表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/34

17.「ほんとうに、大好きだよ……リラ」……‼

 

「ところでリラ。君の方から執務室まで来たのは何故? 僕に話でもあった?」


 ウィルフレードにそう尋ねられ、リラジェンマは躊躇(ちゅうちょ)した。

 自分がこれから守り慈しむべきはこのグランデヌエベの国民たちなのだ。そんな義務をもつ自分が、ウナグロッサの心配をするなどマズイのではなかろうか。

 脳裏に過ぎるのは、城内で明るく会釈してくれた使用人や、騎士たち。皆、リラジェンマを未来の王妃として敬ってくれている。


 リラジェンマの僅かな逡巡(しゅんじゅん)をウィルフレードは汲んでくれた。

 バラデスたち侍従や警護の騎士たちを人払いし、ふたりだけとなって改めてウィルフレードは彼女に尋ねた。


「リラ。人前では言えないことを、僕に相談しに来てくれたんだね?」


 ソファの隣に座るとリラジェンマの手を優しく掬うウィルフレード。覗き込む黄水晶(シトリン)の瞳は、リラジェンマを真摯に心配している。

 少しの躊躇(ためら)いのあと、リラジェンマは彼に話した。


 母国ウナグロッサの噂話を聞いたこと。

 長雨が続いているとき、母国では母である女王が大神殿に赴き祭祀を執り行っていたこと。

 その祭祀のやりかたはまだ教わっておらず、今のリラジェンマには解らないこと。

 もし、万が一でいいのだが、ここから祈りを捧げて祭祀を行うことは可能かということ。


 話しながらリラジェンマは少なからず後悔し始めた。


(こんなこと聞かれても、ウィルにだってどうしようもないわ)


 なぜ、相談しようなどと思ったのだろう。

 始祖霊に祈りを捧げるのは国王の大事な仕事の一つだ。それを他国の人間にお願いしているのも同然の行為。

 間違いなく内政干渉の越権行為に他ならない。

 そもそも、国王の仕事なのだから、まだ王太子にすぎない彼にはどうにもならないはずだ。


 話し終え、自分とウィルフレードの重ねられた手を見ながらリラジェンマが溜息をついたと同時に、彼女の頭に温かい手が乗った。何度か軽く撫でられるそれは、ウィルフレードのもうひとつの手で。


「相談してくれてありがとう、リラ」


 囁くような言葉は思っていたより近くに顔を寄せていたウィルフレードから(もたら)された。

 またしても不可思議な胸の鼓動を感じ、リラジェンマは内心狼狽(うろた)える。


「そうだね。ウナグロッサが雨続きという情報は僕の元にも届いている。これは恐らく……だが待てよ……」


 そう呟いたウィルフレードは顔を上げ、視線を空中に飛ばした。

 辺りをキョロキョロと眺め、何かを懸命に聞き取ろうとしている。


(もしかして、精霊の声を聴こうとしているの?)


 リラジェンマが見つめる前で、ウィルフレードが頭を振った。


「いや、すまない。君といると精霊たちが静かすぎるんだ。だれもかれも見守るばかりで干渉しようとしない」


「静かすぎる? わたくしといると?」


 リラジェンマを迎えに行ったときは、一斉に話されて耳鳴りがしたと言っていたのだが。


「そう。これは珍しいことでね。僕がこの力に目覚めてからこんなに静寂を満喫できたことはないんだ」


 どこか晴れ晴れとした顔で語るウィルフレードだが、リラジェンマはひとつの懸念に思い当たった。


「それは……わたくしが精霊たちに嫌われているせい?」


 ウィルフレードは精霊の加護をふんだんに受ける存在だと聞いた。その妻になる自分は精霊の声など聞き取れない。疎まれても仕方ないのではと、思えたのだ。

 だがウィルフレードはあっさりと否定した。


「あぁ、違う違う。逆だよ。君が好かれ過ぎているせいだ。彼らは君を僕のお嫁さんと認めているから、僕との時間を邪魔しようとしないんだ。みんな遠巻きに離れた場所にいて、ニヤニヤと見守っている感じ」


