第五部 第二章 7 ーー 挑発 ーー
二百八十話目。
なんか、嫌な声が聞こえた気がする。
7
街が墜ちる。
頭をよぎるのは火の海となるベクル。
すべてが終わる。
そんな絶望が体を支配し、眼前に住民が悶え苦しむ姿が横切ろうとしたとき、降り注いでいた矢の筋が現実に引き戻した。
眼前に火は広がっていない。
注がれたのは火矢ではない。
だが、火の海にならなくても……。
胸が握り潰されそうななか、矢が突き刺さっていく。
ただ、矢が人に刺さることはなかった。
矢が刺さったのは、大半が街の敷地の手前。
ほとんどが地面に刺さり、数本だけが迷ったみたいに途方もない箇所に刺さっていた。
それらも家の屋根や地面に刺さっているけれど、どれも人を捉えている様子はない。
街を攻撃したのではないのか?
状況が掴めず、呆然と立ち尽くしていたとき、集団の先頭にいたイシヅチがこちらをじっと見て笑っていた。
笑っている?
「まさか、わざとなのか?」
人を狙い、すべてが外れるなんて考えられない。
しかも、一撃目から時間が経っているのに、二撃目が行われない。
「何かの挑発とでもしたいのか…… バカにするのもいい加減にしろ」
まったくふざけたことをする奴だ。
唯一の救いはアカギの部下らが挑発に乗らずに静観していることか。
ここで動いてしまえば、イシヅチの思い通りになってしまう。
本当に意味がわからない。
これが挑発だけならば、まだ対処の仕方もあったかもしれない。
「なぜここにこの方がおられるのです?」
釈然としないアオバの疑問が胸をえぐっていく。
丁寧な言葉を使っていても、口調は刺々しく、怒りをあらわにしている。
当然である。
私も納得はしていない。
けれど受け入れるしかない。
「仕方がない。ここは受け入れろ」
今にも暴れる寸前と見えるアオバを制したのはアカギ。
しかし、彼も怒りを堪えているのは歴然であり、こちらも隙あらば、と機会を伺っていた。
「嫌だね。そこまで警戒されるとは思わなかったよ」
「お前は黙っていろ」
「おぅおぅ、隊長様は怖いねぇ」
重苦しい空気が充満する広間に、皮肉るような一際明るい口調で湧く声。
それをアカギが厳しく一蹴する。
ふざけた喋り方をする人物、イシヅチを険しく睨んで。
こいつはここにいた。
ただ、イシヅチはアカギの一蹴をものともせず、揚々と背を伸ばしていた。
問題が起きたのは数分前。
イシヅチの集団が奇妙な挑発をした直後、集団を見張っていたなか、悠然とイシヅチが一人、こちらの兵のいる場所に向かってきたのである。
話がある、と。
「なぜ、このような奴をここに入れたのですっ。こいつはっ」
「一端の部下がエラそうに口出しするなよ。お前はここに立ち合えるだけでも光栄と思いなよ」
イシヅチを連れて来たのは広間。
この場に招き入れたことに憤慨するアオバ。
すぐに突っかかるのだが、イシヅチは怯まず反抗する。
アオバの憤慨は痛感している。しかし仕方がなかった。
それでも逆らえなかった。
「いいのかい? そんな態度して。言っておくけれど、追い詰められているのは僕じゃなくて、君らなんだよ」
敵意をあらわにしてイシヅチを睨むアオバに、イシヅチは椅子に大きく凭れ、余裕を前面に出して両手を広げた。
広間には先ほどの四人にイシヅチの五人。
アオバは先ほどから憤慨しており、私とアカギも敵意を隠しながらも、事態を静観しようとしていた。
それでも限界は近いのは、私もアカギも同様である。
イシヅチが座っている席は本来の場所ではなく、以前ツルギが座っていた場所。
ちょうど円卓の中心部に当たる席に我が物顔で座り、テーブルに乱暴に足を乗せ、横暴な態度をしていた。
だからこそ、アオバも怒りをぶつけていた。
ただ一人、ワシュウだけが沈黙を守り、椅子に座ると、私らの行動を見守っていた。
「僕は君たちとちゃんと話がしたかったから、ここに来たんだよ」
「よく言うよ。さきほどの攻撃、あのような挑発をしておいて、交渉とでも?」
できるだけ平静を装い反論すると、イシヅチは口角を吊り上げる。
「挑発? なんだいそれ? 僕はそんな甘いことをするためにしたわけじゃないよ」
「じゃぁ、なんだ。遊びであんなことをして、住民に危害を与えようとするならば、こちらもそれなりの抵抗するぞ」
話を茶化そうとするイシヅチに、アカギが珍しく感情を剥き出しにして威嚇する。
すると、冗談でも聞いたみたいに、イシヅチは手を叩いた。
けらけらと高笑いとともに、渇いた拍手が響くなか、唐突にイシヅチは顔の前で手を合わす。
手刀を切る形で、鋭い眼光を私らに向けた。
「あれは警告だよ」
僕も、遠いところで嫌なことが起きてる気がする。




