第二部 第一章 5 ーー ある変化 ーー
七十一話目。
私としては、食事は大事なんだけど……。
それは変わらない。
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迷う必要なんてない。
向かう場所が定まったのなら、リナの体調がよくなれば、すぐにでも出発するつもりでいた。
リナと二人で勢いよく立ち上がったのだけれど、エリカだけは座ったまま残った料理をまだ楽しんでいた。
一貫して揺るがない心は感心してしまうけど、やはり頭を抱えてしまう。
呆れる僕とリナをよそに、アカマは難しい表情を浮かべている。
「どうしたんですか?」
アカマの様子に不安がよぎり、聞かずにはいられなかった。
「うん。テンペストも問題なんだけどね、フギ地方にはほかにもきな臭いことがあるらしいんだ」
「きな臭い?」
アカマの重苦しい顔を見てしまうと、聞き流すことはできなかった。
「なんか、あっちの地方には、素行の悪い連中がいるらしいんだ。乱暴で町を荒らしている奴らがいるらしい。商人の間でも警戒心を持っているって話を聞くからね」
首筋をかくアカマは思い詰めて見えた。言葉以上に深刻なことなんだろうか。
危険がつきものなのは、旅を始めたころに覚悟はしている。
だからこそ、アカマの忠告に迷うことはなかった。
もちろん、忠告を軽視しているわけでもない。
ただ僕らは、多少の危険があっても、行かないといけなかったから。
準備はすでにできていたので、昼過ぎには町を出ることにした。
アカマはしばらくデネブに滞在するらしく、酒屋で別れた。
デネブを出る間際、昼食を食べずにいた。
言うまでもなく、エリカは不機嫌である。
朝にあれだけ食べていたんだ。無視をしておこう。
「でも、どうする? テネフ山を越えて行くべき?」
町を出て数分経つと、前を歩いていたリナが振り向き聞いてくる。
教えてもらったのは二カ所の忘街傷。一つはテネブ山を越えた先。
もう一つは山を迂回した先にある場所に忘街傷はあることであった。
「そうだな。テネブの山はちょっと険しかったし、登るにも時間がかかりそうだし、遠回りになるにしても、迂回した場所にある忘街傷にしよう」
「別に私に気を使ってるんなら、必要ないわよ。切り替えたつもりでいるから」
言い淀んでいると、リナは語句を強めた。
強引な言葉にこちらが萎縮しそうになる。
やはりアネモネのことが頭をよぎってしまう。
リナは気丈に振る舞っているのだけれど、肩が微かに震えていて、無理をしている節が見え隠れしていた。
何より、僕自身があの場所を避けて通りたかったのだけれど、リナは逆に強引に向かおうとしているみたいに見えた。
「歩きたくない」
覚悟を決めて、テネブ山に向かうかと首筋を擦っていると、後ろから静かな声が突き抜けていく。
エリカである。
そうだ、まだ強情な奴がいたのだ。
こいつも一度口にしたことを曲げることはほとんどない。
まして、今は空腹であろう。強情さは増しているに違いない。
「……悪い。これじゃぁ、逆らえそうにない……」
やはりエリカは強く唇を噛み締め、頭を背けた。
僕らに責められるのを拒みたいのだろう。
こうなれば、テコでも動くことはないだろう。
「まるで子供ね。いつもこうなの?」
聞く耳を持たない様子のエリカ。口をすぼめながらも、何もなさげに髪を撫でて澄ましている。
僕の苦労も知ってくれ、とうなだれると、リナは鼻で笑い、メガネのツルを触った。。
メガネ。
リナは旅を再開するに当たり、一つの変化があった。
初めて出会ったころにはかけていなかったメガネをかけるようになった。
銀髪の前髪を三つ編みにしているのは、以前と変わりないのだけれど、ちょっと新鮮に見えてしまった。
それでもメガネをかけた姿を目の前にすると、どうも胸が苦しくなってしまう。
「ーー大丈夫なのか?」
リナに問うと、寂しげな眼差しとぶつかってしまう。
「これだけは捨てたくないし、ずっと持っていないといけない気がしたんだ。これは覚悟でもあるの。私なりの」
「……そうか」
リナの決断を否定することはできない。揺るがない気持ちを邪魔したくなかったので。
リナはアネモネのメガネをしていた。
それは覚悟の現れであるのだろう。
それでも、髪の長さが違っていても、前髪の三つ編みや雰囲気からして、アネモネに似ていた。
やはり姉妹なんだ、と感心してしまう。
「……いいわ。じゃぁ、迂回した方にしましょ」
「いいのか?」
「だって、これじゃ無理なんでしょ」
ふくれて顔を背けたままのエリカの姿を、顎で指すリナ。
まだ拗ねているエリカに呆れてしまう。
「……悪いな、ほんと」
「あんたも大変ね」
同情が身に沁みて痛い。
本当にそうである。わかってくれっ。
新たに旅を始めることになるけれど、どうやら主導権を握るのはエリカになりそうだ。
「いいのか?」
「ま、私もアネモネに振り回されていたからね。こういうのは慣れてるわ」
あっけらかんと振る舞ってくれるリナに、感謝しかなかった。
でも、それを第一に考えるわけにもいかないんだよ。
……まったく。