「ニヤニヤと?」


 ニヤニヤと見守る精霊って、どんな図だろう。こればかりは精霊を視る能力のないリラジェンマには想定外である。彼女の脳裏は疑問符だらけになった。


「そう。……おぉぅ……」


 笑顔だったウィルフレードの眉間に皺が寄り、塩辛いものでも食べたような表情になった。


「なに?」


「あー……。いま、()()が来て……喋った。『温かく見守っていると言え』だと。……どうもこの話し口調はおじいさまっぽいんだよなぁ……」


 普通の人が聴こえない声が聴こえるとは、なかなか気苦労が絶えないのだなぁとリラジェンマは思う。

 視えないものが視える自分だからこそ。

 リラジェンマは、視たくないモノが多すぎるせいで、いつも人をぼんやりとしか見ない癖がついている。

 だが『聴こえる』という現象は、意識的に避けることも難しそうだ。


「第一神殿に行ってみようか。あそこならもっと精霊たちの声がはっきり聴こえるし君の佑霊が来るかもしれない。なにか助言も貰えるかも」


 一度二度と、頭を振ったウィルフレードが提案する。リラジェンマの頭を撫でていた彼の手は、今は彼女の長い髪を一房とってくるくると指に絡めている。


「わたくしの、佑霊?」


(個人を守る精霊、ということ?)


「うん。初めてリラと第一神殿に行ったとき驚いたんだ。ウナグロッサで君を助けてと泣いて訴えてきた佑霊が、君の傍を嬉しそうに舞っていたから。あぁ付いて来ちゃったなぁって」


 そういえば。

 あのときのウィルフレードは、芝生に足を踏み入れたリラジェンマを引き攣ったような笑みで見詰めていた。

 彼には視えていたのだ。リラジェンマの傍にいた佑霊の姿を。


(わたくしの助命を願った佑霊……もしかして、もしかしたら……お母さま?)


 いつも冷淡だった母。でももしかしたらリラジェンマの身を案じていたのかもしれない。死したのちにも記憶を残し助命のために隣国の王太子のもとまで訪れるほど。


「いつもは視えないの? 神殿に居ると視えるということ?」


「うーん。ここではちょっと説明しづらい」


 勢い込んで尋ねたリラジェンマに、ウィルフレードは困ったような顔をした。


(そういえば、結界外では口にしないよう言われていたわ)


「ごめんなさい。あれこれ聞いてばかりで……」


「いや。なんだかリラに頼られているみたいで、僕としては大歓迎だよ」


 もうすでに見慣れてしまったウィルフレードの笑顔。

 この二か月、リラジェンマは何度も彼のこんな微笑みを見てきた。彼の笑みは日に日に甘くなっているような気がしてならない。

 その黄水晶(シトリン)の瞳がトロリと蕩けるようで、それを目にする度にリラジェンマはドキドキが増して落ち着かない心地になる。


(返答に窮するなんて……わたくしの脳内はどうなってしまったのかしら)


 王女としての作法なら理解している。

 王太女として、国の代表として振る舞うようしっかりと学んできた。


 そんなリラジェンマなのに、いまは狼狽(うろた)え微動だにできない。

 認知できるのは体温の上昇と、それに比例して感じる発汗。

 心拍数の増加とこうして無駄なことばかり考えてしまう思考現状。


 こんなに優しい瞳で見詰められたことなどないから。

 年頃の異性にこんな至近距離で頭を撫でられたこともないから。

 どう振る舞えばいいのか、どう返事をすればいいのか。

 最適解が見つからないのだ。


 だから。

 黙ったまま魅入られたようにその黄水晶(シトリン)の瞳を見つめるだけ。

 リラジェンマの髪をいじっていた手が、ゆっくりと頬に触れるのを享受するだけ。

 ウィルフレードの大きくて温かな手は、優しくリラジェンマの頬に触れる。そっと、なにかを確かめるように触れられると、なぜかそれにうっとりとしてしまい、リラジェンマは瞳を閉じる。


