第四部 第七章 4 ーー 迷子 ーー
二百六十六話目。
やっぱり、私はローズが嫌いね。
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「アイナが死んだ直後?」
ダメだ。言葉が続かない。
「何それ。それが本気で言ってんなら、年齢詐称? 戦争が起きたのっていつのことだと思ってるの」
動揺を隠そうとしているのか、信じていなくて笑い飛ばしたいのか、相変わらず挑発をするリナ。
ただ、ローズは挑発を受けながらも、真剣にこちらを見ている。
包帯から解放されている右目は、噓を言っているようには……。
「ま、私も信じてって、頼む気はないけどね」
信じたくはないさ。でも、聞き流すわけにはいかない。
「アイナが死んだ後って……」
「へぇ。まだ彼の方が冷静になっているようね。意外と動揺しているのはリナリア、あなたの方みたいね。何? 戦争に嫌な思い出でもあるの? それとも、先祖の怨念を実は受け継ごうとしていたってこと? だったら感心よね。先祖思いで」
「ハァッ? バカじゃない。昔のことを根に持って怨念で生きるような連中と一緒になんかしないでよ」
どちらも引こうとしない。
ローズにしてみれば、本気で茶化そうと見えるし、リナは憤っているけれど、動揺している様子はない。
茶化されることに怒っているのか。
「よほど、昔のことを聞くのが嫌みたいね」
「そうよ。昔のことばっか気にして、先のことを見ようとしない弱腰な大人にエラそうにされていたことを思い出すから、ムカつくのよ」
「へぇ、だったら、私が知ってる昔のことを教えてあげましょうか。あなたの苦しむ姿を見てみたいから」
リナが舌打ちすると、ローズは満足げに口角を上げる。
「女はバカだったのよ。憎悪に満ちた何千、何万の兵を、たった一人の力、踊りで止められると思っていたんだから。そして、私の予測通り、女の踊りが終わったとき、女に一本の矢が放たれたわ」
唐突に話し出すローズ。
意図が掴めないなか、なぜか胸がざわめく。
「それって、まさか…… アイナ?」
「女が倒れたときだった。まるで地面が悲鳴を上げるように、バカな連中の咆哮が唸り、戦争が始まったのよ。ヘギとムギの国が完全に割れた瞬間ね」
「そこであんたは死んだと?」
「それだったらまだ納得できたかもね。戦闘間際、天候が牙を剥いたのよ。そこで起きたのはテンペストだった」
「テンペスト……」
「まるで、あの女を殺したことを恨むようにテンペストは起き、そして私らは呑み込まれたのよ。そして、私は死んだ」
本当なのか?
それが真実ならば、重要な一場面。
歴史の大きな出来事を垣間見た瞬間なのかもしれない。
けれど、僕には信じられなかった。
それほどまでにローズは追い詰められた表情をしていない。
まるで、小説なんかの一場面を話すようにあっけらかんとしている。
楽しむみたいに。
するとリナが鼻で笑い、お手上げ、と両手を上げておどけた。
「死んだ? 何、冗談言ってるの。だったら、今のあんたはなんだって言うのよ?」
「ふん。柔軟な考えを持てないって可哀想ね。もう少し話を聞こうとする余裕はないのかしら?」
話を中断しようとするリナを、ローズがまた挑発すると、リナはぐうの音も出ず、唇噛んでしまう。
「だから、あのクソガキには感謝してるって、言ってるのよ。テンペストを起こしてくれたことにね」
「テンペストって」
「ほんと、何も知らないのね。テンペストは“扉”なのよ。テンペストは人の想いを吸うものなのよ」
そこでローズは目尻を吊り上げ、両手を広げた。
「テンペストを通った者は、地上に体を伴って戻ってくるのよ。その時代、時代に呑み込まれるようにしてね。そして、その者は何事もなかったように時代に刻まれていた。誰も知らないまま、紛れて生きていたのよ。自分ですら周りの人間と同じようにね」
「それって、幽霊みたいなものなのか?」
ダメだ。話についていこうとするのだけれど、どうしても靄に全身が覆われてしまう。
「まぁ、言いようによれば、そうなるかもしれないわね。ただ、完全な肉体を持った状態で、この世にいることになるけれど。記憶以外は普通の人と変わらないんだから」
