第五章 10 ーー 問いかけ ーー
五十五話目。
驚きで言葉が出ないなんて……。
10
咄嗟に目を瞑ってしまった。
何か異変が起きるのか、と警戒していたけれど、しばらく経っても何も起きる気配はない。
ややあって腕を下ろした。
すでに光は収まっていた。
それでもどこか、背中が肌寒い。
なぜなのかわからず、途方に暮れていると、姉妹と目が合った。
「何も起きなかったの?」
アネモネが呟いた。
「いや、何かが違う」
得体の知れない警戒心から否定し、辺りを見渡してしまう。
すると、辺りの様子が少し変わっていた。
地面の草は先ほどよりも短く、大剣を刺していた石の劣化がない、真新しい石になっていた。
周りの木は青々と葉が生い茂っていて、それまで無残に山肌が剥き出しになっていた奥の山も、元に戻ったみたいに木々に覆われている。
湖も変わっていた。
先ほどまで藻が発生してどす黒くなっていた水面が透き通り、底が見えていた。
まるで時間を遡ったみたいに。
しかも数年ではなく、何百という単位で。
「何か様子がおかしい」
眉をひそめていたとき、エリカが僕の腕をギュッと掴んだ。
なんだ、とエリカを見ると、エリカは一定の方向をじっと見据えていた。
エリカの様子に不審がっていると、不意にエリカは腕を上げて指差した。
リナが立つ奥の湖を。
湖の奥に立っている、一人の姿を。
人影はこちらに背を向けていた。
長い黒髪が背中まで伸び、赤いドレスを着ている。 白い肌が赤いドレスによってより際立っている。
それは幻で見た少女では、と息が詰まる。
「誰? あれ?」
「女の子?」
同時に振り返った姉妹も、訝しげに眉をひそめる。
当然である。少女らしき人物は、水面に立っているのだから。
「幻で見た女の子、かもしれない」
確証はなかったけれど、自然と言ってしまった。
「何が目的なの、あいつ……」
「辛いことが多すぎるよね、ほんと」
そのとき、女の子の声が突然聞こえた。
この場にいる三人の女の子のの声ではなく、みんながキョトンとしている。
視線が宙を彷徨った後、一点に移る。
湖に立つ少女の元に。
「ねぇ、あなたたちはどうしてここに来たの?」
疑いが消えず、訝しげに睨んでいたとき、少女がこちらに振り返った。
「……やっぱり」
少女の正面を捉えたとき、怖いけれど納得してしまう。
幻で見た少女だった。
屈託のない笑顔を献上してくれた。
「あれって、幻なの?」
アネモネの疑問にかぶりを振るしかなかった。
「幻…… そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわね」
刹那、四人が目を剥いた。
少女は僕の話に反応をしたのである。
「鍵を開けてくれたのはあなたたちでしょ」
鍵…… さっきの大剣が……。
「ねぇ、教えて。あなたたちは何を求めているの?」
少女は目を細めたまま、また聞いてきた。でも警戒心が壁を張り、言葉を紡いでしまう。
「あなた、アンクルスって町を知ってる? 私たちはその町を探してる。あの剣で鍵を開けば、アンクルスに帰れる。そう信じていたっ」
少女の問いかけに反応したのはアネモネ。
少ししか話していないけれど、いつも場を楽しませようとしていた彼女が、急に感情を吐き出すように声を張った。
どこか、怒りをぶつけるように。
その勢いに圧倒されていると、少女がこちらを見る。
僕の反応を待つように。
「僕らは人を捜している。セリンって人を。そのためにテンペストを追ってる」
ここで黙ってしまうのも怖くて、渋々答えた。
「……アンクルスにセリン。それにテンペスト……」
「あなた、何か知っているの?」
リナの責めるような問いかけは、少女を黙らせてしまう。
「ーー知っているわ」
しばらく思案した後、思い悩むように口を開いた。
「教えてっ。アンクルスへの生き方っ。私たちは帰りたいのっ」
「ごめんなさい。それは私にも無理」
声を荒げ、懇願するリナにかぶりを振る。
「やっぱり、まだ問題は解決していないってことなのね。傷口はまだ塞がれていないってことなのね」
「ーー傷口? 傷って誰のだよ」
何かを指して答える少女に、疑問をぶつけた。すると少女は寂しげに笑った。
「そもそも、あなたは誰なの?」
顔を伏せる少女を追い詰めるようにリナが迫った。
「そもそも、あなたは生きているの?」
「いいえ。こうして受け答えはできる。でも違う。私はそうね。言わば、“記憶”ね。生きている“記憶”かな。それをあなたたちが聞いてくれた。だから、伝えたかったの」
「“記憶”って誰の?」
少女は口を開くことはなく、じっと見据えてくるだけ。
「そうやって、疑問を持って、真意を求めることが前進であるから」
意味がわからなかった。
それでも、なぜか少女は喜ぶように目を細める。
「恐れないで。辛いことを受け入れるこたは、難しくても、あなたたちがここに来たことは間違いじゃないから」
「そんなこと言われたって、ここはアンクルスへの扉じゃなかったの?」
力なくリナが問うと、少女はまたかぶりを振る。
「まだ道は開けないわ。でも、諦めないで」
「そんなこと言われたって……」
「ここはきっとキッカケになるから。それにあなたたちも、テンペストを恐れないで」
胸に鋭い物が突き刺さった。
それは以前、幻で聞いた言葉と同じ。
「そして、諦めないで。これからきっとおもーー」
刹那ーー
少女が屈託なく笑みを浮かべた瞬間、光が強まった。
何が言いたい?
何を伝えようとしているんだ?