第二部 第二章 4 ーー 知らない過去 ーー
八十四話目。
残された?
私たちだけ?
3
一気に緊張で背中が強張り、背筋を伸ばした。
それまで散らかっていた本などがだらしなく見えていたのに、壁一杯に詰められていた本などの圧迫感が緊張をより強めた。
リナがいなくなったのも影響しているのか、喉が渇いていく。
「おっと、緊張しないでくれよ。楽にしてくれていいから」
緊張する僕らを見かねたのか、先生はお茶を出してくれたのだけれど、僕は一切も口にできなかった。
エリカは……。
隣で平然とお茶を飲んでいる。
一体、こいつは…… 変なところで平静でいられるのは不思議で仕方がない。
「……実は」
それでもずっと黙っているわけにもいかず、ここに来た理由を伝えた。
昔にあった戦争のこと。
テンペストのこと。
祭りの価値観のこと。
リナから聞いたことが気がかりになっていたことを伝えていると、先生の表情が次第に強張っていく。
最初は頬を緩めていたのに、話が進むにつれ、腕を組んでイスに深く凭れ、目を瞑った。
「それでアネモネはリナと袂を断ったってことか……」
「ーーっ」
うつむいていた顔を上げた。
本音としては、リナとアネモネのことは黙っておこうとしていた。
どの道を辿れば、そこを避けて本筋を話すことができるか、と考えながら喋っていると、先に先生が述べた。
「ーー知ってたんですか?」
「あぁ。アネモネから直接な。リナとは目的が違うと。詳しくは言っていなかったけどね。それには僕も責任を感じている。あの二人にはっぱをかけたのは僕だからね」
「そう、なんですか?」
リナがアンクルスを探しているのは聞いていた。それはこの人からだった、ということか。
「じゃぁ、“ワタリドリ”や“アイナ”って子のことも……」
あのときの状況を頭に掠めながら言うと、先生は下唇を噛んで唸ってしまう。
「僕も歴史について長く調べているつもりでいたけれど、その二つが表に出ることはなかったな」
「じゃぁ、初めて聞くってことなんですか?」
「もしかすれば、君たちは歴史のなかでも、より深い根源に近い部分に触れようとしているのかもしれないね」
顎を擦りながら、先生は感心するように僕らを眺めた。
「それって、祭りにも関わることであるのかね? そもそも、なんでみんな忘れてしまっているのか」
久しぶりに聞くエリカの奇妙な口調。
大人を前にして緊張が高ぶったのか。
初めて聞くエリカの声に、先生は少し驚いたあと、小さく何度も頷く。
「……私が調べていた上でわかったことは、結局のところ、すべては昔に起きた戦争が世界の歪みだと思っているんだ」
そこで先生はふと顔を上げて、壁を眺めた。
壁にはやけに古ぼけた地図が貼られている。
「戦争はすべてを歪ませてしまう。大地もそうだし、人の心もね」
「人の心?」
「君の指摘はごもっともだよ。でもね、考えてみなさい。酷な話し方だが、いつの時代も価値観というものは人によって変わるものだ。その時代の流行なんかもね。大半の者が戦争を忘れているのも、そこが問題なのだ」
先生はそこで右手の人差し指を立てて強調するけれど、僕らは首を傾げた。
「事実、戦争はあった。これだけは言える。そこで世に広がったのは敗者の遺恨ではなく、勝者の思想だった。
勝者は戦争に勝ったことを誇りに持ちながらも、戦争の事実を後世に残すことを拒んだ。事実に蓋をして、なきものにしたんだ。それはおそらく当時の権力を使ってね。確かに最初は反発もあっただろう。でも、それは世代が代わるにつれ、次第に薄れていき、長い年月を経て、戦争という事実そのものが消えてしまったのだろう」
淡々とした、ゆっくりとした口調で話す先生だけれど、僕の胸には強くのしかかってくる。
「それでも、世間に抗い、歴史を残そうとした者たちもいる。敗北者たちだ。それは遺恨からくる反抗だったのかもしれないけれど、少なからず、戦争があったことを知っている者は現代にも残っている。けれど、世間はそれを認めていないだろうけどもね」
世間が認めていない?
だから戦争を知らない?
「お主はなぜ、それを知っている?」
また鋭い指摘をエリカが放つ。
それは僕の胸にも少なからず刺さっていた刺である。
しかし、リナらの知り合いであるならば、多少の予感はある。
「ーーそうだね。僕はその敗者側になるね」
予想はしていた。
けれど、直接聞かされると、身が引き締まってしまう。
隣でエリカが上目遣いで訝しげに睨む。
刺々しい眼差しに、先生は苦笑した。
「そう責めないでほしいものだな」
「あ、いや、そんなつもりじゃ」
指摘に息が詰まり、エリカも気まずさで顔を背けた。
「冗談だよ。大丈夫。君たちを責めるつもりはないさ。けど、これだけは知ってほしいんだ。僕は純粋に歴史を学びたかっただけ。遺恨なんて気にしていないって」
別に先生が悪いなんて、捉えていない。けれど、先生の弁解に頭を下げてしまう。
先生のまっすぐな眼差しに耐えられなくなった。
「まぁ、でも君たちが疑いを抱くのも仕方がないさ。人とはそういうものなんだよ」
「そういうものですか?」
「そういうものさ。だから、争いを根絶することもないんだよね」
「争い? でも戦争は終わったんじゃ?」
「……戦争は、ね。でも、小さないざこざは消えることはないよ。辛いことにね」
リナにもいろいろとあるんだろうけど……。
ちょっと考えないといけないのかな……。