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16.側近とリラジェンマと王太子と

 

 リラジェンマは()()()()()、王太子執務室でお茶の時間を楽しんでいた。

 同席しているのはウィルフレードの側近バスコ・バラデス。

 初めて彼と会った日に見た、目の下の隈はだいぶ薄くなっているようだ。そして意外なことに彼は()()()話す事ができたのでほっとしたのだが。


(わたくしは、なぜウィルの側近とこんなに呑気にお茶しているのかしらね)


 リラジェンマが少々遠い目になってしまうのも致し方ない。


 はじめはウィルフレードと彼女の母国ウナグロッサのことで話したいと思っただけだ。神殿で始祖霊に祈りを捧げるのは王にとって必要な祭祀だ。もしそれが国を越えてできるのなら、雨続きだという噂のウナグロッサへの助けにならないだろうか。

 正しい祭祀の方法など判らないし、ましてや国境を越えてできるかどうかも分らない。それでもまずはウィルフレードに相談したいと考えたのだ。

 そこでウィルフレードと話したいから彼の予定を聞いて欲しいと、侍女ハンナに使いを出すよう告げたのだが。


「あら。リラジェンマさまならいつでも歓迎されましょう。執務室へ直接いらっしゃいませ」


 と笑顔で言われ、つい、その気になってしまった。

 いつもいつも、突然現れてはリラジェンマを翻弄するウィルフレードに、ちょっとした意趣返しをしたい。

 そんなことを考えてしまったのだ。つい。執務室までの道すがら、だれもリラジェンマを止めなかったし、執務室前で警護していた騎士に至っては、笑顔で部屋のドアを開けた。


 結果、後悔した。

 

 突然訪れた執務室にウィルフレードの姿はなく、彼の側近バスコ・バラデスが頭を掻きむしっている姿があった。

 どうしたのかと問えば今しがた王太子に逃げられたのだと言う。


「逃げられた?」


「はい。あの方は佑霊や精霊のご加護をふんだんに受けている方でしてね。いつの間にか脱走することなど朝飯前なのですよ。ヘルマンに追わせましたが、果たして追いついているのかどうか」


 ため息とともに説明したバラデスは、くしゃくしゃになった自分の髪を手櫛で直しながら、殿下にご用でしたかときいてくる。


(精霊の加護が多いと脱走ができる? 目くらましの魔法でも使えるということかしら。どこから突っ込んでいいのか分からないけど、取り敢えず……護衛役のヘルマン・ゴンサーレスは大変ってことは確かだわね)


 リラジェンマは内心の疑問を胸の内に収め、バラデスに微笑んだ。


「ウィルフレード殿下とお話ししたかったのですが……ご不在なら致し方ありませんね。わたくしが会いたがっていたと、伝言をお願いするわ」


 いつもの自分なら、相手の予定をきき了解を得てから行動しただろう。そうした方が確実なのだから。

 先触れも出さずにウィルフレードの執務室を突撃訪問したせいで、無駄足を踏んだ。

 やはり慣れないことはするものではないのだ。小さくため息をつく。


「妃殿下は、時間がおありで? ならば宮殿のご案内をいたしましょう」


 なにやら考え込んでいる風のバラデスが提案したのは、王太子宮以外の宮殿内部を巡る見学ツアーだった。


『宮殿』など生まれたときから住んでいる自分に今更案内など不要かと思った。

 だがグランデヌエベ王国の宮殿は、リラジェンマが生まれ育ったウナグロッサの宮殿に比べその規模がかなり大きかった。


 外宮と呼ばれる大臣たちが執務を行う場から近衛隊や騎士団の詰め所(馬車を使わなければ移動不可能だった)、宮殿に勤める使用人たち専用の厨房にまで足を延ばした。

 使用人専用のエリアは城の裏方がいるべき場所で、本来王族であるリラジェンマは立ち入らない場所であり、だからこそすべてが物珍しく意外と楽しめたのだった。


 そこで会うだれもがリラジェンマを歓迎してくれた。笑顔で対応してくれるのは有り難かったが、彼らの仕事の手を止めさせてしまうのが申し訳なかった。一言二言、言葉を交わしすぐに別の場所に移動した。そのせいでだいぶ城内を歩き回った気がする。