「ーー? でも、お前の話を 聞いていると、お前はその記憶を持っていそうなんだけど」
「そうよ。だから感謝してるって言ってるの。あのクソガキがテンペストを開き、私を通した。私にしてはそれは二度目になるのよ。そして、地上に戻ったとき、記憶を伴って戻ってきたのよ」
満足げに目を細めるローズ。
「なんだよ、それ」
「さぁ? そんなことはあのクソガキに聞けばいいんじゃない?」
こちらの混乱をおくびにもせず、ローズは無関係と首を傾げた。
「でも、お笑いよね。もしあんたの言い分だと、あんたって相当な怨念の塊だってことよね。どれだけ怨念深いの。怨霊が」
「怨霊…… そうね。それは褒め言葉として受け取っておくわ」
じっと黙っていたリナが、ここぞとばかりに一撃を振るうけれど、あっさりとかわされてしまう。
まったく堪えていない様子に、リナはまた舌打ちすると、
「でも、一生殺せないってのはある意味苦しみなんじゃないの」
「それはそれで楽しませてもらうわ」
追い打ちをしようとするけれど、やはり効果はない。
すると、目尻を上げてリナを睨む。
「だったら、それをあんたは私以外の人に言えるの? 私ら“迷人”の者に、「お前は怨霊だ」って。そんな人らは何万もの人がいて、その事実に気づいていない者に。それって残酷よねぇ」
体を仰け反らし、言い切るローズ。
リナはまたもぐうの音もでず、顔を伏せてしまう。
黙ってしまうリナに代わって、つい前に出てしまう。
「ちょっと待ってくれ。ずっと生き続けてるって、どう生きてるんだ。記憶はどうなるのさ」
そうだ。それが本当なら、ずっと生きてる……。
「私の場合は数年、あるいは数十年で記憶はリセットされていたわ。もしかすれば、みんなそうかもしれないわね」
「なんだよ、それ……」
言葉がそれしかなかった。
どう受け止めていいのかすらわからなかった。
「さぁね。なんだったら、聞いてみたらいいんじゃない。あのヒヤマって奴に。その人も私と一緒だったんでしょ。聞いてみたら。「あなたは怨霊ですか?」と」
最大の挑発が放たれ、リナは悔しさで拳を握り締める。
「なんだったら、私の前でやってもらいたいわね。それも楽しそうだから」
訝しがるリナをローズは嘲笑し、嬉しそうに腕を組んだ。
「最低ね。どれだけねじ曲がっているのかしら。……もういいわ。あんたと話してるとイライラしてくる」
「そう。嬉しいわ」
すでに限界に達していたのは、リナをまとう空気から察していたけれど、もう我慢できないらしく、リナは背を向ける。
僕もそうだ。
これ以上、ローズの話を聞いていると、頭は破裂しそうで、続いて背を向けた。
「そういえば、あのクソガキの隣にいた男ってあんたの知り合い?」
無視するのは簡単だったけれど、聞き捨てならない気がしてしまい、つい足が止まってしまう。
「やけに戦い慣れた男だったけれど、あのガキと何か関わりでもあんの? やけにガキを守ろうと必死になっていたけど」
それって、もしかすれば…… セリン?
「お前、そいつのこと知ってんのかよ」
反応してしまった。
振り返り、口調を強めてしまう。
「へぇ。今度はあんたが反応するんだ」
「うるさい。あいつのことを知っているんだったら、答えろ。あいつは、セリンはどこにいるんだっ」
口車に乗ってしまえば、はぐらかされるのは覚悟していても、焦りで強く怒鳴ってしまう。
「さぁ。知らないわ。わかっているのは、あいつも同類ってことぐらいね」
「同類って、あいつらもテンペストに襲われたってこと?」
業を煮やしたリナも加わると、ローズは満足げに胸を張る。
「でしょうね。でも、普通とは少し違う気もしたわね。彼にしてみればテンペストのなかにあるアンクルスを通る意味合いが違うのかもね」
「………」
「ーーっ、今、なんて言った?」
壊れそうな小さなリナの声が響いた。
衝撃から目が大きく広がっていく。
「あんた、なんでアンクルスのことを……」
「あれ? あなた、アンクルスを知っているの? そうよ、知っているわ」
そこでローズは右手の人差し指を天井に向ける。
「アンクルスはテンペスト。そこにある扉のことよ」
……聞き捨てならないぞ、これって。




