第五部 第一章 2 ーー 輪を乱す ーー
二百七十一話目。
私は間違ってなんかないはずよっ。
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「なんか文句あるっ」
リナは唐突に席を立つと、臆することなく周りの客に対して啖呵を切った。
すると、怒鳴られた客らは一斉に顔を伏せ、酒に手をつけ、リナに触れずに無視をしていた。
気づいていた。
それまで、客の誰もが僕らを意識して見ていたのは。
「今さら無視? わかってるんだからねっ。あんたらがずっと私らの話を盗み聞きしていたのっ。それにあんたっ」
刹那、リナは斜め前に座っていた男を指差し、
「聞こえてんだからね、私らがテンペストって言うたびに、小声で「うるさい」って呟いていたのを。文句があるなら、面と向かって言いなさいよっ。私は全部相手になってやるわよ」
男を指していた手を全体に回し、店にいた客らすべてに対し、敵意を放つ。
最初に標的にされた男は驚きから肩をすぼめたけれど、なかにはリナの啖呵が癇に障ったのか、睨みつける者、テーブルを叩く者、怒りから椅子を倒して立つ者もいた。
それらを黙らすように、「あぁっ」とリナは唸った。
誰もがテンペストの恐怖をごまかすように僕らを睨んでいた。
「文句があるなら言えって言っんのっ、臆病者っ」
そこに油を差すようにリナは叫喚し、窓が振動するほどに強くテーブルを叩きつけた。
コーヒーカップが揺れ、メガネが動くほどに。
一歩も引かず、目を吊り上げているリナに、頭を抱えてしまう。
ケンカを売ってどうするんだよ……。
支えた頭はそのまま転げそうで、溜め息も出てしまいそうだ。
なんで、こう勝手なんだか。この無鉄砲さはエリカにも引けを取りそうにない。
ムカつくけど、そこまで怒るなって……。
このままでは本当に店を壊しかねない。
リナが手を出せば、怪我人で済むわけがないな。特に今のリナなら。
「リナ、ちょっとは落ちーー」
「ーー出て行ってくれ」
リナの手を引き、座らせようとすりと、冷淡な声が店に響いた。
一瞬ざわめきが広がったあと、一斉に静寂に包まれた。
聞こえた声を辿ると、憎らしく眉をひそめたリナの奥を捉えた。
カウンターの奥に立ち、白い皿を拭いていた店主を。
確か以前はそんなに険しい声でなかった、と疑う隙もないまま、店主は仰々しく睨んできた。
敵意すら漂う様子に戸惑い、リナを伺うが、リナは相変わらず睨み返していた。
まったくこいつは……。
「悪いが出て行ってくれないか」
「何それ? それが客に対する態度?」
聞き間違いか、と首を傾げると、店主は気にせず皿を拭いている。
どうも本気で言っていたらしく、リナが噛みつく。
すると店主は手を止め、改めて睨んでくる。
温厚であったけれど、見間違いであったか、と疑いたくなるほど、禍々しく。
気づけば、店にいた客も含め、全員がこちらを睨んでいた。
それでも引き下がらないリナ。
負けじと睨み返す。
まったく。
こういう状況からは逃れられないのか、僕は……。
「何か悪いことでも言ったっていうの?」
「テンペストがどうとかって言っていただろっ」
「そうよ。私らの目的はテンペストよっ。恐れてるあんたらに何かを言われる筋合いはないわよっ」
「だから出て行けって言ってるんだっ」
今にも飛び出しそうなリナに対し、より口調を強めた店主が制止してきた。
それにはリナも一度口を噤んだ。
「確かに私たちはテンペストを恐れている。いや、テンペストに諦めているというのが正しいかもしれん…… だが、それがこの街のあり方なんだよ」
「だから?」
「輪を乱さないでくれ、と言っているんだ。僕にしてみれば、この街の人々に恐怖を植えつけているように見えてしまうんだ。だから出て行ってほしいんだよ。君らはどうもテンペストを誘発するんじゃないか、と疑いたくなる。静かにしてくれ、と言っているんだ」
「何よそれ。そんな確証なんてないでしょ」
「でも、この街ではテンペスト自体が禁句に近いんだから、少しは察してほしいものだ」
「だからって、なんで私たちがそこまでーー」
「止めよう、リナ。もういいから」
我慢できなくなっていた。
明らかに憤慨するリナの腕を掴み、首を振った。
リナは抵抗して振り払おうとするけれど、それをギュッと掴んで放さなかった。
ここだけは引き下がれない。
「あんたまで私が間違っているって言いたいのっ」
怒りの矛先は僕に向けられ、一気に捲し立てるリナ。それこそ拳が降り注ぎそうだ。
「今は、落ち着いーー」
「……やっぱり生け贄を使って、祭りをしなきゃいけないのか?」
……そうか。
奥の席にいた客がポツリと呟いた。
どれだけか細い声であっても、僕には鋭利な刃物でしかなかった。
……そういう考えなのか……。
リナを掴んでいた手に力がこもる。
リナの目つきが揺らいだ。
「……リナ、やっぱり間違っているみたいだ……」
唇を一度舐め、
「やっぱり間違っている。あんたらは間違っているだよ、絶対っ」
店主らを睨んでつい叫喚してしまった。
……我慢できそうにない。




