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忘却のテンペスト  作者: ひろゆき


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 第五部  第八章  2  ーー  雫  ーー

 三百三十一話目。

             2



 テンペストが呑み込んだ?


 それって、もしかして……。

 

「そこって、アイナが死んだところなのか?」

「事実をお前は知っているのか?」

「すべて、とは言えないけど……」

「そうか。ならやはり話を通しやすいな」


 僕の返事に安堵する男。それでもどこか寂しそうに見える。

 もしかして、こいつも“ワタリドリ”なんじゃ。


「そうだな。お前の指摘通りだ。そして、あれだけの規模の大地を初めて呑み込んだ大地でもある」

「……初めてって、どういうことだよ?」

「それまでにも、まれに大地を呑み込むことはあったが、戦争が起きるよりも昔はただの天災でしかなかったのだ」


 寂しげに話す男。

 なんだろう、この人物なら、セリンやハクガンが教えてくれなかったことも教えてくれそうな気がした。


「でも、なんでテンペストは人に牙を剥くようになったんだ? 元々、天災だったとしても、そこまで脅えるようなものじゃなかったはずじゃ」

「アイナ様の言葉を借りるならば、アイナ様の予知の力を欲する人の業だ。欲によって、歪んだ想いがテンペストを歪ませ、狂気にくすんでいった」


 なんだろう。

 男はテンペストを、まるで生き物として扱っているようだ。


「テンペストはいわば、星の息吹だとアイナ様は言っていた。星の嘆きでもあり、人の業が強まることを嘆き、助けを求めたのだろう。そして、人々の業を鎮めようとして、戦火に飛び込み、命を落とした」


 なんか、辛い話だな。それだと。


「そして、あの大地には悲しみが治まるのを待っている」


 嘆くように、空を眺めていた男はすっと視線を落とす。


 今度は僕に話すように。


「テンペストは、己が取り込んだ者に選択を課すのだ。静かに死を受け入れるか、残した後悔に縛られるか、と」


 後悔……。


「その後悔、もしあったら、どうなるんですか?」


 率直な疑問。

 自然とこぼれた疑問は、男の視線を動かす。

 男は僕の後ろを眺めている。

 ふと振り返ったときだった。

 小さな雫がぽとりと水面に落ちた。

 水面に小さく波紋を生み、足元に波が到着する。


 雫は一つ、また一つと雫はこぼれていく。

 それは小雨がふるようで、水面に激しく波紋を生む。

 まるでリズムを奏でるように。


「……またどこかでテンペストが起き、地上に想いを引かれる者がいるんだな。今日は規模が大きそうだ」

「なんだよ、それ。どういうことだよ」

「あの雫は人の命だ。一粒一粒が人の命。水面に落ちた命は地上に残り続けることになる」

「あれがすべて命……」


 信じたくない。


 信じるには、あまりにも雫の数が多すぎる。

 胸の真ん中をごっそりと抜かれた痛みに襲われ、つい胸に手を当ててしまう。


 不意に顔が浮かんだ。


 ローズ。


 彼女がそんなことを言っていた。

 テンペストに呑まれた後、地上に戻ったと。

 そして、とてつもなく長い間、自分が死んだことも忘れて地上に留まっていたと。 


「なぁ、じゃぁ、そうして地上に戻った者は、ずっと地上に留まって、束縛されるのか?」

「いや、地上で想いを成就させれば、束縛はなくなるが、それはただ先延ばしにしていた死を迎えるだけだけどな」

「……先延ばしの死……」

「勘違いしてはいけない。ここを通ることは、すでに命を堕としているのだから」


 話を聞いて、渇いた笑みがこぼれた。

 死ぬことに変わりはないんだよな。


「ただ、お前にはやはり驚かされる。そうして姿形を残してここにいるとは、まるで俺たちのようだ……」


 ……ここにいること。じゃぁ……。


「お前はテンペストに呑まれ、ここに訪れたんだ」


 ……テンペスト。確かに空はテンペスト……。


「そして、お前にはあるはずだ。想いを揺らす後悔が」


 後悔……。


 深呼吸をすると、胸に空いた穴を埋めようとした。

 後悔なら、ある。


「……エリカを助けられなかった。エリカを……」


 この想いを晴らすことは……。

 …………。

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