第五部 第六章 4 ーー 届かない手 ーー
三百十四話目。
やっぱり、どうしても期待しちゃう。
……アネモネ。
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エリカが気を失って時間は空しくすぎ、二日が経っていた。
一瞬見た動揺を裏腹に、穏やかに眠る姿が逆に胸をえぐってしまう。
時間が経つごとに、目が覚めないんじゃないか、と。
不安が高まってしまうけれど、信じるしかなかった。
焦りがどうしても消えてくれないなか、少しでも気分転換にと、飲食店に入り、気持ちを落ち着かせた。
それでも気分は優れない。
アネモネと二人。
しばらく離れていたせいだろうか、それとも互いの考えが違う方向を見てしまっていたからだろうか。
互いに顔を合わす時間が短くなっていた。
今までこんなことあった?
これまで話していない時間の方が短かったはずなのに、今は沈黙の方が長くなっていた。
注文していたジュースの氷がコロンと溶けた音に耳が傾くほど、気まずくて仕方がなかった。
それでも、ちゃんと話さなければいけない日はいつか来るとわかっていた。
それが今かもしれない。
逃げるわけにはいかない。
「久しぶりなのに、なんか辛いね。こうして話すの」
弱音をこぼしちゃいけないと痛感しているのに、抑えられなかたった。
「アネモネ、あなたはこれからどうするの?」
それでも逃げずにいると、アネモネとようやく目が合った。
まっすぐな眼差しのはずなのに、奥は震えていた。
「私は何も変わらない。これからもずっと」
弱々しい声が染みる。
悔しかった。
普段の冗談や、たわいのない話をして、屈託ない笑顔を見せていたアネモネがいない。
ずっと寂しげでいた。
だったら、エリカ。あなたが彼女をレイナと呼んで話していたときは、どんな顔をしていたの?
もっと楽しそうに笑っていたの?
「それって、アイナの意思を継ぐってこと?」
胸に竦む本音を口にする強さは私にはなく、何度も聞かされていたことを確認してしまった。
また揺るがない意思で、強く頷かれると身構えていると、アネモネは椅子に凭れ、うつむいてしまう。
返事がないことに、変な期待を抱いてしまう。
それだったらーー
「ねぇ、帰ろう」
またアネモネと笑って旅をする日がほしい。
微かな期待を持って言ってしまった。
苦しさに涙がこぼれそうなのを堪えて。
呆然としたアネモネの顔が上がる。
多少は動揺をしているのか、目を丸くして、三つ編みにしていた髪が小さく揺れた。
アネモネは唇を噛み、考え込むように目を泳がせている。
否応にも期待が強まってしまい、テーブルの下で手をギュッと握ってしまう。
アネモネはまっすぐこちらを見据えた。
「ごめん、リナ」
寂しげに浮かべる笑顔が辛かった。
やっぱり、一度開いた距離を縮めることは難しいってことなの。
「私のなかにアイナがいるの。だからね、彼女を無視できない。無視しちゃいけない気がしてしまうの。だから、ごめん」
アネモネは胸に手を当て、目を閉じた。
アネモネのすぐそばに、もう一人のアネモネの姿が重なる。
数ヶ月前の好奇心に満ち、なんにでも前向きで屈託ない、メガネをかけた懐かしいアネモネの姿が。
目の前にアネモネがいる。
手を掴もうとすれば簡単だけど、当時のような、明るいアネモネには手が届かない。
私に見えているのは、無理に目を細めるアネモネの姿だけで。
ごめんね、リナ。
私は……。




