第四部 第五章 5 ーー 言葉遊びじゃない ーー
二百四十六話目。
私はあんな奴らに従いたくないっ。
5
険しい表情を崩さないまま、ハクガンは僕らを伺ってきた。
「ここを襲った奴。そいつはミサゴなんだろ。僕らも会ったことがあったから、大体の話を聞いて気づいたよ」
「……ミサゴが?」
「あんた、もしかして知らなかったの?」
ハクガンは急に目を開き、驚いた様子にリナが突く。
本当に知らないのか?
「えぇ。私もまだヒダカ殿に詳しく聞いていませんし、ここを襲撃した者を見た者もほかにおられませんでしたから。それに、彼らとも連絡を取っていませんし」
嘆くように話すと、鼻に手を当てるハクガン。彼らなりにも、事情はあるらしい。
「で、あんたに頼みがあって来たんだ」
「頼み? 何言ってんのよ。命令よ」
隣で気に障ったのかリナが邪魔をする。
ったく、順序よく進めようとしてんだから、少しは黙っててくれって。
「ミサゴ…… いや、違う。アネモネらの居場所を教えてほしい。会ってちゃんと話がしたいんだ。今回、なんでこんなことをしたのかを」
自分の考えに没頭していたハクガン。僕が問いかけると手を下ろし、こちらに意識を傾ける。
「こんな言い方は卑怯かもしれない。けれど、ミサゴが襲撃をしなければ、先生、ヒダカさんや、ツルギって奴も傷を負わなかった。それならこんなクーデターじみたことにも、ちゃんと対処できていたかもしれない」
「ですが、それはーー」
「わかってる。たらればだってことも。嫌なことが偶然重なったってことも。でもその経緯や結果を知ってしまうと、勘ぐってしまうんだ。あのとき、こうなれば、と。だから本人に会って確かめたいんだ」
ハクガンを責めるのは、的外れだと痛感している。でも、実際は誰かを責めることで気を紛らわしたかった。
汚いとわかっていても。
「それで、アネモネの居場所ですか」
僕とリナは黙って頷いた。
アネモネらに接触できるなら、エリカの元に辿り着けるかもしれない。
ここを逃したくない。
話を聞いていたハクガンは、鼻を擦りながら思案する。
さて乗ってくれかどうか。
僕らの期待は、ハクガンのかぶりによって砕かれてしまう。
「残念ながら、ご期待に添えることはできませんね。申し訳ありません」
半ば覚悟はしていたけれど、直接断られると、胸を打つ衝撃は強い。
「なんで? なんでそこまでアネモネから私を遠ざけようとすんのっ」
やはり納得できない。リナはすぐ声を荒げた。
それでもハクガンは手の平を見せて制するだけ。
「落ち着いてください。以前にもお話ししましたけれど、立場上、私はワタリドリにとって、裏切り者同然であります。特にその思いが強いのがミサゴです。
恐らく私が話しても、取りつく島はないでしょう」
一度辺りを見渡してから口を開くハクガン。警戒だけは緩めなかった。
「だったら、アネモネ。あの子と連絡は取れないのか?」
ダメだ、と言われて引くわけにはいかず、また踏み込んでみるけれど、ハクガンは唇を強く噛んでいた。
「……それも難しいでしょうね。辛うじて連絡し、対応してくれたとしても、セリンだけでしょう。やはりあなた方がアネモネ殿に会うのは望ましくありません」
セリンと聞いて息を呑んでしまう。
知らない間に両手に力がこもってしまう。
気づかないうちに奴に対して、僕は怒りを覚えていた。
手の平に爪がめり込んでいく。気持ちを抑えられそうにない。
「ーーなんでなのよっ」
教えろっと発狂しそうになっていると、隣でリナが怒鳴った。
「だから、なんでそれがダメなのよ」
「厳しい言い方ですが、アイナ様の願いに、あなた方はそぐわないのです」
互いに一歩も引こうとしない。互いの主張がぶつかり、肌がヒリヒリするけれど、首を傾げてしまう。
