第四章 7 ーー 赤いドレスの少女 ーー
四十三話目。
ここはどこなの?
6
確かに呼ばれた気がした。
エリカだろうか?
でも、エリカはそばにいたはず。それなのに遠くから呼ばれた感覚があった。
雨は止んだだろうか。
頬が濡れている。頬を拭ったとき、目を開いた。
木の葉が揺れ、雨粒がまた頬を濡らす。
あれ? いつ寝てしまったんだ?
急かされる体を起こした。
いつ眠ったのかなんて覚えはないのに、確かに眠ってしまったらしい。
軽い頭痛が睡魔を衰退させるいい薬になっていたけれど、やはりすっきりとしない。
エリカは?
額を手で押さえていると、エリカの気配がなく、辺りを見渡した。
息が詰まってしまう。
テンペストに襲われたとき、山の麓にいたはず。
「……どこだよ、ここ?」
目に飛び込んできたのは、剥き出しになっていた山肌。
岩みたいなゴツゴツとしていて、地層が何重にも折り重なった肌色が見える。
地面も整備されておらず、雑草が無造作に生えている。雨に濡れた葉は、青々と粒を光らせている。
どこかの山中にいた。
ここは登ろうとしていた山だろうか。
エリカはやはりいない。
おもむろに立ち上がり、山肌や木々を眺めていると、木々の隙間から風が抜けてくる。
風に誘われ、木を伝いながら山の中腹へと進んでいく。
空はテンペストは、と疑うほどに晴れていて蒸し暑い。額の汗を拭いながら進んでいると、視界が広がる。
眼前に小さな湖が広がっていた。
遠くにはまた剥き出しの山肌が見えている。思った以上に山は深いらしい。
エリカは?
勝手に歩き回っていたせいか、エリカはいない。
「……どこに行ったんだ、あいつ」
踵を返し、引き返そうとしたときであった。
湖の麓の部分に、何かの石があることに気づいた。
短い雑草に紛れて隠れている石。
なぜか引きつけられ、石のそばでしゃがみ込んでしまう。
石は一メートル四方の、綺麗に整理された石。
それは地面に埋め込まれており、石の上面だけが地上に出ていた。
これは祭壇か何かだろうか?
ツルツルとした石を撫でながら、そんなことを考えてしまうけれど、すぐに疑念が邪魔をした。
祭壇にしてみれば、あまりに小さい。
不可解な石に疑念を強めていると、より眉をひそめてしまう。
石の中央付近に、奇妙な穴が存在していた。
穴の部分を撫でてみた。
穴は十センチほどの“一”の形をしており、黒い穴を眺めていると、意外にも深い。
穴の縁は所々が欠け落ちている。かなりの年季が重なっているようにも見えた。
それは十年、二十年の単位では計れないほどの腐敗加減である。穴の縁には雨風に侵食され、苔まで生えていた。
この石だけが何百年はここに生き続けているように。
穴を指でなぞっていると、首を傾げたくなる。
「……まるで鍵穴だな、これ」
指にについた苔を擦って落としながら呟いた。
こんなとき、エリカなら「バカ」と茶化すだろうと自嘲していると、微かに人の気配がすっと頬を撫でた。
花の綿毛が触れるように優しく。
エリカか?
不思議であった。
この数分、エリカの姿を見ていない。
今になって急激に不安になって顔を上げた。
「……エリカ?」
顔を上げたとき、一人の人影を見つける。
すぐに怪訝に眉をひそめる。
見つけたのがエリカではなかった。
見つけたのは一人の少女。どこか遠くを眺めている横顔を捉えた。
容姿はエリカに似ていた。
長い黒髪に、目尻が吊り上がった細い目は、意志が強そうに見える。
鼻筋も高く、美人であった。
離れていても、肌の白さが目立っていた。
赤いドレスを着ていて、少女の肌白さはより際立っている。
一瞬、昨日の祭りで踊っていた少女が重なってしまった。裾の長いドレスも似ている。
誰だ? と問おうとして言葉が喉に詰まる。
少女はどこに立っている?
自問しながら、目を疑ってしまう。
少女は湖の中央に立っていた。水面の上で素足のままで。
少女を中心に、水面が緩く波打っていた。
「……あんた、誰なんだ?」
湖の縁に進み、弱々しく呟いた。少女まで距離がありながらも。
声は届いてくれたのか、少女はこちらに向いた。
まっすぐな眼差しが痛い。
「……ねぇ、どうすればいい?」
透き通る声が鼓膜に届く。少女がゆっくりと口を開いた。
「なんのことだよ、急に?」
「ねぇ、この争いはどう止めればいいんだろうね。私にもよくわからない…… ほんと、こんな力なんかなければよかったのに」
こちらの声は届いていなかった。
少女はこちらを見ているけれど、僕の後ろ、遠くを眺めるように喋っている。
それも、誰かに話しかけるような穏やかな口調で。
「何、言ってるんだ、お前?」
会話が成り立っていないのは痛感してしまう。
けれど、つい聞いてしまう。
少女はそこで目尻を下げた。
悲しそうであり、苦しそうに眉をひそめる。
「……わかってるんだよ。目を背けることはダメなんだって。どれだけ辛くても、前を向かないとね」
少女は辛そうでありながら、強い眼差しをぶつけてくる。
伝わらないと知りながら、聞いてしまう。
一方通行の問いかけのはずだった。それなのに、少女は僕の問いに答えるように笑った。
首を傾げ、恥ずかしそうな、儚い笑顔を弾けさせた。
これってなんだよ……。
誰なんだ?




