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忘却のテンペスト  作者: ひろゆき


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 第四部  第六章  11  ーー  幻の姿  ーー

 二百六十話目。

    争わなきゃ、いけないの? 

            9



 ごつごつとした岩の壁をくり抜いて設置されたような牢屋。

 そこに鉄格子越しに一人の女が壁に凭れる形で座り、こちらを向いている。

 長い黒髪を後ろで束ねたスラリと女で、少し垂れた目が特徴的な、綺麗な人であった。


 ーー やっぱりあなたは優しいのね。あなたに会えてよかったわ。

 ーー 辛いことを言わないでくれ。まだキツく当たってくれた方が割り切れるだけいい。

 ーー それでも、こうして私を“人”として扱ってくれるあなたには感謝してるのよ。

 ーー ……止めてくれ。

 ーー いいのよ。この国の人にしてみれば、私は罪人なのだから。

 ーー だが、俺にはお前を捕らえるだけで戦争が終わるとは思えない。

 ーー 正論ね。きっと私はいずれ処刑されるでしょう。もしも、もしもだけどね、私の死がきっかけでいい方向に世界が傾くのなら、それはそれで本望よ。

 ーー 自己犠牲とでも言うのか。

 ーー そ。私って偉いでしょ。

 ーー 茶化すな。褒められたものではないぞ。それに悔しい話だが、レイナの言うことに傾く者は少ないかもしれない……。

 ーー 戦争は終わらないと?

 ーー 可能性としてな。

 ーー 寂しいわね。人の心って……。

 ーー 弱いんだよ、人ってのは。だから間違ったことをしたとしても気づけないんだな……。

 ーー でも、あなたは気づいてくれる。それは大きなことだって思うわよ。それはきっとアイナだって。

 ーー アイナってお前の妹のか? 彼女もある意味、被害者なんだな、この戦争の。

 ーー そうね。あの子にばかり辛いことを押しつけるようで苦しいわね、ほんと……。



 何を話しているんだ?

 問いかけたくても、声が喉を通ってくれない。

 綺麗な女の人が喋っているけれど、話している内容がどうも頭に引っかかってしまう。


 アイナ。


 こな名前が出るのなら、“ワタリドリ”に関わる人物の幻か、と疑ってしまうけれど、どうも解せない。

 見知らぬ女が喋っていたのは男。

 もしこの女が罪人であるならば、その看守的な立場なんだろう。

 きっと昔の僕とエリカみたいな。

 だが、その男を知っていた。

 鉄格子の横の壁に凭れ、腕を組み、時折首を上げたり下げたりする人物。


「……ヒヤマさん、なのか?」

「レイナ……」


 困惑に途切れた声がした瞬間、辺りが再び光に包まれてしまい、牢屋の光景が光に奪われていく。

 声から逃げるようにして。

 無音のまましぼんでいき、アメ玉ほどになると、最後は灯火が散るように消えた。



 眼前にリナとアネモネの姿がある。

 二人も幻を見て驚愕していたのか、大剣はリナを捉えておらず、アネモネは重力に負け、地面に落とす。

 リナが助かっていることに安堵するが、リナはアネモネに戸惑いをぶつけていた。

 アネモネが発した名前を気にしつつ、僕は視線を後ろに向ける。

 幻が消える寸前、声が聞こえた方向、ハッカイへと。

 幻として現れた男は、ナルスで会った男、ヒヤマであった。


「あんた、ヒヤマさんを知っているのか?」


 ハッカイにも幻が見えていたのか、目を剥いている。

 きっと幻に驚いているのだろうが、それにしては驚きすぎな気もする。

 確かに違和感はあるのだけれど。

 ようやく気づいたのか、ハッカイは僕らに戸惑いの眼差しを向ける。


「お前、なぜヒヤマさんを知っている?」


 意図が掴めない。

 そんなのはナルスに行けば会えるはずじゃないか。


「いや、だって前にナルスに行ったときに、会ったことがあったから」


 平凡な言い方でしかないけれど、それ以上でも、それ以下でもない。

 確かに、幻で見た姿は少し若く見えたけれど。


「ナル…… ナルディアだろうが。そんなことは絶対にないはずだ」


 頑なにヒヤマのことを否定しようとするハッカイを訝しげに思い、眉をひそめてしまう。


「なんで、そこまで否定するんだよ」

「ヒヤマさんはナルディアにいたんだ。ナルスの昔の名称だ。私がまだ子供のころに。もう何十年も昔だぞ。今のナルスにいるなんて、あり得ないはずだ」

「どういうことなんだ、アネモネ」


 呆然とするハッカイから体を反転させ、アネモネに聞いた。

 この状況を説明できそうなのは、彼女しかいなかった。

 振り向いたとき、アネモネは膝を着いてしゃがみ込んだ。

 天を仰ぐように、空を呆然と眺めている。


「……レイナ、なんで?」

 

 ……レイナ?

 そういえばさっきも呟いていた。

 名前が怪訝になり、眉をひそめてしまう。

 もしかして、あのヒヤマさんと一緒に出てきた女が……?


「アネモーー」

「ーーなんでなのよっ」


 崩れ落ちるアネモネに、我に返ったリナが近寄ろうとしたとき、急にアネモネは発狂した。

 地面に手を着き、嘆くようにして。


「なんで邪魔するのよっ」

「邪魔って私はそんな……」

「なんで邪魔するのよ、アイナッ。こんなの…… こんなの見せて……」

「……アネ…… モネ?」


 突然のことに体をビクつかせるリナ。

 恐る恐る近寄ろうとすると、アネモネは顔を上げる。

 鬼気迫る形相で睨みつけるアネモネなのだが、やはり大きな目は涙で充血していた。

 落ちていた大剣を拾い上げ、再びリナに構える。

 ゆっくりとかぶりを振る。


「……リナ、もう無理なの。もう……」

「何が無理なの、何がーー」


 瞬きをすることすらなかったのに、その隙を突くように、アネモネの姿が一瞬にして姿を消した。


 リナの言葉を拒むようにして。


「何が無理なのよ……」


 今度はリナが膝から崩れ落ちてしまう。

 起き上がる気力すら失ったのか、動こうとしない。

 何も言葉をかけられなかった。

   幻…… なんだよな、これ……。

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