リナの様子がおかしい。
さっきまで怒りに突き動いていたのに、急に顔を伏せ、目を合わそうとしなかった。
「隊長が死んだのよっ。それをただアネモネに伝えたいのよ。アネモネだって、隊長に世話になってんのよ。それを知らせる義務だってあるでしょっ」
リナの訴えにハッとしてしまう。
リナはただ怒りをぶつけ、悔しさを晴らすためだけにハクガンを責めているんじゃないんだと。
「……それを教えるぐらい…… いいでしょ」
それまでになく、声が震えるのを堪えるリナ。漂う空気からして、本音をぶつけていた。
リナの真っ直ぐな訴えは、ハクガンに伝わったのか、しばらく黙ってしまう。
「申し訳ありません。何もあなた方を邪魔するために言っているのではありません。先ほども言いましたが、ミサゴは私に取り繕ってくれないでしょうし、セリンやアネモネ殿に対しては、連絡してもその後が難しいでしょうから、勧められないのです」
「難しい? 何を言っているんだ?」
「アネモネ殿は恐らく一つの場所に留まることが難しい存在ですから、居場所がわかったとして、そこへ向かっても、アネモネ殿が留まっているかが危ういのです。ましてミサゴは自由奔放な奴。アネモネ殿よりもじっとしていないでしょう」
言い難そうに声を詰まらせるハクガン。
アネモネの事情か。それってもしかすれば、考えたことはないかもしれない。
「なんで? だったら、どこかで待っていてくれてもいいじゃないっ」
リナの疑問が廊下に大きく響いた。
その通りである。
どこかで留まっていてくれたなら、そこに僕らが向かえば済むだけの話。
「私にアネモネ殿の足かせになれと?」
瞬間、ハクガンの目つきが鋭くなり、口調も多少乱暴になった感じがしてしまい、また緊張が走る。
またリナとハクガンが睨み合う。
ハクガンは子供を宥めるように腕を組み、対話に向かい合おうとしているけれど、相変わらずリナは隙あれば飛びかかろうと身構えている。
リナの感情のスイッチが入る恐れを肌に感じながらも、目を逸らしてしまう。
このままハクガンに従うのか?
でも、それって逃げることになるんじゃないのか。
エリカから。
気づけば穏やかな表情に戻っているハクガンを眺め、考えてしまう。
口元に手を当てながら。
ここで素直に引き下がるのか。
瞬きをすると、暗闇でエリカの姿が浮かぶ。
こちらに背中を向けた姿が。
瞬きを繰り返すほどに、エリカの姿が遠退いていくようで、胸が痛んでいく。
このままじゃ本当にエリカが遠くへ行ってしまう。
そんな恐怖が背中から一気に覆い被さり、寒気がした。
それだけは絶対に嫌だ。
「なぁ、だったら」
睨み合う二人の間に、つい割り込んでしまうと、二人に睨まれてしまった。
「僕らがアネモネに会いに行くのがダメなら、アネモネを呼ぶことはできないの?」
「アネモネ殿を呼ぶ?」
「そうだ。僕らが特定の場所で待っているから、あんたが呼んでくれないか?」
僕の提案にリナは呆然としているが、ハクガンはどこか納得できないのか、顎を手に当てる。
「ですから、私はアイナ様を呼ぶ?」
どうも渋るハクガン。
次第に表情が曇っていく。
「……別にアイナを呼べ、なんて言っていない」
渋るハクガンに、多少強く一蹴した。当然ながら、ハクガンの表情はより曇っていく。
仲違いしたとはいえ、アイナに対する信頼感はなくなっていないってことか。
だったら、怒っても当然か。でも怯むな。
「僕が呼んでくれ、と言っているのはアネモネだ。アイナじゃない」
「それは面妖ですね。ただの言葉遊びにしか聞こえません」
「どう捉えるかはあんたの勝手だけど、僕は間違ったことは言っていない」
途方に暮れているリナの横で、僕はハクガンに詰め寄った。
それでも、多少は歩み寄らないと先に進めないよ。




