第四部 第六章 6 ーー アカギの迷い ーー
二百五十五話目。
なんか、私らの出番はなさそうね。
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オォッ。 オォッ オォッ オォッ。
自分がなんの手助けにもならなかったことに、後ろめたさや悔しさに苛まれ、宿の部屋に戻ろうとしたとき、咆哮が再び轟いた。
それは先ほどの背筋を凍らすような物々しさではなく、体の熱を高めるような、歓喜に聞こえてしまった。
「……終わったみたいね」
リナの結論じみた一言に頷いたけれど、じっとしてられなかった。
すぐに地面を蹴り、町を駆けた。
町では至るところで“蒼”の兵がたたずみ、何かを喋っている。
兵の足元には、血を流して座り込む者、倒れて動かない者がいた。
足が竦みそうになる。
わかってはいた。
繰り広げられたのは戦闘であって、遊びじゃない。
本物の殺し合い。
エルナで警護をしていたときから覚悟はしていたけれど、こうした場面に遭遇しなかったことが幸運なんだ、と改めて痛感させられる。
拳を握り、震え出す体をごまかし、町を進んでいると、通路の真ん中で立ち、兵に指示を出すアカギを見つけた。
当然ながら、手には剣を握り、刃には血がついている。
アカギは僕らに気づき、一度剣を払い鞘に戻すと、立ち竦む僕らに近寄って来る。
「悪かったな。話の途中で。少し手間取ってしまった」
よく言うよ。余裕だったくせに。
腰に手を当て、深く溜め息をこぼすと、疲れた様子を見せるアカギ。
そんな姿に内心、毒を吐いてしまう。
アカギの姿はまったくと言っていいほど、汚れていなかった。
それはアカギの実力を物語っている。
それだけ、相手に突き入る隙を与えず、一方的に戦闘を進めた証拠であり、疲れた様子もなかった。
計り知れない怖さに、強がって笑ってみせるが、上手く笑えているか自信はなかった。
「隊長、ご無事で」
「俺は心配いらん。それより負傷者の手当を急げ。それと、町の住民の被害の確認も急げよ。負傷者がいれば、共に手当を。それに捕らえた兵から、所属部隊なんかを吐かせろ。多少乱暴にしてもいい」
次第にアカギのそばに兵が集まってくると、すぐさま指示を与え、兵も戸惑うことなく散り散りに去って行く。
指示を飛ばすときばかりは、それまでと違い、アカギの頬も物々しさに強張っていた。
ハッカイとアオバだけがアカギのそばに残っていた。
彼らはもまた、服は汚れておらず、その実力は相当らしい。
「で、さっきの話の続きなんだが、見ての通りだ。この町への襲撃は終わらない。そんな場所を我々が離れてしまうわけにもいかないのだ」
強い口調で言うと、アカギは町に視線を送る。
釣られて眺めると、騒ぎを聞きつけた町の住民らが表に出始めていた。
呆然と眺める者や、歓喜する者。また僕らに対して怯える者、と様々な住民の姿が入り混じっている。
不安そのものが町を覆い被っているみたいで、危うい人々を放っておくわけにもいかない。
アカギの言い分は正しい……。
「だったら、先生の頼みを見捨てるの?」
アカギの結論じみた言葉が癇に障ったのか、リナが詰め寄る。
「何も、俺もベクルを見捨てるつもりはない。俺にしてみれば、“蒼”を束ねるのはヒダカ殿であると思うんだが。どうも、あの人は俺を買いかぶりすぎている。それに、自分が実力不足と感じられているらしい」
実力不足。
まぁ、あれだけ本に埋もれていれば、知識は豊富でも、力がなければ兵はつかないか……。
アカギの実力を目の当たりすると、身を引こうとする先生の気持ちもわからないでもない。
「実力不足? いやいや、それこそ間違いですよ」
