第四部 第六章 9 ーー アネモネの雰囲気 ーー
二百五十八話目。
アネモネ…… 来てくれた……。
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じっと佇む後ろ姿に、驚きよりも、疑念が強くなる。
僕がアネモネを最後に見たのはテネフ山。
直前までのアネモネは天真爛漫で、見るからに明るい子だったのに、その面影がまったくなくなっていた。
背中が大きく開いた黒いドレスに身を包み、裾の長いスカートから覗く足は、高いヒールを履いている。
僕らを確認しようと、振り返った横顔は、目つきがどこか鋭く、冷徹に見えてしまい、緊張が走る。
リナと揃えたように前髪を三つ編みにしているところが、辛うじてアネモネなんだと認識できるほどに、雰囲気が変わっていた。
細い右手には、あの大剣を握っている。
この姉妹の体力はどうなっているんだ、と場違いな疑問がよぎってしまう。
「……邪魔しないでよ」
顎を上げたアネモネが、辺りの敵に向かって冷酷に呟く。
「あ~あ。怒ってる」
静まっていた通路に、ざわめきが戻ろうとすると、リナがぽつりと呟く。
額を指で擦り、呆れた様子で苦笑しながら。
黒い雲が立ちこもり、所々で雷鳴が轟き始めたとき、アネモネはすっと右手に持った大剣を横に振り上げる。
アネモネの体が小さく上下に揺れる。
等間隔で銀髪を揺らす姿は、まるでリズムを刻んでいるようにさえ見える。
そしてーー
敵が集まる黒い渦へ身を投じた。
言葉はいらなかった。
それでもどこかからか華やかな音色が届くような錯覚に陥った。
アネモネは踊っていた。
懸命に腕を大きく広げ、体をくねらせながら大胆に。
そして時折妖艶に全身を動かして。
軽やかなステップは、留まることを知らず、僕らを魅了していく。
エリカとはまた違う、大胆で揚々とした踊りが静かにステップを刻む。そして。
体を大きく逸らし、左手を大きく天に突き上げたとき、踊りは幕を閉じた。
踊りを終え、あたかも礼を述べるように左手を胸の前に下ろしたとき、辺りに立っていたのは僕とリナ。
そしてアネモネの三人だけになっていた。
それまで僕らを囲っていた敵兵はみな、地面に倒れていた。
ぐったりと倒れる様は、目を覚まそうとしない。
ほんの数分の出来事。
アネモネが踊り続けるなか、アネモネの手によって倒されていた。
僕とリナが二人して苦労していた兵の数を一瞬にして。
驚きを通り越して呆然となっていた。
「お前、アネモネなのかっ」
場違いかと思える低い叫喚が僕らの意識を取り戻させた。
ハッカイである。
離れた場所で戦っていたハッカイが騒ぎに駆け寄って来た。
「……おっさん、戦闘は?」
「あ、あぁ。大概が終わりそうだ、大丈夫。こちらがほぼほぼ有利だ。しかし、これは…… かなりの敵がいたはず……」
我に返り聞くけれど、ハッカイも現状に圧倒され、声を詰まらせていた。
「……アネモネ」
「ーーリナ」
恐る恐る声をかけるリナ。
そこに体の正面を向けたアネモネが反応し、屈託ない笑みを献上してくれた。
「……来てくれたんだね」
リナの表情が綻び、安堵がこぼれた。
僕も同様である。
ハクガンの話が通ってくれたみたいだ。
だが、すぐに胸がざわめいてしまう。
「エリカ、エリカはいないのかっ?」
声が震えそうになるのを堪え、聞いてしまった。
すると、アネモネはこちらに向きを変え、表情を曇らせる。
「彼女は待ってもらってるわ。今ここに呼ぶべきじゃないから
」
「なら、無事なんだな。そうか……」
一安心はするけれど、完全には納得できない。
「じゃぁ、なんであいつは来ないんだ。呼ぶべきじゃないって、どういうことだよ」
「それには答えられない」
即答するアネモネ。
反論する隙を与えないほど、睨まれてしまう。
やはり以前の陽気さは消えていた。
「私はリナ、あなたに話したいことがあったの」
「そうね。私もあんたとちゃんと話がーー」
リナの頬が綻びそうになると、唇を噛んだ。
近寄ろうとしていたリナを拒むように、アネモネは大剣を振り回した後、剣先をリナに向ける。
「……何?」
「ねぇ、リナ? 私どうしたらいいと思う?」
アネモネは顔を背け、弱々しく呟くと俯いた。
「どうしたらって、何があったの? だったら話してよ。私にっ」
「……話す…… なんで? なんでそうなの? どうしてリナはそうなの?」
次第にアネモネの声が詰まっていく。
「どうしてって、そんなの決まってるでしょ。私はあんたのーー」
「私は決めたのよ。決めていたのよ。それなのにリナが…… 私はアイナなのよ。だから絶たなきゃいけないの。アイナにちゃんとなるには、切らなきゃいけないものがあるの。もう甘えちゃいけないのっ。だから私はーー」
刹那、アネモネは地面を蹴った。
アネモネだけ……。
エリカは……?




