第四部 第六章 8 ーー 残る理由 (2) ーー
二百五十七話目。
さぁ、キョウ、覚悟するときよ。
ハッカイが危惧していたことが現実となったのは、意外にも早かった。
アカギが町を去って三日。
それまでにない大軍が攻め込んできた。
「……腹立つわね。はっきり数がわからないわ」
通路に立ち竦み、空を見上げて耳を澄ますリナ。
すぐに耳元を手で覆い、集中させた。
そうしないとわからないほどに、数が多いということか……。
アカギが去ってすぐは、それまでと変わらない襲撃に終わり、僕らが手助けせずに済んでいた。
ところが急に兵の数が増えた。
逃げ延びた兵によって、アカギの姿が見当たらないことが伝わったのか。
「リナリア、数はわかるかっ?」
切羽詰まったハッカイの声が高くなる。
「ごめん、わかんないっ。でも、町を三方向から攻めてくる」
「二つは陽動だろう。本隊は正面かっ?」
「いいえ。正面は一番数が少ない。囮よ、多分。普段の襲撃に見せかけ、横から隙を突く気よ。私は騙されない。本隊はあっちよっ」
と高々と叫び、リナは町の西を指差した。
「よし、隊を分ける。ハグロは正面。ブコウは東へ。リナリア、お前たちは私と一緒に本隊を叩く。来いっ」
的確にハッカイは声を上げて指示し、歓声が沸くのと同時に兵が散り散りになった。
「いいかっ。町の住民は絶対に死守しろっ」
散る兵らにもう一度叫ぶと、兵らの咆哮が三方から聞こえた。
「……これって本当に襲撃?」
ハッカイの指示に従い、待ち構えていると、頬を引きつらせ、苦笑するリナ。
「それにしては、数が多すぎる……」
西の外れでは、土煙と共に、近寄ってくる黒い烏合が景色を歪めていく。
リナの予想を遥かに超える兵の数がこちらに向かっていた。
ほとんどが馬に乗っており、さながら一国に攻め込む部隊に見えた。
ウォォォォッ。
咆哮がより体を強張らせていく。
「……これはアカギ隊長の不在を狙ったものではないな……」
「どういうこと?」
敵の固まりを睨んでいたハッカイが唇を噛む。
「はなから隊長がいることを見越して、部隊そのものを潰すための襲撃だろう」
「町を壊すつもりかよ、これ」
込み上げる憤りに、ハッカイが嘲笑する。
「隊長が出発した後なのは、不幸中の幸いか」
「何、寝ぼけたこと言ってんのよ。ここで私らが倒れたら、元も子もないわよ。それこそ、アカギの顔に泥を塗るつもりなのっ。「部下を置いて逃げた」ってね。あんた。そんなの許せないでしょ」
「当然だ。行くぞ」
リナの一蹴に答えるハッカイ。
手にした剣を天に突き上げ、発狂した。
リナを含めた兵らが一斉に地面を蹴った。
現実は気持ちを置き去りにしていく。
人を殺す。
そんな覚悟を持てないなか、僕は戦火に巻き込まれていく。
手には剣を握り、迫り来る敵に振りかざす。
刃が空を斬るごとに、重みが増していく。
体に恐怖がへばりつき、意識を奪おうと痛みを強めていく。
瞬きをするごとに、エリカの顔がちらつく。
嘆くような、悲しむような、今にも泣き出しそうな、悲しい表情が僕に訴えてくる。
わかってる。こんなことを望んでいないことに。
ーーでも。
悲しむエリカの表情に胸を痛めながらも、迫り来る兵に剣を振る。
「キョウッ、遅れてるよっ」
すぐそばで跳ねながらナイフを振り回すリナ。
こちらを心配して一蹴するが、動きは止まらず敵をなぎ払っていく。
ったく、どれだけ余裕なんだよ。
隙を突いてリナと背中合わせに立つ。
「余裕だな。僕を心配してくれるって」
「何、バカなこと言ってんのよ。まだ迷ってるように見えたからでしょ」
「覚悟か…… したくなかったら、とっくに逃げてるよ」
「ーーそ。だったらいいわ。にしても、多いわね」
気づけば、僕らを中心にして円が生まれていた。
僕らと一定の距離を保ち、敵が武器を構えている。
じりじりと距離を詰めつつ。
「これって数減っているのかな」
「多少はね。でも、さすがに滅入りそうよね」
つい弱音を吐いてしまうと、リナも同様にこぼした。
かなり体力を削られているのか、肩で息をしている。
口が乾燥し、唇を舐めながら視線を動かすと、敵の姿が黒い靄みたいに歪んでいく。
追い詰められているのに、気持ちとは裏腹に嘲笑する。
「早く休みたいな」
「エリカみたいに爆食いでもする?」
「たまにはそれもいいな」
……バカみたい。
冗談を言い合っていると、どこからともなく冷ややかな声が空気を張り詰めた。
通路に響き渡る。
どこかで聞き覚えのある声に眉をひそめたとき、急激に雷鳴が轟く。
僕らと敵の間を裂くようにして。
眩い光に視界を奪われ、目を瞑ってしまう。
鳴り続ける雷鳴に目を開いた矢先、言葉を失う。
稲光が落ちた場所に、一人の人影が出現する。
僕らに背を向け佇む細く小さな体。
衝撃によって巻き上げられた風によって銀髪がなびく。
アネモネが現れた。
覚悟。
……迷ってる暇もくれないのか。




