第二部 第四章 2 ーー 住民の怯え ーー
九十九話目。
ようやく出番なのに、ゆっくりご飯食べる時間ないの?
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飛び込んできたのは四十代に思える肌黒い男。
男はすぐにカウンターに駆け寄った。
「あのバカ、石碑を壊しやがったっ」
男が“石碑”と言った途端、それまで賑わっていた店内から音が消えた。
時間が止まったみたいに。
誰もが動くことを忘れ、飛び込んできた男を硬直して眺めた。
呆然とする僕らを除いて。
クシュッ。
場違いなクシャミが店内に広がった。
エリカだ。
張り詰めた空気を割るクシャミに、エリカは「何?」と唇を尖らせ、辺りを見渡す。
「……それであのバカは?」
クシャミがきっかけだったのか、時間が動き出す。
洗い物をしていた店主が男に聞いた。
男は焦りから何度も息を呑んで落ち着き、
「警備の奴らに捕まった。多分、今は広場に連れて行かれてるだろ」
肩で息をし、気持ちを整えているが、まだ興奮は治まっていない様子だ。
「ーーで、石碑はどうなってんだよ」
奥にいた体格のいい男が乱暴に席を立ち、声を荒げる。
男は狂ったみたいにくびを振り、
「ダメだ。荒らされてる」
うなだれる男は大きく舌打ちをして、イスにドンッと腰を下ろした。
一気に店内に重い空気に包まれてしまう。
誰もグラスに手をつける者が誰もいない。
どうやら僕らだけが部外者らしい。
僕らはこの暗い雰囲気が信じられず、呆然とコーヒーを飲んだ。
「そんなに大変なことなんですか?」
つい、隣の席で塞ぎ込んでいる男に声をかけてしまう。
すると、男は弱々しく頷く。
「そもそも、石碑って何? 何か大きな事故でもあったの?」
反応が鈍い男にリナが聞くけれど、男は答えない。
「祭りで人柱になった子の命を弔っているんだよ」
誰もが口を紡ぐなか、カウンターの奥から店主が恐る恐る声を出した。
「人柱って、生け贄のこと?」
「手厳しい言い方だな。まぁ、そうだ。それで祭りで命を捧げた者の魂を鎮めるために。町の外に石碑があって、それを壊されたみたいだ」
「ったく。余計なことしやがって。町のことを考えてねぇのか、あのバカッ」
事態を嘆いて話す店主に、客の一人が憤慨して文句をこぼす。
だが、その光景に僕はどこか違和感を拭えなかった。
石碑を壊し、死者を冒涜したことに対する憤りなら納得できる。命を尊く思っているのだから。
しかし、店にいる人らは、怯えているように見えてしまう。
「……これでテンペストが起きたらどうするんだよ……」
「……テンペスト?」
「あぁ、そうだ。元々、人柱の命によってテンペストは鎮められてるんだ。それを壊すってことは、縛りを緩めるようなものだろ」
真剣に話す店主の姿に唖然となる。
どこに行っても、そうした思想が根づいていることに。
バカバカしい。
生け贄という習慣すら間違っていると怒鳴りたいのを堪えた。
執拗にコップを握る手に力を込めると、リナの視線に気づき、顔を背けた。
リナも怒りをぶつけるように僕をじっと見ていた。
それは八つ当たりだ。
堪えろよ。
と、小さくかぶりを振って、目配せをしておいた。
「よく耐えたわね。今にも怒りそうな顔をしていけど」
「それはお互い様だろ」
酒屋を出て、リナの第一声は皮肉。
こちらもそれに乗って返す。これには二人とも嘲笑するしかなかった。
自分でも本当によく耐えた、と褒めたいくらいだ。
「でも、あれは間違いよね。これだけこの町に生け贄が信仰しているなんて」
「まぁね。生け贄を軽んじると、テンペストが起きるーー バカバカしい。そんなことないだろ。な、エリカ」
ご飯を食べ終わり、満足げのエリカに振ると、エリカはこちらを見ずにずっと空を眺めている。
「なんか、嫌な天気」
エリカな呟きに空を見上げると、風が強いのか、薄暗い雲が速く流れていた。
「ーーん? あれは何?」
雲を眺めていると、何かにリナが気づいた。
顎でクイッと指した先には、人が集まっていく様子が伺えた。
「あっちは広場だった」
遠くに駆け寄っていく人の背中を眺めていると、エリカが指摘する。
「多分、さっきの騒ぎの人がいると思う」
確か、問題を起こした奴が広場に捕まっていると言っていた。
「……行ってみるか」
広場は放射線状に石畳が延びている形状になっていた。
その中心には、十メートルはあるだろう丸太が立てられており、それを囲むように人は集まっていた。
ざわめきが起きるなか、人の波を掻き分け、中心に近づいた。
気のせいか、ざわめきはどこか肌に刺さるように痛い。
隙間が生まれ、丸太が立てられた中心を視界が捉えた。
「ーーあいつっ」
捉えたのは、町に着く前の忘街傷で出会ったルモイの姿。
ルモイは後ろ手で丸太に縛られ、膝から崩れて座っていた。
出番とご飯は関係ないだろ。
ってか、出られたんだからいいだろ?




