第二部 第一章 3 ーー 治るまでは ーー
六十九話目。
急に話しかけられたけど、誰?
私、知らないけど。
3
アネモネは……。
どう説明をしたらいい?
もういない。
裏切られた……?
なんて言えばいいのか。
そもそも僕がアネモネのことを軽く口にできるほどに、長く旅をしていたわけではないのだから。
軽はずみなことは逆に傷つけてしまいそうで、口は開いてくれない。
急激に恐怖に襲われ、背筋が寒くなっていく。
助けを求めるように、リナを眺めた。
リナの怯えた眼差しとぶつかってしまい、怯えが伝わってくる。
「……彼女は別に行かなければいけないところがあって、それで二手に別…… れたんで…… す」
怖さで目を逸らす僕らをよそに、弱々しい声が風に揺れて耳に届いた。
リナも声を出していない。
エリカだ。
エリカが弱くも重い空気を切り裂くように強く響かせた。
しかも驚く僕らをよそに、エリカは平常心が戻ったのか、何事もなかったみたいに料理に手を伸ばしていた。
それこそ、僕らの心配をよそに楽しそうに。
それも、咄嗟に出た安易な返事であると怯えそうななか、疑うようにアカマが僕らの様子を伺っていた。
やはり、嘘であるのを見透かされているみたいだ。
本当のことを話すべきか……。
「……ふ~ん。どうも、君らも大変そうだね」
不審がられ、強く追及されるのかと身構えていたのだけれど、意外なほどにすぐに受け入れられ、アカマは納得していた。
疑われて…… いない?
安堵するけれど、どこか肩透かしであり、リナと顔を見合わせてしまう。
リナも驚いていた。
「やけに簡単に信じちゃうんですね。疑ったりしないんですか?」
エリカは僕を上目遣いで睨んでいた。
いや、別に責めてなんかいないけどさ、つい。
苦笑いでごまかしながら流すしかない。下手に相手をすると、それこそナイフの刃がこちらを捉えそうだ。
無視してアカマを見ていると、アカマは顎を擦りながら何度も頷いていた。
「まぁ、こうして商人としていろいろ町を練り歩いていると、いろんな人と会うことがあるしね。それこそ危ないことに関わっている人にだってね。だから、それほど深くはね。それに彼女はそんなに怪しくはなさそうだったからね」
と、リナを眺め屈託ない笑みを献上させた。
目を細める表情は、穏やかである。
リナも自分を擁護されたと思ったのか、澄ました表情で前髪を撫でていた。
いや、別にお前を褒めたわけじゃないと思うんだけどね。
「それに、彼女らも深い事情がありそうだったからね」
「深い事情ってなんだよ?」
「うん。前に忘街傷のことを聞いていたのよ」
「まぁ、忘街傷を探す人なんて珍しいからね。それで僕も覚えていたんだよ。それに、二人とも綺麗だったからね」
っと、大人しそうに見えても口は上手そうだ。人をおだてることをすんなりと口から出てくるのだから。
「アネモネがいれば、素直に喜びそうね。でもありがと。素直にもらっておくわ」
ただ、リナにはそうした社交辞令は効かないらしく、愛想笑いでかわしてしまった。
平然と髪を撫でる姿に、アカマは恥ずかしそうに頭を撫でていた。
「ーーと、それで僕の情報は役にたってくれたかな」
「えぇ、もちろん」
ただ、リナの表情が少し暗くなった気がした。
そこまで明るく振る舞っていたアカマであったけれど、リナの変化を敏感に読み取ったのか、詳しく聞こうとはしなかった。
「……忘街傷?」
そのまま重い空気が乗りかかってきそうななか、これまで黙っていたエリカが顔を上げて呟いた。
こいつは盲目なのか、それとも僕らとは別の空間を過ごしているのか、と疑いたくなる。
それほどまでに鋭い言葉に聞こえた。
……忘街傷ねぇ。
「そういえば、あれから新しい忘街傷の情報は手に入ったのかい?」
ずっしりと重い空気に風が舞い込むように、アカマが問いかけてきた。
何かを思い出したみたいに。
「ううん。そればっかりはね。砂漠で小さな石を探すようなものだから」
悲観的なことでリナはかぶりを振る。
そう。今、僕らが直面している問題でもある。
アネモネにセリンと、二人を捜すにしても、どこに向かうべきか途方に暮れていたところであったから。
「それで、新たに仲間を加えて忘街傷を探してるってことかい?」
「まぁ、そうなるかな。でも、今は行く当てがなくて困ってるの」
お手上げ、と両手を顔の横まで上げると、大げさにため息をこぼし、かぶりを振ってしまう。
「いや、まだ傷が治っていないんだから、しばらくはこの町にいるつもりだけどね」
聞き流しそうであったけれど、聞き流せない。
さすがにすぐに出発、と無茶なことはさせられない。
仮に今、新たな目的地を見つけてしまえば、迷わず出発しそうな勢いを手を振って制すと、釈然とせずリナは唇を噛んで睨んできた。
なんだろ、この感覚。
視界に一気に靄がかかり、胃の辺りが締めつけられる苦しさ、嫌なイメージを膨らませる場面は何度もあったはず。
まぁ、相手はリナではなく、エリカであったけれど。
どうも、リナは冷静に物事を捉えると思っていたけれど、エリカと同様に感情的に動いてしまう危うさが漂っている。
嫌な匂いがしそうで鼻を擦ってしまう。
願わくば、エリカも感化されなければいいのだけれど……。
「……治るまではダメ」
頭を抱えてしまいそうになっていると、冷静であるけれど、強い口調の声が釈然とせずに口を歪ませるリナを制した。
瞬時に眉をひそめ、睨んできた。
エリカを。
僕の心配はどうやら杞憂だったらしい。
エリカは手を動かしながらもリナを睨み、牽制を続ける。
獣を威嚇するように鋭く。
揺るがない感情をぶつけるりな。見る見るうちに目尻が吊り上がっていく。
それでもエリカも譲らず、しばらく睨み合っていた。
ダメだ……。
違う意味で頭を抱えそうになっていると、リナが大きくうなだれ、溜め息をこぼした。
「……わかったわよ」
どうやら二匹の獣はエリカが勝っていたらしい。
時に横暴なエリカにも、今だけは感謝しなければいけないらしい。
「でも、本当に大丈夫よ、私。体力には自信があるから。もうそんなに疲れていないから」
リナはイスに凭れ、心配する僕らをよそに、髪を撫でてあっけらかんとした。
平然と笑い、ジュースを一口飲んでいる姿に呆れてしまう。
もう回復しているなんて、さすが怪力女。とは控えておこう。
不敵に笑うリナの顔を目の当たりにすると、僕の心は警戒し、強く脈打っていた。
リナの知り合いだよ。
彼女だってこれまで旅をしていたんだから。