「なるほど。恐れながら妃殿下のお人柄を理解いたしました」


 そんな風に言いながらバラデスが淹れてくれたお茶はなかなか美味しかった。

 彼が案内するままに足を延ばしたが、執務室に帰ってきた今は疲労困憊(こんぱい)、へとへと状態である。王太子執務室の応接ソファに腰を下ろした今、こっそりスカートの下で靴を脱いでいるくらいだ。

 とはいえ、一国の王女であるリラジェンマには内心を見せないよう笑顔で取り繕うことができる。


「わたくしの、ひとがら?」


 軽く小首を傾げて聞き返せば、バラデスも笑顔で茶菓子を勧めた。


「えぇ。下々の者に対して労いの言葉を丁寧にかけてくださり、ありがとうございます。まさかランドリーメイドにまでお声がけくださるとは」


「そう? だって彼女たちがきちんと働いているのは分かるし、そもそも彼女たちの仕事のお陰でわたくしは快適な生活を送れるのですもの。労うのは当然ではなくて?」


 宮から宮への移動中、洗濯物を干す一角がありそこで数人のメイドたちが、一斉にシーツを広げている光景を目の隅に認めたリラジェンマはその場で足を止めた。

 メイドたちは大きめのシーツを一斉に広げ、号令に合わせながら何度か振り、大雑把に皺をとったあと、張られたロープにシーツを掛ける。

 身体全体を使った重労働だろうなと容易に推測できたが、彼女たちは笑いながら楽し気に業務に従事していた。メイドのひとりがリラジェンマ一行に気がつき、慌てて頭を下げたのを皮切りに、次々と頭を下げた。


『手を止めさせてしまってごめんなさいね。お洗濯、大変そうだけど笑顔で仕事をする様子は、見ていてとても気持ちよかったわ。いつもありがとう』


 そう言ってその場を離れた。いつまでも留まっていたら彼女らの仕事の邪魔になってしまうだろうから。

 つまり、リラジェンマとしては当たり前のことをしただけなのだが。


「……お陰様で、妃殿下にお声をかけて頂いた人間は己の仕事に誇りを持って臨めることでしょう」


 バラデスの言葉に、ふいに亡き母を思い出した。


『下々の人間もあなたと同じで感情のある人間です。粗雑に扱われたら気分を害するでしょう。丁寧に接しなさい。

 だれもかれも愛すべきわたくしの国民です。

 あなたが敬われるのはわたくしの娘として、王女として生まれたから。いずれ女王となるあなたは国民ひとりひとりを守らなければなりません。それが上に立つ者の努めなのです。

 リラジェンマ。努々(ゆめゆめ)それを忘れてはなりませんよ』


 母はリラジェンマに対して冷淡ではあったが、その言葉は国民に対しての愛が溢れていたように感じた。


(お母さま……あなたが愛し守った国民を、わたくしも守りたかったです)


 今のリラジェンマにとって『愛すべき国民』はグランデヌエベの国民になる。

 そう思うと少し切ない。


 グランデヌエベ王国に来てから宮殿で働くこの国の人間を見たが、だれもかれも自分の仕事に誇りをもって楽し気に働いているように感じた。

 セレーネ妃のお茶会で出会った貴婦人たちも心根のまっすぐな人物ばかりだった。

 とても頼もしく良き人々。


「わたくしの言葉で皆の気持ちが励まされるのなら、いくらでも伝えましょう。……でも、もともと皆が笑顔で仕事をこなしていました……グランデヌエベの王宮は使用人たちにも居心地がよいのですね」


 ここグランデヌエベでは守護の陣など張られていないはずだ。それでもちゃんと、いやウナグロッサよりもより円滑に人々は暮らしているではないか。


(どうしてウナグロッサではこうならなかったのかしら)


 王女であるリラジェンマの身の安全は守られていたが、使用人同士ではどこかギスギスしたり、相手の隙をついて足を引っ張ろうとしていたように視えた。

 グランデヌエベ王国と比べてしまうと、どうしても遣る瀬ない気持ちが募る。


「こちらのクッキーは私がこっそり夜食用にとって置いたのですがね、素晴らしく美味いです。どうぞ召し上がってください」


 そういうバラデスをちゃんと見れば、彼はなかなかの好青年である。初対面のときはびっくりするほど目が血走って、その下に隈があり、髪もぼさぼさ。なによりも息継ぎもしないで滔々と語るさまに圧倒されつつ大丈夫だろうかと心配したものだが、今日の彼はうっすらと疲れた風情ではあるが、瞳の充血はとれているようだ。


