第二部 第二章 3 ーー すれ違い ーー
八十三話目。
この人が先生、ねぇ……。
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先生と呼ばれる男は、シワの寄った白いシャツとラフな格好でいた。
僕らを気にせず、だらしなく大あくびをすると、両手を天に伸ばす。
五十代半ばだろうか。顔は四角く堀も深い。
体格はよく、年齢の割にはしっかりとしていた。
それでも頭は白髪交じりの坊主頭だった。
やはり青い目が最大の特徴であり、そのせいもあるか、幾分若く感じられた。
「このみそぼらしいのが先生。えっと、名前はなんだっけ? ま、いっか」
本を片づけながら、面倒そうにクイッと親指を突き出して指した。
咄嗟に頭を下げたけれど、いいのか?
まかりなりにも、先生なんだろ、もう少しは敬ったりしてもいいんじゃないのか?
疑問が頭の周りを飛び交うなか、先生と呼ばれた男もつられるように肩をすぼめておどけた。
いやいやいや、威厳は?
頭を隠す姿に目を疑ってしまう。
「あぁ、リナ。その本は慎重に扱えよ。年代物で貴重なんだから」
雑に本を片づけるリナに注意する。そのときが初めて機敏に動いた。
「そんなのどうでもいいの。よしっと。これで多少は座れるでしょ。さ、座って」
と、まるで先生がいないみたいにリナは動き、僕らをテーブルに勧めた。
呆気に取られながらも、流れるようにエリカと並んでイスに座る。
でも、ただ本を隅に寄せただけで、綺麗になってはおらず、居心地は悪い。
「はいっ、先生も早くっ」
リナは気にせず、立ち竦む先生を乱暴にイスに座らせた。
足元に当たる本を気にしながら座っているも、先生はまだ眠そうにあくびを堪えられず、目をショボショボさせていた。
「どうした? 急に来て。珍しいな」
「うん。ちょっと先生に聞きたいことがあって。歴史のこととか」
「ーー歴史」
それまでとぼけていた先生であるけれど、リナの話を聞いた途端、表情が変わる。
急に引き締まり、眉間にシワが寄った。青い目がより鋭くなる。
どこか一蹴されそうな雰囲気になるなか、先生は崩れるようなため息をこぼした。
「面白いことを聞くんだな。はっきり言って、世界の歴史に興味を持つなんていないと思っていたんだが。まぁ、確かにお前たちは昔から興味を持っていたけれどな」
「まぁ、私らもちょっと変わっていたからね」
なんだろう。どこか軽やかな掛け合いが交わされていく。
どちらも引くことなく本心をぶつけている姿が軽快に見え、頬が緩んでしまった。
「何、笑ってんのよ」
こちらの表情に気づいたのか、訝しげに睨んできた。
メガネのブリッチを直して。
「いや、なんか馴染んでるなって思って」
リナの勢いにたじろぎながら、弁解する。
今にも殴りかかりそうな勢いに、両手を見せて制した。
慌てる僕を牽制したあと、リナはイスに深く凭れ、
「う~ん」と唸る。
本当にふくれているように。
「しかしなんだ、そのメガネは?」
憤慨するリナを満足げに眺めていた先生は、リナのメガネに気づいて小さく指差した。
一瞬たじろぐように顔を背けた。
「ったく。お前ら姉妹は揃って何をやっているんだ」
「別にアネモネのことはいいでしょ」
「そうか? あいつも最近来たけれど、あいつも雰囲気違っていたぞ。なんか、お前とは目的がーー」
「ーー来たのっ」
先生の言葉に耳を疑い、エリカと目を合わす間もなく、リナが声を荒げた。
間髪入れない反応に、先生はたじろぎながら、目を見開いた。
「あれは二日前だったか。突然来たんだよ。挨拶ってな」
「二日前……」
すれ違いか、と現実を知らされ、身を丸めてうつむいてしまう。
まぁ、そう上手く会えることなんてないよな。
「もしかすれば、まだ街にいるんじゃないか?」
塞ぎ込むリナに、窓の外を眺めながら何気に先生は言う。
それは闇に射し込む光だったのか、リナはメガネを外し、呆然としていた。
「もしかして、お前を待っていたんじゃないのか? 誰かを待つみたいなことを言っていたからな」
「ーー本当っ」
どこかリナが先生を責めているようで、先生は怯えるみたいに小さく頷いた。
「ーーごめん」
瞬間、リナは慌ただしく席を立つと、一目散に部屋を飛び出してしまった。
「ちょっ、リナっ、どこに行くんだよっ」
テーブルに手を突き、大声を上げるのだけれど、僕の声は虚しく散った。
「ったく、もうっ。行くぞ、エリカ」
無茶苦茶だと嘆きたくなりながら、唖然とするエリカを促し、後を追おうとした。
「ちょっと待ってくれ」
続けてエリカも席を立とうとしていると、前にいた先生が落ち着いた様子で手の平を見せて制した。
リナとのおどけた口調ではなく、低い声で止められ、首を傾げてしまう。
先生はじっとこちらを見ており、青い目で見据えられると体が固まってしまう。
それまでになく、鋭い威圧感が迫っていた。
一度エリカと顔を見合わせると、再びイスに座り直した。
「悪いね。多分、君らにも事情があるんだろうけど、あの子が向かう場所には、一人で行かせてやりたいんだ」
僕を引き止めたときとは、威嚇するほどの強い口調だったのに、穏やかな口調に戻っていた。
窓の外を眺める横顔は、寂しげであったけれど、振り向いたときには屈託なく目を細めた。
キツネみたいに細めた姿は、どこか幼さもあった。
「さぁ、話を聞こうか」
まぁ、イメージとは…… ね。うん……。