「……リラ。ここで目を閉じたら、僕の思う壺だよ?」


 そう囁かれて、慌てて目を見開いた。

 目の前には苦笑するウィルフレード。黄水晶(シトリン)の瞳がいたずら小僧のように楽し気に(きら)めいた。


「奪って欲しかった?」


 何を、だなんて。

 その手の知識に乏しいリラジェンマにだって流石(さすが)に解る。

 この体勢は、仲睦まじく愛を語り合う男女の距離だということくらい。そして頬に手を添えられて目を閉じたら、くちづけを強請(ねだ)ることと同義なのだということくらい。


「……ウィルは奪いたいと、思ったの?」


 この胸の鼓動が聞こえるのではないかと思いながら、声を潜めて囁けば。


「質問に質問で返すなんて、リラは悪い子だな」


 ウィルフレードも同じ大きさの声で囁いてくれる。彼の指はゆっくりとリラジェンマの下唇をなぞった。


「……悪い子のリラは……きらい?」


 さらに声を潜めその瞳を覗き込み、重ねて問う。声が小さ過ぎて、聞こえなかったかもしれない。だが、その懸念は懸念のままだった。


「……大好きだ」


 リラジェンマと同じ音量で囁かれた言葉が彼女の耳を(くすぐ)った。


 ウィルフレードの黄水晶(シトリン)の瞳が濡れたように輝いた。

 この瞳を見るたびに、どうしたらいいのかわからなくなる。

 胸の奥で小さなリラジェンマがジタバタと足掻いて騒いで右往左往しているのだ。

 苦しくて苦しくて。

 でも嬉しくて嬉しくて。

 二つの相反する気持ちを抱えて(うずくま)ってしまいたいような、逆に大声をあげて走り出してしまいたいような。


「ほんとうに、大好きだよ……リラ」


 ゆっくり静かに。

 ウィルフレードの長い腕に抱き締められた。ウィルフレードの胸は広くて温かくて。

 温かいと思うのに、少し怖くて身体が震える。

 小さな溜息を溢したリラジェンマは身体の力を抜いてウィルフレードに寄り掛かった。

 ウィルフレードから感じる気配がキケンなもののようで逃げ出したくなる。

 でもこのまま、もっと近くに寄っていたい。この温かい腕の中にいたい。相反するふたつの気持ちに翻弄されながら、リラジェンマは彼の温かい胸に頬を寄せた。


(でも……“わたくしも”とは……言えないのはなぜなのかしら)


 リラジェンマの頭のすぐそばで、ウィルフレードが大きく深呼吸したようだった。


「……リラジェンマ王女殿下。さすがの僕も、理性が焼き付きそうデス」


 どこか棒読みのウィルフレードの声に、リラジェンマは小さく笑った。


「それは大変デスネ、ウィルフレード王子殿下。お水が必要かしら」


 あー、なるほどベニィ。君はよく耐えた尊敬する。そんな独り言を溢すウィルフレードに、リラジェンマは小首を傾げる。


 (ベニィって、誰だったかしら)


「あー可愛い……離したくない……でも神殿に行くって言ったし……」


 リラジェンマの髪に頬ずりをしつつウィルフレードが告げた。


「あ! 言ってましたね。神殿だともっとはっきり()()が視えるって」


 夢から醒めたようにきっぱりと身体を離すリラジェンマに、ウィルフレードは苦笑する。


「そりゃあ、嫌がられたらすぐ離れられるよう力は抜いていたけど……」


 そう言いながらウィルフレードはソファから立ち上がった。


「次からは……手加減いらないかな?」


 その瞳を甘く輝かせながら物騒なことを口走るウィルフレードは、やはり自分と器が違うのだなとリラジェンマは思う。

 すべてが活動限界ギリギリの彼女とは違うのだ。

 いつも余裕があり、先を見据えて動いている。


(“理性が焼き付きそう”なんて言っていたけど、ちゃんと制御できてるし)


 今もリラジェンマをエスコートするためにその手を差し伸べている彼は、先程まで見せていた何とも言えないキケンな雰囲気をすっかり消してしまっていた。


(これが年上の余裕って奴かしらね。それとも王族としてのプライド?)


 そう思いながら立ち上がろうとして……リラジェンマは動きを止めた。

 しまった。

 城内を歩き回って疲れた足を休ませたくて、靴を脱いでいたのだ。

 長いスカートの影に隠れて脱いだ靴がどこにあるのかわからない。


(こんな、子どもみたいなことをして! わたくしったら!)


