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忘却のテンペスト  作者: ひろゆき


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 第五部  第三章  2  ーー  幻との遭遇  ーー

 二百八十七話目。

    アネモネ、あの子何やってるの?

            2



 体を硬直させたのは驚愕。

 広場に現れた人物に瞬きを止められない。

 隣のレイナも、驚きから目を見開いて固まっている。

 私らの驚きをよそに、その人物はよりこちらに近寄ってくる。

 うつむき加減で杖を突いた穏やかそうな男性。

 私らの数歩前でようやく立ち止まると、どこか私らの存在には気づいていないように見えた。


 確かこの人は……。


 私は知っていた。

 以前、幻のなか見た人物。

 昔、牢屋に閉じ込められていたレイナを鉄柵越しに話しかけ、励まそうとしていた人物。


 ……確か、ヒヤマ。


 レイナに関わりのある人物が急に現れ、息が詰まってしまう。

 緊張から唇を舐めていると、幻を思い出してしまう。

 けど、ちょっと年取ってるわよね……。

 あのとき、確かリナやキョウらもこの人物と面識があったはず。

 だったら、ここで私とエリカが一緒にいることに疑いを持たないかな。

 ……にしては、気づくの遅くない?


「ーーん? そこに誰かおられるのかな?」


 ……?


 立ち止まったヒヤマは唐突に問いかけ、顔を上げた。

 ヒヤマは目を閉じている。

 ……なんで? ってもしかして。


「……目が」


 咄嗟に口に出てしまったけれど、すぐに口元を手で覆った。

 間違っていては失礼だと焦っていると、ヒヤマは屈託なく目尻を下げた。

 それでもどこか違和感はある。


「失礼。よかった。ぶつからないで」

「ぶつかるって……」

「あ、すいません。私は目が見えなくてね。もう少しでぶつかるところでした」

 

 やはり盲目であったらしい。


 だからって私らに気づいていないの?


 ヒヤマは私らの前で立つと、杖で両手を支えながら見上げた。

 どこか祭壇を眺めているように感じる。


「あの、目が見えないんですか?」


 つい聞いてしまった。


「えぇ。昔にちょっとね」

「あの、大丈夫なんですか?」


 驚くなか、レイナが優しく問いかける。すると、途方もない方向を一度見てから、レイナに笑顔を振る舞った。


「まぁ大概のことは風や雰囲気なんかで感覚を掴めるのでね。心配してくれてありがとう」


 ヒヤマは毅然と笑う。

 やはりどうも、私らの存在には気づいていなさそうだ。


「あなた方は旅の方ですか?」


 ここは無理に知らせるべきでもないわね。


「はい。あなたは町の方ですか?」


 話しかけるレイナだけど、耳を疑ってしまう。

 確か、レイナもこの人のことを知っているはず。


 それなのに知らない振りをしているの?


「いえ。私も長らく旅をしている者。ここにはしばらく滞在しているだけです」

「あの、町の人の様子が変に見えたんですけど、何か祭りが関わっているんですか?」


 ヒヤマのことも気がかりだけど、それよりも町の様子がひっかかり、聞いてしまっていた。


「らしいですね。祭りがあったらしいですよ」

「それって、やっぱり生け贄もあったってことですか?」

 

 少し口調を強めていた。すると、ヒヤマは何も答えず、表情を曇らせ頷いた。


「どうやら祭りの前に、テンペストが起きたらしくてね。それで祭り、いえ、生け贄を捧げたことに敏感になっているんでしょうね」


 やっぱり。

 じゃぁ、みんな脅えているのね。


「……悲しいわね。守るために誰かが犠牲になるなんて……」


 町の様子に納得していると、レイナが静かに呟く。

 そこでまたレイナは、自分を責めるように顔を伏せてしまう。


「だから言ってるでしょ。あなたが責任を感じることはないって」


 このままだと責任感で倒れてしまいそうなレイナ。

 背中に手を当てると脅えながら頷いた。


「なぜ、長い間この生け贄という風習から逃れることができないんだろうね」


 ヒヤマは塞ぎ込むレイナに気づくように嘆くと、また祭壇を眺めた。

 寂しげに眉をひそめて。


「あなたも生け贄の犠牲になった人と関わりがあるんですか?」

 

 引き込まれそうな寂しさに、つい問いかけていた。

 ヒヤマはじっと祭壇を眺めたまま。

 触れてはいけない部分に触れてしまったか、と気まずさに髪を撫でていると、ヒヤマは顔を下げた。

 本当に目は見えていないのか、と疑いたくなるほどに私にまっすぐ顔の正面を向けた。

 感情が掴めず、体が硬直してしまう。


「あなたも、ということは、あなた方も知り合いの方が生け贄に? それに犠牲と言うからには、あまりいい思いを抱くことはないように思えますが」


 ぐっと息が詰まり、両手を握り締めてしまう。

 意外と鋭いのね。

 一瞬だけど、ヒヤマの隠れている怖さみたいなのを背中に感じた。

 逃げ出すべきか躊躇し、レイナと顔を見合わせてしまった。

 レイナも異変を察したのか、唇を強く噛んで眉間にシワを寄せている。

 そういえば、この人は本当にヒヤマなの?

 レイナを看守していた人物って、いつのことよ。普通に考えたらそんなこと……。


 ……そっか。テンペスト……。


 同一人物なら、それなりの実力者。

 もっと警戒しておくべきだったわね。意外と鋭いわ。

 変な気まずさに包まれながら、ヒヤマの様子を伺うと、先ほどまで険しく見えた表情には穏やかな温もりが灯されており、より戸惑ってしまう。


「あ、すいませんね。昔の影響もあって、つい責めてしまうようなことを言ってしまって。私のことを考えてしまいました」


 一瞬肝を冷やしてしまった。心を見透かされたみたいで。

 ただの杞憂で終わってくれればいいのだけれど。


「何か、あったのですか?」


 動揺から返事を渋っていると、レイナが横から聞いていく。

 しかも、直球すぎる問いに、またしても肝を冷やした。


「えぇ。その通りです」


 ヒヤマは気にかけず、話しを進め、また祭壇を眺めると、


「かなり昔のことですが、私の友人を犠牲にしてしまったこと、助けることができなかったことがありましてね」

「友人…… それは辛いですね」

「いえ。友人と言ってしまえば、彼女に失礼でしょうが。私は救うことができなかった」


 ヒヤマは悔しさを噛み締めるように顔を伏せ、辛さを掻き消すように何度も小さくかぶりを振った。


「当時は今よりもテンペストに対する恐怖が増していて、誰かを犠牲にすることに対する抵抗感が薄れていた。そこで彼女は自分の身を捧げて。私もまだ若かった。世論に逆らうことができなかった。今となっては、もっと抵抗して彼女を守るべきだったと後悔しかないよ」

「仲がよかったんですね」

「いや、私たちの場合は特殊でね。普通とは少し違っていたから。でも彼女は自分よりも世界、特に妹さんのことを心配していた。だからこそ、無念というかね……」

「……妹さん」

「あ、すまないね。個人的なことを言ってしまって。ただ、その姉妹を助けることを考えておけば、こんな悲しい風習はなくなっていたんだろうか、と思い当たる部分があったからね」


 ヒヤマは申し訳なさそうに手で制した。

 ……姉妹。それってもしかして。

 それはちょっと考えすぎなのかな……。

 

 前回のことを考えると、どうやら気持ちは鎮まってるみたいだな。

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