10.「君も知っているとおり」? いいえ、初耳ですけど?
結果から言えば。
国王夫妻との晩餐会は無事に乗り切った。
食事はきちんと取った。リラジェンマは。
リラジェンマの率直な感想としては、とんでもない現場に立ち会ってしまった、というところだ。
国王夫妻とウィルフレードとリラジェンマの四人だけという身内のみの小規模な食事会で、テーブルの上にすべての料理を載せたあと給仕の者たちも下がらせた。
その完全プライベート空間になったあと、始まったのは父と息子による親子喧嘩だった。
リラジェンマが名乗ったあとから空気がひんやりとした。
「リラジェンマ・ウーナという名前の姫君は、ウナグロッサの世継ぎの姫ではなかったかな」
そう尋ねた国王陛下はウィルフレードと同じ黄水晶の瞳とブルネットの髪を持つ壮年のスマートな男性であった。
口ひげを生やした男らしい風貌の陛下のこめかみには青筋が一本立っているように見える。
どうやら、ウィルフレードが一軍を率いてウナグロッサに宣戦布告した事実を、グランデヌエベの国王夫妻は知らなかったらしい。
国王夫妻の認識では。
ある日急に王太子ウィルフレードは『花嫁を迎えに行ってきます』と言い残し、一個師団を護衛として連れて出ていったらしい。
それまでのウィルフレードは結婚なんて興味なさげで、嫁どころか婚約者の選定さえしなかった。どんなに候補者を集めてみても『気に入らない』『相応しくない』と追い返した。他国からくる見合い話の釣り書きを見せても同様。王統を継ぐのはお前なんだぞと叱責したところで『弟か弟の子に継がせればよいでしょう』という答えを返す始末。
そんな王太子が、急にその気になったとは! と国王夫妻は驚いたらしい。
そして『誰を嫁に選んだのだ』と大騒ぎになったのだとか。
それが『宣戦布告』をし『王太女』の姫を連れて来たのだから、国王が怒り出すのも当然だろう。
「お前はどうしてそう勝手なことをしたんだ! 国際問題じゃないかっ! せめて何をする気だったのかこの父に報告をしろ!」
「それは今しています」
「ウィルフレード!」
(怒鳴り声って、ちょっと怖い……わたくしの前でこんな大声だす人間なんて皆無だったもの)
威風堂々とした国王陛下の怒鳴り声と、それをどこ吹く風とばかりに受け流す飄々とした王太子。成人男性のこんなやり取りを聞くのが初めてのリラジェンマは内心びくびくしてしまう。
「リラジェンマ姫。こちらのお肉、取り分けましょう。もっと召し上がれ」
緊張するリラジェンマを気遣ってか、王妃がおっとりと優しく話しかける。自分の夫と息子が怒鳴りあっていることなど耳に入っていないが如く。
(えぇと……王妃陛下はこの喧嘩に参入する気はない、というわけですね?)
