第五部 第九章 1 ーー 黒い砂塵 ーー
三百三十四話目。
第九章
1
“それ”はずっとそこにいた。
なぜそこにいるのか、考えることはない。
ただ、そこにいる。
動くこともなかった。
動くことを禁止されていたわけではない。
動くことを知らなかった。
ただ、大地を、
草を、
海に、空に、太陽。
そして、そこに息吹く人々を眺めていることをひたすら続けていた。
そこで“それ”が気づいたのは黒い影。
ゆったりと動く黒い物体。
風に舞う砂塵のようでもあった。
放っておけば、黒い砂塵が空を覆い、世界を覆ってしまいそうなほどの勢いがあった。
その黒い砂塵を大地にいる人々は気づくことはない。
黒い砂塵があたかも存在していないようにすごしていた。
“それ”は何かを考えることはないはずなのに、黒い砂塵を放っておくことは危険であると察していた。
人には見えない黒い砂塵を“それ”は己に取り込むようにした。
取り込まなければ、と奇妙な使命感に苛まれたのである。
なぜ、そんなことをしたのか?
答えはわからない。
疑念を抱くこと自体、“それ”はなかったのだから。
黒い砂塵を吸い続けていた。
数え切れないほどの量を吸い続けた。
気のせいだろうか。
世界から黒い砂塵が薄れていくのに反比例するように、人々の表情が明るくなっていくことに、“それ”は気づいた。
黒い砂塵が深くなるほどに、人々の表情が重く沈んでいくように見えたのである。
“それ”の行動は正しかったのか?
どれだけ黒い砂塵を吸い続けていても、決して浄化することはできなかった。
薄れかけていた砂塵は、時を重ねるにつれて増え、重みを増していた。
長く、長い年月。
計り知れないほどの時間。
黒い砂塵を吸い続けていた“それ”はいつしかその黒い砂塵の正体に気づいた。
学習するつもりはないのだけれど、砂塵自体が一方的に“それ”に己の存在を主張してきたのである。
苦しみ、悲しみ、怒り、憎しみ……。
人が抱く負の感情。
意識なんてないはずの“それ”に、重い現実が押し寄せていく。
決して消えることのない人の負の感情が。
それでも“それ”は負の感情を拒むことはなかった。
拒めなかった。
感情を持たない“それ”。
それでも黒い砂塵に影響を受けていたのだろうか。
“それ”に抱くものがあった。
……助けて、と。
………。




