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忘却のテンペスト  作者: ひろゆき


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 第二部  第一章  2 ーー 怪しい薬 ーー

 六十八話目。

 それにしても、なんで私ら、リナにこんなに怒られるの?

            2



 エリカの不可解な態度を怪訝に思い、さらに唇を歪めるリナ。

 ったく、これ以上もめたくないんだけど……。

 弁解しようとすると、リナの後ろの方から一人の男が話しかけ、近寄ってきた。

 エリカはすっと目を伏せ、自分のそばにある小皿に盛られた魚の身を眺めている。

 安心しな、リナ。お前に文句を言っているんじゃない。

 人見知りの壁が発動しただけだ。

 しかし、慣れてしまうものだ。

 エリカの態度に呆れていると、近づいてきた人を見て、目をパチリとしてしまう。


「あ、この前はどうも。助かりました」

「いや、礼を言うのはどちらかといえば僕だよ。薬を買ってくれたんだからね」


 話しかけてきたのは、ある商人。

 エリカがリナのために薬を買った人物。

 まぁ、リナが怒るのも仕方がない。

 まるで嬉しそうに仔犬を連れてくるみたいに、薬を勝手に買ってしまったのだから。

 こちらが文句を言う隙もなく、途方に暮れるしかない。

 でも、結果的にリナは早く回復したのだから、この人には感謝している。

 だから、そんな態度をするなって話なんだけど……。

 無理そうだ。

 エリカは黙々と料理を口に運んでいる。

 ここは僕が真摯に対応しなければ。


「……誰?」

「あぁ、さっき言ってただろ。お前のーー」


 やばい、忘れていた。

 笑っていた顔が急激に頬が強張ってしまう。

 目の前のリナの釈然としない顔を見てしまうと。

 この勢いでは、振り上げた拳をそのまま商人の顔にめり込ませそうだ。

 この怪力女はやりかねないぞ。


「いや、だからちょっと待ーー」

「あんたなの、この子に怪しい薬を売ったのってーー」


 咄嗟に目蓋を閉じた。

 その瞬間はきっと雷が落ちる瞬間よりも酷い惨劇になりそうで。

 実際の雷が落ちたとき、辺りは静寂に包まれるのか? 

 やけに静かだ。


「……あれ? あなた?」


 あれ? この場に三人目の女の子はいたか? 

 やけにおしとやかな声が耳に届くのだか。

 いや、違う。この声はリナ?

 さっきまでの乱暴な口調とは正反対の穏やかな声に誘われ、目蓋を開いてみた。

 まばたきが止まらない。

 握った拳を胸の辺りで止め、キョトンとしているリナの姿に。


「ーーあなた、確かアカマさん?」


 聞き慣れない名前がリナの口からこぼれ、呆然としてしまった。

 知り合いなのか?


「あれ? 君は確か……」


 商人は細身のヘチマみたいに長い顔で、黒く伸びた髪を後ろで束ねていた。

 気の弱そうな雰囲気で、よくその細さで立っていられるな、と思えるほどの大きな荷物を背負っていた。


「……知り合いなのか?」


 戸惑いが言葉を詰まらせ聞いてみると、商人は穏やかに眉を細め、頷いた。

 リナはまだ呆然としていたけれど、意識を高めるように小刻みに首を振ると、小さく息を吐き捨てた。


「うん。前に忘街傷について教えてもらっていたのよ。確かアカマさんでしたよね?」

「うん。覚えてくれていたんだね。商人としては名前を覚えてもらえてるのは光栄だね」


 アカマと呼ばれた商人は、満足げに腕を組んで強く頷いた。


「薬を売っていたのってあなたなんですか?」

「あぁ、あれね。ちょうどいい薬が手に入ったからよかったよ。あれは希少価値がある物だからね。でも驚いた。もしかして、重症だったのは君なのかい? こっちの女の子が血相を変えていたけど」

「そうだったんですか。えぇ、おかげさまで助かりました。ありがとうございます」


 エリカが血相を変える? 珍しいな。それだけリナを受け入れているってことなのか。

 アカマの言葉にエリカを眺めていると、相変わらず一心不乱に料理を口に運んでいる。

 これは料理を楽しんでいる反面、話しかけられるのを拒んでいる防護策だな、これは。


 ーーしかし。


 さっきまでのリナはどこに行ったのだ? 数分前まで敵意を剥き出しにしていたのに、その狂気さが消えている。

 行き場を失った拳は怒りをごまかすように、銀髪を撫でている。

 それが逆に怖いのだけど。

 そこでアカマは背負っていた荷物を床に降ろした。ドンッと鈍い音がするほど、重力に従った荷物。

 よくそれだけの重さを背負って平然といられたことに驚かされる。

 アカマは重さから解放され、肩を回して首筋を擦っていた。縛られていた重みがなくなり、安堵するみたいに。


「この人はアカマさん。前に忘街傷のことで教えてもらったことがあったのよ。この子たちとは、一緒に旅をすることになったんです」


 リナの紹介に会釈するアカマ。

 つられてこちらも頭を下げたけど、戸惑いの眼差しをリナに向けてしまう。

 さっきまでの威勢はどこに行ってしまったのだ?

 狂気まで漂わせて怒りが嘘みたいに、今は大人しい。

 疑いを向けていると、「うるさいっ」と言いたげに、リナは眉間をひそめた。

 アカマには気づかれないように。

 ここは波風を立てないのが賢明のようで、言葉を呑み込んでおいた。

 ただ、僕らのやり取りを知らないアカマは、途方に暮れて顎を擦り、首を傾げていた。


「あれ? そういえば、もう一人の女の子は? 妹さんだったっけ。明るくて、メガネをかけていた子」


 何気ないアカマの指摘が僕らの意識を止めさせた。

 息さえも忘れてしまう。

 リナと下唇を噛み、視線を横に逸らした。エリカもつい手を止めてしまう。

 アカマだけが不思議そうに僕らを眺めている。

 無垢な眼差しがとても痛く、目を合わせることができない。

 アカマが指摘するのはアネモネのこと。


「何か買い出しに出てるのかい?」


 事情の知らないアカマの声が悪気がないからこそ、辛かった。

 いやいやいや。

 まぁ、リナに怒られるのも、多少はわかる気がするけどね……。

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