 手を差し伸べているウィルフレードが怪訝な顔をし始めた。当然だ。彼の手を取れないで目を逸らすリラジェンマなど不審以外何物でもないだろう。


(察しの良いウィルにバレるのは時間の問題かも……)


「リラ? どうした?」


 察して貰うのはなかなかに恥ずかしい。子どものような真似をしていたなど。しかも問題解決には長いスカートを捲らなければならない。

 いっそこちらから暴露してしまう方がマシだとリラジェンマは覚悟を決めた。


「ウィル。ちょっと……靴が行方不明なの。後ろを向いて貰える?」


(結婚前の淑女が殿方に足を見られるわけにはいきませんからね!)


 例えその殿方が書類上では夫であっても、まだ世間一般でいうところの結婚式を終えていないのだ。国王陛下からも王妃陛下からも王太子妃として扱って貰ってはいるが、未だ同衾もしていないし!


 リラジェンマの葛藤に気がついたウィルフレードは、「あぁ……」と言いつつすぐさま彼女に背を向けてくれた。ちょっと笑われた気がしたがそれは無視する。

 その隙に長いスカートを少し持ち上げて、脱いだ靴の行方を捜す。同時に自分の爪先と踵を見てギョッとした。


 白い絹の靴下が赤い血で染まっていたのだ。両足とも。


(あー。慣れない靴で歩き回ったからマメが出来て潰れちゃったのかも。爪先は爪で隣の指を切った感じかしら……道理で痛かったわけね)


「リーラー。もう振り向いてもいい?」


「あ、はい……いえ、待って……」


 是でも否でもない、煮え切らない返事をうっかりしてしまったリラジェンマは、その後の騒ぎに後悔することとなった。


 くすくすと笑いながら振り返ったウィルフレードは、血が付いたリラジェンマの爪先を見て硬直した。そして血相を変えると同時にもの凄い大声をあげてバラデスを呼び、救急箱とハンナを所望した。


 聡い彼でなくとも理解できたリラジェンマの現状に、その後の執務室は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。


 王太子の大声に反応して何事かと入室した騎士がスカートを捲り上げているリラジェンマに狼狽(うろた)えたが、その赤い爪先に気がつき、我先に医者だ、いや女官長のハンナさまを呼べと慌てふためき。


 リラジェンマを長い時間連れ回し歩き続けさせたせいだ、自分のせいだと文字通り這いつくばって謝罪するバスコ・バラデスと、取り敢えずスカートは戻そうとあたふたするウィルフレードと。


 騒ぎを聞きつけ到着したハンナたち侍女は、すぐさま男どもを部屋から追い出すとリラジェンマの靴下を脱がせ(お(いたわ)しいと慄きつつ)、彼女の怪我の具合を確認し(両足ともっ⁈ と悲鳴をあげつつ)応急処置を施し医者の到着を待ちながら、『私がお爪の手入れを誤ったばかりにっ』と目に涙を浮かべて平伏し謝罪する侍女を、長く歩くことを想定した靴ではなかったせいだから、あなたのせいではありませんよと宥めつつ。


 その間、扉の外から大丈夫かというウィルフレードの呼び声と申し訳ありませんというバラデスの泣き声謝罪とが輪唱状態になり。


(……これぞまさしく、混沌(カオス)ね)


 リラジェンマが自分の足の行状に気がついた時点で、冷静にハンナを呼べばここまでの大騒ぎにはならなかっただろうと推測できるだけに悔やまれた。


 到着した医者の「やかましいっ」という一喝が聞こえるまで、扉前の騒動と室内の侍女のすすり泣きは延々と続いたのだった。



(こぼれ話)

護衛のヘルマン・ゴンサーレスは人払いされたあとに執務室に到着。扉前で待機していましたが、口下手なので騒ぎに参加できませんでした。でも幼馴染みふたり(ウィルとバラデス)を落ち着かせようとオロオロしていたところでお医者さんに一喝されました。

一番静かにしていたのに、一緒に怒られた可哀想な人です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