも、彼の主と同じように眉間に皺を寄せる。

 バラデスにとって『王太子の花嫁』は、既にリラジェンマ・ウーナで確立している。いまさら変更されても困る。


()()は本当に第二王女か? 偽物の可能性は? 護衛はどの程度連れてきている?」


 ウィルフレードの矢継ぎ早の疑問にバラデスは即座に返答する。


「もともとあの国の王家情報は収集困難だったのですが、不思議と第二王女に関しては情報開示されていまして第二王女の姿絵が出回っています。警備隊からは第二王女本人だと証言もとれています。ですが……護衛は騎士がわずか3名。……王女の随行にしては人数が些か少なすぎるのが怪しいです」


 側近の返答を聞き、ウィルフレードは暫く考え込んだ。

 王女の移動に護衛騎士が僅かに3名とは、少なすぎる。

 これはどういうことか。

 彼女を守る気がないのか。

 あるいは、友好国へ訪れるのだから警戒されない為に随行人を減らしたのか。

 あるいは、第二王女は囮。少数で訪問し油断させ、リラジェンマ奪還を狙っているのかもしれない。


 ウィルフレードは立ち上がると窓に近寄り、大きく開け放った。

 空は日が沈み始め、朱色から闇色に変わり始めている。日がすっかり沈んでしまえば王家主催の舞踏会が開催される。


「世継ぎの姫をほいほいと寄越すような国だからな。我々と常識が違うのかもしれない」


 空を眺めながらウィルフレードが呟く。


「たしかに。――して、如何なさいますか?」


「一行を通せ。検問所からこちらに大至急来させろ。検問所には変わらぬ警備を。夜陰に乗じて侵入する者がないよう警戒を怠るな。到着するのは舞踏会が終了してからになるだろうが、大言壮語を吐く第二王女とやらの顔、とくと拝んでやろう」


「御意。――妃殿下にこの件、お知らせしますか?」


 そういえばリラジェンマの口から第二王女はかなりの美少女だが、甘えん坊で異母姉の持ち物をねだってばかりの困った性格の女だと聞いている。


「いや。リラには私の口から説明する。お前は両陛下とベネディクトに経緯をお伝えしろ」


「御意」


 バラデスは恭しく一礼すると退出した。


 なかなか(したた)かだというウナグロッサの第二王女。

 いったいどのような女なのか。


「面白くなってきたな」


 ウィルフレードは窓を閉めながらぽつりと呟いた。

 右の口の端だけを持ち上げる笑い方は、彼の弟が見せるそれによく似ていた。


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