ウィルフレードと同じ金髪の王妃は先ほどからリラジェンマの世話をするのに余念がない。
というか、むしろ嬉々として給仕をしたがる様子はおままごとに勤しむ幼女のように可憐である。彼女の顔立ちはウィルフレードにそのまま受け継がれたようで、特にその切れ長の一重がそっくりだ。ただ薄い紫色の瞳のせいで受ける印象がまるで違う。
王妃は凛とした中に甘いスパイスを混ぜ込んだような不思議な雰囲気。
ウィルフレードの黄水晶の瞳は、なんでも見通しそうな冷たさも感じる。
「戦になったらどうするっ⁈」
「なりませんしさせません。もしなっても負けません」
「こちらのお魚も美味しいわよ」
(……なんなの、この空間……)
いっそ小気味よいと感じるほど続く国王と王太子の口喧嘩を聞くともなしに聞いていたら、だいたいの事情は理解した。
ウィルフレードが行った突然の宣戦布告は、あくまでもウナグロッサの王宮へそういう名目の書状を送っただけで、実際のところメルカトゥスの街を攻撃などしていないらしい。あの街へは『花嫁を迎えに来ました』と言って占拠、もとい、滞在したのだとか。
だからこそウィルフレードのあの盛装姿だったのだ。
国境検問所や街の代官たちはあっさりウィルフレードの口車に乗り、きっちり軍備を整えた一個師団の侵入を認めたというのだから、リラジェンマとしては眩暈に襲われる。
(王太子本人がいるのだから、それくらい厳重に警備していても……って思ったのかも? とはいえ、そんな名目で一軍の侵入を許すなんて、なんのための国境警備よ。機能していないじゃないっ)
メルカトゥスの街の住民には一時的に外出禁止を命じていたらしい。代官には姫本人が来たらお祭りにしましょう、それまではサプライズにしたいから隠れていてください、などと丸め込んだのだとか。
そうしてテントを張った翌日にリラジェンマが訪れてウィルフレードたちもびっくりしたらしい。
彼としても2~3日滞在すると想定していたのだとか。ここまで迅速に世継ぎ姫を差し出すなど、逆になにか裏があるのかと一目散に逃げてきたのが実情だとか。
「早く逃げろと佑霊たちが急がせるものだから、余計に」
「そうか。それなら仕方ないな」
(……はい? 『仕方ない』で済ますの?)
国王陛下も王妃陛下も、ウィルフレードの言った言葉に驚く様子もなく平然と聞いている。
(お二方とも、ウィルが佑霊の言葉を聞けるという事実は当たり前のこととして受け止めているのね)
それになによりこの部屋は人払いが済んでいる。親子間ではウィルフレードの特殊能力は既知なのだろう。
「あの、ウィル。質問しても?」
「なんだい?」
リラジェンマが恐る恐る口を開けば、ウィルフレードは笑顔で彼女に対応した。しかめっ面をした父親から解放される道だと思ったのかもしれない。
「もしかして、だけど。そもそも急にウィルがウナグロッサに来てわたくしの身を要求したのって……始祖……いえ、佑霊、の指示だった?」
「お。流石だね。そのとおりだよ」
「どんな指示だったの?」
肩を竦めながらウィルフレードが語る。
「佑霊、というか。精霊たちがね、うるさかったんだ。『来て。助けて。早く。お願い』と。彼らが一斉に喋ると言葉というより耳鳴りに近くてね。理解するのに苦労したんだ」
ウィルフレードの言に驚かざるを得ない。
そもそも。
リラジェンマが育ってきた常識としては、人は死ぬとみな精霊になる。
精霊というものは、その多くは生きていたときの柵を捨て、記憶を捨て、魂だけの存在になり、本人の好きなことをし始める。その魂の相性のいい場所へ行き、その場所で自由気ままに過ごす。
生前、海が好きだった人間が精霊になったとき海の精となったり。
木こりとして己の仕事に誇りを持って生きた人間が精霊になったとき、木の精霊となったり。
その魂が思うまま、気の赴くまま行動するのが精霊。
そういうものだとずっと思っていた。
ウィルフレードが精霊の声を聞く特殊能力があるという話は昼間知った。
だが、基本自分の好きなことしかしない精霊たちが、ウィルフレードに向かって語り掛けるだなんて、会話が成立するなんてそもそも驚愕なのだ。
ウィルフレードは語る。その日は精霊たちが妙に騒がしかったと。
好きなことしかしないはずの精霊が、徒党を組んで一斉に語り掛けたのだと。
しかも隣国の精霊まで一緒になって。
ウィルフレードもはじめは聞き流していたが、彼らのその懸命さに重い腰を上げた。訴えた精霊の中に佑霊が混じっていたのも理由としては大きかったらしい。
「佑霊とは、君も知っているとおり精霊の中でも護国意識の高い精霊だ。生前、王家の人間だったり騎士だったりして愛国心が強く、死したのちもなお国を憂う精霊たちだ。彼らの助言に耳を傾けるのは当然のことだ」
(『君も知っているとおり』? いいえ、初耳なのだけど⁈ 佑霊ってわたくしたちのいうところの始祖霊と同じって言ってたわよ。始祖霊はウナグロッサの王家の人間がなるものだわ)
王家の人間だけでなく愛国心の強い人間も、死後特別な精霊になるというのか。
知っていて当然として話を進められるとつらい。ウィルフレードと出会ってから何度も感じる認識不足による会話の不成立さに戸惑いつつ質問を挟む。挟まざるを得ない。
「えっと、まず精霊と佑霊の違いなんて、わかるの?」
リラジェンマがいままで信じて来た常識では、精霊は人間の目には視えない存在だったはず。
「判るよ。輝き方が違うからね」
そうあっさりと返答したウィルフレードに驚きも倍増した。彼にとっては声だけでなく、会話が交わせるだけでなく、精霊の存在までも視えるのか。しかも精霊と佑霊の違いまで判るなんて!
