第五部 第七章 5 ーー 怒りの根源 ーー
三百二十七話目。
聞きたくもない声なのにっ。
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聞こえてきた声に、倒れかけていた意識が奮い立たされる。
はっきりと聞き取れたわけじゃない。
でも、誰かなんて私ならわかるっ。
「ーーどこっ、イシヅチッ」
悲鳴が轟くなか私は叫び、通路へと飛び出た。
矢を恐れてなんかいられない。
無数の兵がうごめく黒い影へと飛び込んでいく。
もうっ、背中が気になるっ。
まだエリカは壇上にいるの?
「ーーいたっ」
影の中心に慄然とするイシヅチ。
うごめく黒い影が散り散りになるなか、迫り来る影をなぎ払っていく。
手にはナイフを握っていた。
律儀にセリンが返してくれていた。
悔しいけれど、今は感謝してる。こうして戦えるから。
辺りにいた兵は、そんなに強い兵っていた?
これぐらいの奴だったら、素手でなぎ払える。
それなのに、なぜか肩で息をしていた。
なんで、こんなに疲れるの。
イシヅチの姿を捉え、一度足が止まる。
周りの兵らも鬼気迫る空気を漂わせながらも、距離を測り足を留めた。
手にした剣の刃を私に向けながらも。
イシヅチは憎らしく口角を吊り上げた。
より胸がざわめいていく。
そっか。私はこいつに怒っているんだ。
「ーーイシヅチッ」
怒りに任せ、距離を詰めようとしたとき、後ろから怒号が飛ぶと、隣に影が揺れる。
アネモネが隣に立った。
「イシヅチッ、あなただけは絶対に許さないっ」
アネモネは声を荒げ、イシヅチにナイフを突きつける。
私の片方を渡しておいた。
二人揃って、刃をイシヅチに突き出した。
そうだ。怒って当然なんだ。
「もしかして、ツルギのことでも言ってんの? 姉妹揃って怖い顔してさ」
「ツルギ様、か隊長でしょっ。礼儀をわきまえなさいよっ」
癇に障る喋り方で放ち、腰に手を当て仰け反るイシヅチ。
珍しくアネモネも喰い下がらなかった。
「おぉ、怖い怖い。そんなに怒らないでほしいね。楽しい祭りの最中だってのに」
「人を殺してるのに、何よ、その言い方っ。あんただけは許さないからっ」
瞬間、アネモネはイシヅチへと駆ける。
待って。
私の制止は意味もなく、距離を詰めたとき、火花が飛び散る。
ったく、もう。
俊敏に動き回るアネモネを、イシヅチは軽やかにかわされている。
こいつ、こんなに強かったの。
すぐさま回り込もうとするけれど、その隙がない。
しかも、イシヅチの方が優位に見えてしまう。
「アネモネッ」
どうも劣勢に見えるアネモネに、手にしたナイフを投げた。
瞬間、空いていた左手でナイフを掴むアネモネ。
ここは下手に加わるべきじゃない。
それにナイフの使い方はアネモネの方が使い慣れている。
ナイフを手にした瞬間、アネモネの目が細くなった気がした。
そう。ここは任せるべき。
二本を手にしたアネモネが優位になったのも束の間、イシヅチはものともせず、小さい体をクルクルと回し、アネモネの刃を軽々とかわしていく。
手にした剣を決して構えない。
刃を受けないまま下げ、弄ぶようにして。
押されている?
さっきまで余裕が見えていたアネモネの表情が強張っていく。
嘘てましょ、と疑っていると、イシヅチは剣を横に大きく振る。
アネモネは後ろに飛ばされる。
ーーっ。
隙を与えちゃいけない。すぐさま地面を蹴り、アネモネと交代する形でイシヅチと距離を詰めた。
にしても、体術は苦手。
追い詰めようとするのだけど、私の手は空を切る。
「よくまぁ、そこまで怒れるね」
「うるさいわねっ。あんた、何が目的?」
「別に? ただ楽しんでるって、言ったら?」
「ふざけないでっ」
責めているのに、まったくイシヅチに触れることができない。
苛立ちが増すばかり。
「ふざけてなんかないさ。僕は今を楽しんでいるの。こうして悲鳴が轟き、怒号が轟くのをね。見てみな、アカギの部下も参戦してきたよ。よりここは荒れる」
「ーーっ」
悪寒が走り、咄嗟に後ろに下がった。
膝を着いてしゃがみ込むアネモネに並ぶ。
油断できないから、視線は動かせない。
けど、確かに鼓膜が反応している。
聞こえる。
騒ぎを起こした兵に、抗う兵の声が。
アカギの隊が本格的に動き出したんだ。
「みんなを苦しめてどうするのっ」
「混沌さ。人を苦しめ、墜ちていくのを僕は望んでるのさ」
「何よ、それ」
「なんだったら、あの壇上にいる女も殺すかい?」
壇上……。
「そんなことさせないっ」
「ふざけないでっ」
アネモネと叫び声が重なった。
そんなことさせない、と二人して立ち直し、イシヅチを睨む。
「どう? 楽しそうだろ」
と、身構える私らを嘲笑うイシヅチは、両手を大きく広げ、挑発を繰り返した。
本当に腹が立つ。
絶対に一発殴ってやる。
「どうしたのさ? 二人がかりでも無駄だって、諦めーー」
また嫌味を発していたとき、イシヅチの声が詰まる。
何が、と眉をひそめていると、イシヅチは目を剥き、動きが止まった。
何が起きたの?
突如立ち竦んだイシヅチの胸元が赤く染まっていく。
じわりと濁った赤が広がっていく。
イシヅチの胸にナイフが刺されていた。
イシヅチッ、あなたは許さないっ。
絶対にっ。