本に埋もれ、情けない顔をする先生が脳裏に浮かんでいると、ハッカイが割り込んでくる。
「奴の体術は相当なものです。それこそ、ツルギと肩を並べるほどに。いえ、若いときならば、素手でやればヒダカの方が勝るほどでした。実力が劣るとは考えられません」
「そうなのか?」
ハッカイの真剣な言葉に戸惑ってしまう。そんな乱暴な人には見えなかったけれど、ハッカイの熱にリナは得意げに頷いた。
いや、お前がなんで威張るんだよ。
「ではやはり、俺の必要性はないと思うんだけどな」
「左腕を失ったのよ」
あくまで先生の力を主張し、町に留まることを優先するアカギに対し、それまで先生を褒められ、満足げにしていたリナが口を開く。
より険しく眉間にシワを寄せて。
「どういうことだ?」
アカギの目つきが変わる。
「イシヅチとは別の襲撃者があったって書いてあったでしょ」
「ツルギ様だけが負傷したんじゃなかったのか?」
「……書いてなかったの? ツルギ隊長と一緒に戦って、そのときに腕を奪われたのよ。イシヅチなんかに負けたんじゃない」
「それだけ強敵だったのか。ツルギ様とヒダカ殿が共闘して、それだけの傷を負わせるとは…… 考えたくない相手だな」
アカギは頬を引きつらせ、唇を噛む。
それだけツルギに先生が相当の猛者であり、その二人を相手にした襲撃者に嫌悪感を剥き出しにしていた。
「……信じられん。あの二人がそんな一人に……」
特にハッカイは衝撃が大きいのか、それまで冷静でいたのに感情をあらわにしている。
「誰なんだ、そんな実力者がいるなんて……」
「さぁ? そこまで私にも」
襲撃者はミサゴ。
それは僕らも気づいている。
それを言わないってことは、根底から“蒼”を信用していないってことか。
でも、先生にはミサゴのことを……。いや、先生は特別か。
でも確かにこいつらにすべてを晒すのは得策ではないか。
ここは黙っておくべきか。
「だから、あんたに戻ってほしいのよ。先生に組織を束ねる力はきっとあるわ。でも、ベクルの掌握がイシヅチ、もしくは襲撃者の目的だったとしたら、要の存在となる者が負傷していると知れば、敵にとって最大のチャンスになりかねない。
兵にしたって、ツルギ隊長もいなくなり、不安は高まっているはずよ。そこに整然とした存在が急務なのよ。それが先生の考えだと思う」
先生から聞いたことを伝えるリナ。
以前に聞いていたけれど、平静に話すリナを見ていると、奥歯を噛んでしまう。
そこにいたのは普段のリナではなく、兵としてのリナがいた。
どこか僕だけが疎外感に襲われ、リナらが霞んでしまった。
説明を聞いていたアカギは俯き思案する。多少は揺らいでいそうだ。
「ヒダカ殿の負傷は聞いていないぞ」
誰もが黙って考えるなか、口を開いたアカギ。
素朴な疑問なのだろう。
「単純に心配させなかっただけでしょ。そういうとこには気を使うから」
先生の性格を熟知しているからか、リナは呆れる。
それを聞き、アカギは頭を伏せる。
「隊長、ここは戻るべきかもしれません」
悩むアカギに声をかけたのはハッカイ。
意外な反応を見せるハッカイに、僕らは驚くが、それ以上にアカギは驚き、じっと目を見開いていた。
「だが、この町を見捨てるわけにはいかないぞ」
「えぇ。それはもちろんです。ですが、彼女の言う通り、ベクルをイシヅチに掌握されては元も子もありませんので」
それでも渋るアカギ。
金髪の髪をグシャッと掴んで唸ってしまう。
「ここには私が残ります。数名を残し、隊長はアオバと共にベクルへ」
「しかしだ……」
「お願いします。ヒダカの助けになってやってください」
なんか、僕にはストレス発散できないって、言ってるように聞こえるけど……。