「陛下たちも、精霊が視えるのですか?」
「いや。それはウィルフレードだけの特殊能力だ」
リラジェンマが国王へ問いかけると、彼はあっさりと否定した。国王の瞳を覗き込めば、黄水晶の煌めきがリラジェンマを見返した。
悪意は欠片も見当たらないし、嘘を言っている風でもない。
ウィルフレードは困惑するリラジェンマを知ってか知らずか、説明を続ける。
「その佑霊がね、僕に言ったんだ。『嫁がいるから迎えに行け』って」
「え?」
「嫁って誰? って訊いたら『リラジェンマ』って教えてくれた」
どういうことだろう。
「ウナグロッサの国内に入ったら、長い銀髪の佑霊が泣きながら僕に訴えるんだ。『リラジェンマを助けて』って。『お願い早く』って」
泣きながら訴えた銀髪の佑霊、とは。……生前は誰だったのだろう。
(もしかして……おかあさま?)
生前の母はリラジェンマに対して冷淡であった。
その母が、記憶を無くすはずの精霊になった後にまで娘の助命を願うものだろうか。……まさか。
「ウィルは、どうして佑霊の言うことを信じたの?」
そもそも精霊は好きなことしかしないのだ。
精霊が好き勝手に言っているだけだと聞き流さなかったのは何故なのか。リラジェンマには不思議なことなのだが。
「精霊の、特に佑霊の助言は昔から我らを導いてくれると、過去のヌエベ国王が書き残しているんだ。初代さま、五代目、七代目、十三代目なんかは僕のように精霊の声を聞けたらしい。
直接声が聞こえなくても、我がヌエベ家の人間はみな異様に勘が鋭い。父上や弟もそうだ。言葉としてでなく、感覚で精霊の助言を受け入れやすいんだろう」
当たり前のことのように語るウィルフレードに、云々と頷く国王陛下。
(え? つまりそれは、……今まで勘を頼りに国家運営してきたということ?)
これぞ文化的衝撃。異文化に感じる違和。リラジェンマの常識では計り知れない事実であった。佑霊関連の話の中でも最大限に驚愕な事実だ。
「いまリラジェンマ姫が考えたとおりよ。勘が頼りなのですもの。グランデヌエベはちょっと特殊よね」
そう言ったのは王妃であった。王妃自身は他国の出身なのだと本人から説明を受けた。
「今上陛下はウィルフレードを非難するようなことばかり仰いますが、そんな陛下も王太子時代には先代の国王陛下に同じように怒られていましたしねぇ……ほら、こちらのプリン、美味しくてよ? どうぞ召し上がれ」
「ヴィルヘルミーナ……」
「母上……」
鷹揚に笑いながらリラジェンマにデザートを手渡す王妃に、渋い顔をした国王と王太子。
(相変わらず……混沌ね……)
リラジェンマは驚愕に固まったままの笑顔でデザートを受け取った。