「バラデスはきちんと睡眠をとっていますか? ウィルフレード殿下の片腕と聞いています。あなたが倒れたりしたら殿下の政務のすべてが止まってしまうとも。……もしかしたら、幼い頃から側近として殿下に仕えていたのですか?」


 そういえば、城内見学ツアーにでかける前ウィルフレードに逃げられたなどと言っていたし、あの初対面のときもウィルフレードの背中をぐいぐいと無遠慮に押していた。気安い間柄なのだと伺える。


 リラジェンマの質問を聞いたバラデスはパチパチと瞬きをしたあと、相好を崩した。


「私とウィルフレード殿下は同じ年でして……そうですね、初めて会った10才の時から数えてかれこれ14年の付き合いになろうとしています。おや。そう考えるとびっくりですね。年齢の半分以上一緒にいる計算になりますか」


 そう言いながら苦笑したバラデスであったが、その微笑みはとても柔らかかった。


 10才のときに王宮で第一王子の婚約者を選ぶ名目で大々的なお茶会が開かれたことがあったと、バラデスは語った。

 そのとき婚約者の令嬢を選ばなかったウィルフレードは、二人の少年と意気投合した。

 その二人とは文官志望だったバスコ・バラデスと、騎士志望だったヘルマン・ゴンサーレス。ウィルフレードは彼らと共に育ち王立貴族学園へも通ったと。


「学園? 殿下も皆と一緒に学校へ通ったのですか?」


 それはなんとも羨ましいとリラジェンマは思った。彼女は城内に有名教授を招聘し特別授業を受けたが、同世代の子どもたちと学ぶ“学校”というものには参加できなかった。

 のちのち王位に就く人間に“子ども同士の集団生活”など不要だと、ウナグロッサの王家では考えられていたのだ。恐らく母も祖父も学校になど在籍していない。

 本当にグランデヌエベの王家は、彼女の母国とは違うのだなと改めて思った。


 せっかくなので、学生時代にあった話などをバラデスに強請(ねだ)ると、話し上手な彼は若かりし頃の思い出ですと言いながら、彼らの10代の想い出話を聞かせてくれた。

 興味深い話の数々に頬を染め、瞳を輝かせるリラジェンマを、王太子執務室に勤める侍従や警護の騎士たちは温かい目で見守った。


「リラ! ここに居たのか‼‼」


 突然窓が開き、この部屋の正統な主が現れたので、リラジェンマは驚いた。器用にも外開きの窓を開け、外から入ってきたウィルフレードに目を剝くしかない。


(え? 窓から? ここ二階じゃなかったかしら。しかもその窓、ベランダに続く窓ではないわよね? ふつうに庭があるだけよね?)


 どのような手段でここまで来たのかと呆然とするリラジェンマをよそに、ウィルフレードはバラデスに詰め寄る。


「バスコ! お前、どうして一つ所でじっとしていないんだ! 行く先々(さきざき)で“さきほどまで妃殿下が”という言葉を何度も聞かされたぞ! しかも騎士団の詰め所なんて遠い処にまで行ったかと思えば城の厨房や洗濯場まで行ったんだって⁈ (ことごと)く俺の先回りしたかと思えば絶対行かないだろう場所にまでリラを連れ回しやがって! なにを考えているんだ!」


(……ウィルは今、『おれ』と言ったかしら)


「我が(あるじ)よ。あなたさまが仕事を嫌って逃れたあとに、麗しの妃殿下が陣中見舞いにいらっしゃったのです。せっかくお訪ねいただいた妃殿下が無駄足だったと落胆なさるさまは、余りに痛々しく。この不肖バスコ・バラデスが妃殿下のお心をお慰めするため一役買ったまでのこと。城内一周見学しているうちに、おのずとその噂は殿下のお耳に入りましょう。殿下が自ら執務室にお戻りいただき、なによりでございますなぁ!」


 対応するバラデスは丁寧な言葉だが、溢れるその雰囲気はなんだか嘲笑(あざわら)うというか揶揄(からか)っているというか。


慇懃(いんぎん)無礼ってこういう時の言葉だったかしら)


