第六章 3 ーー 遠い日に聞いた物語 ーー
六十話目。
バカバカしいよね、リナ。
3
その本に描かれていた物語に、いつも心は躍らされていた。
一文字、一文字、一行、一行を声に出すたびに、果実を頬張り、心が満たされているようだった。
溶けた体が物語のなかに入り込み、その町を歩いているみたいに。
語り部は言う。
昔、世界には“国”という存在が二つあった。
それはいくつもの町や村を束ねた組織の形であった。
人が生きるために知恵を持ち合い、助け合って互いに支え合っていた。
やがて、二つの国から一つの世界として統一された。
大地は一つにまとまった“世界”へと変わっていった。
「……バカバカしいよね、今思うと」
夜空に浮かぶ月を眺め、アネモネは呟き、焚き火に枝をくべた。
必要以上に拾った枝をパキパキと折っているペースが早いのは、それだけ怒っているらしい。
「何、怒ってるのよ」
このまま必要以上に枝をくべたって無駄なだけ。
諭すように手を止めさせた。
今日はずっとそうである。
昼間、カサギと一戦交えてからずっとである。
それこそ、アネモネが手を擦れば火が起こりそうなほど荒々しく、近寄りがたく刺々しい。
「あの本がムカつくの。なんで、あんな奴らが持ってるのよ、あれを」
焚き火をじっと睨みながら、握ったブンブンと振り回す。よくもまぁ、あれだけ暴れたのに元気なものよ。
そういえば、全然顔も汚れていない。
まぁ、確かに機敏に動いていたけれど。
私としては。
あれだけの大剣を振り回して、腕が攣りそうだっていうのに。
ちょっとがんばりすぎていた。
「何言ってるの、あんたあの話、子供のころ好きだったじゃない」
「今も好きだよ。あの本は。ただ、あいつらが持っていたのが嫌なの」
「まったく…… 勝手なんだから」
カサギと一戦が終わり、憤りがまだ治まってくれず、早くその場を去りたくて、肩が大きく揺れていたとき、倒れた隊員の一人の服の隙間から、その本は見えていたのである。
子供のころにアネモネと一緒によく読んでいた物語の本を持っていたのであった。
物語はある世界の冒険談であり、世界に流通している物語であったけれど、私たちの住んでいた街、そこを含んだ地区では物語は空想ではなく、史実として語り継がれていた。
人々に遺恨を刻むようにして。
「……この地方に住む人が、これが事実だって知ってる人はきっといないんだろうね」
「でしょうね。知ってる人はアンクルスの街に関わりを持っていた子孫の私らだけでしょうし」
大きな秘密を抱えているのは、心が窮屈で、誰かに言って解き放ちたくなり、近くのアルテバの方向を遠い目で眺めた。
ーーでも。
「でも、こっちの地方で住んでる人を責めても仕方ないじゃない」
きっと、アネモネは事実を知らない人に対しての怒りが、せわしなく枝を折ることでごまかしているんだろう。
「違うの。私が怒っているのは、カサギの連中。あいつら、人を人として扱ってなかった。ゴミのくせに。あの物語に希望を持つようなことをしているのが。
覚えてる? あの話の最後、一つの世界に統一されて消えた街の名前がアンクルスだったって。それが事実だったから、私らも希望を持ったんだよ。その街に、あいつらと一緒の考えが嫌なの」
より太い枝を勢いよく折り、火にくべるアネモネ。
パチッと火の粉が飛び、口を尖らせた。
「……まぁね」
物語では平和的に、友好的に国が統一されたとなっているが、実際は醜い利権が絡み、酷い争いになっていた。
そして、一つの国が敗れ、アンクルスという街が滅んだ。
後に負けた国のことをほとんどの者が忘れたとされていた。
「でも、変な話よね。ほとんどの人が大きな歴史を忘れるなんて」
「まぁ、噂では、それに“テンペスト”が関わっているって話もあるけどね」
揺れる火を眺めていると、子供のころに大人から聞いていた話と顔が陽炎となって焚き火に重なっていた。
「ねぇ、ヤマトが言っていた二人も、それを調べるためにテンペストを追っているのかな?」
アネモネの機嫌は治まったのか、草原に手を着いて背を反らす。
夜空を眺めた瞳は好奇心に輝いている。
「どうだろ。そればっかりは、会ってみないとわからないわね」
影薄男と大食い人見知り女か。
聞く限り大した人物じゃなさそうだけど。
「ねぇ、リナ。もしその二人が私らの邪魔をしてきたらどうする?」
自分たちの邪魔をする者が現れたなら……。
アネモネ…… なんで?