 リラジェンマは紅茶に口をつけながら、大人しく主従の会話を聞いていた。

 どうやらリラジェンマはウィルフレードを執務室へ戻すための囮として使われたらしい。


(バラデスの策にわたくしもしてやられたわ。……きっと彼らは学生時代からこんな風に過ごしていたのでしょうね)


 ウィルフレードはリラジェンマの前で「俺」などと乱暴な口をきいたりしなかったし、きっと今後もそんな姿は見せないだろう。

 親である国王陛下にもこんなムキになった怒鳴り声をあげていなかった。

 家族の前でさえ見せたことのない、王太子としての自分を一時忘れる相手。それがバラデスやゴンサーレスたち同じ年の側近で、友として学園で過ごしたことで目に見えない絆を持つ彼らだからこその気安い空気があるのだ。


(バラデスがちょっとだけ羨ましいだなんて、絶対ウィルには知られたくないわ)


 この胸の高鳴りは、ウィルフレードが窓なんて危ないところから突然現れたせい。

 彼とバラデスの気安い関係に憧憬を抱くのも、自分が学園に通った記憶がないせい。リラジェンマは自分にそう言い聞かせた。


「ところでウィル。ゴンサーレスは一緒にいたのではなくて?」


 そういえば護衛役の彼はどうしたのだろうと疑問に思ったリラジェンマが尋ねると、ウィルフレードは少し気まずい表情で目を逸らした。


「あぁ……あいつは口うるさく付き纏うから途中で撒いた」


 一度は護衛に捕獲されたらしい。そしてそれを振り切って脱走したらしい。なんという王太子だ。自由過ぎる。


「おぉ! 嘆かわしいことだ我が(あるじ)よ。あなたが大人しくヘルマンに捕まっていれば、見学ツアーが終わった妃殿下をこの部屋で出迎えられましたものを!」


 どこか芝居がかった仕草で天を仰ぐバラデス。ちょっと口元がニヤニヤと笑みの形を作っているように見えるのだが、それはリラジェンマの気のせいではないだろう。


「……くっ! 嫌みばかりだな、今日のお前は」


 自分が入ってきた窓を閉じながらウィルフレードが言えば、


「嫌みなど、とんでもないっ! どこのどなたか存じませんが、せっかくお訪ねになった奥方さまを無視して脱走などなさる方がおられますからねぇ。その奥方様のためにも衷心より進言申し上げただけでございますよ」


 お茶のお代わりを淹れながらバラデスも応酬する。


「無視したりしてないっ! リラが来ると解っていたら俺は……っ、くそっ」


(だいぶ口調も荒れているわね。学生時代の心持ちに戻っている……ということかしら)


 ちらりとバラゴスに視線を向ければ、彼もやれやれと肩を竦めている。


(精霊の加護とやらで、護衛も撒いてしまうとは恐れ入るわ……ヘルマン・ゴンサーレスも城内を走り回っているのかしら)


 いまこの場にいない護衛を少し憐れに感じたリラジェンマである。


「済まなかった、リラ。君がわざわざ来てくれると知っていたら離席したりしなかったよ」


「離席……ものは言いようですねぇ殿下」


 バラデスの言葉に、部屋にいた他の侍従たちの肩がわずかに揺れている。どうやら笑っているらしい。


「ウィルが離席してくださったお陰で、わたくしは城内の見学が出来ましたわ。今日は楽しゅうございました」


「……リラ……」


 リラジェンマをじっとりと恨めし気な目で見詰めるウィルフレードだったが、ほどなくして自らの脱走を側近に詫びた。


「すまん、バスコ。俺が軽率だった……リラもすまない」


(まさか、王族であるウィルが謝るなんて……びっくりだわ)


「リラと一緒に見学ツアーしたかった……」


(反省点はそこなのね)



(こぼれ話)

最初に執務室を脱走したウィルは、追手を避けつつリラに会いに行きましたが、彼女は部屋を出たあと。慌てて執務室を伺いに行くと城内ツアーに出たと言われあとを追うことに。途中護衛に捕まってる間にリラは近衛の詰め所へ、などなど。みごと(?)追いかけっこ状態になっていました。

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[一言] バラデス…策士だ!(笑)
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