第四部 第五章 4 ーー “蒼”のために動く…… ーー
二百四十五話目。
私は“蒼”は嫌い。
これは変わらない。
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リナを想う先生の懇願を受け入れ、部屋を出たのはいいのだけど、廊下に出ると頭を掻き毟ってしまった。
どうも、先生の頼みを邪険にするのも心許ない。
でも“蒼”であるアカギを捜すのにも、少なからず抵抗があった。
“蒼”のために動く……。
罪悪感に似たもどかしさに頭を掻きながら、ふと廊下を歩き出した。
そういえば、歩いてもどこに行けばいいんだ?
僕はこの屋敷の全貌を知らないのだから。
「何も知らずに、どこに行こうとすんの?」
迷いだしていると、蔑んだ冷たい声が背中にぶつけられた。
左側に通路が分かれていたところ、振り向くと壁に凭れたリナ。
怪訝そうに僕を睨んでいた。
「行くわよ」
「行くってどこに?」
唐突に言い出すリナ。
意図が掴めず、戸惑っていたのだけど、唖然となってしまう。
リナの足元に、一人の兵が力なく壁に凭れて座っていた。
眠っているように大人しい兵であったけれど、その異変に気づいた。
その兵の頬が異様に赤く腫れていた。
まるで誰かに殴られたような…… 殴られた?
「お前、まさか」
「行くわよ。だから早く」
「どこに行くんだよ、だから」
「ワシュウとかいう奴のところよ」
ワシュウって、確かハクガン?
意味もわからないまま、リナの後を追った。
「イシヅチのことは本当にムカつく。絶対に許さない。けど、それ以上にムカつくのがミサゴよ。奴が現れなければ、隊長が負傷することもなかった。いつもの隊長だったら、イシヅチに負けることなんてなかったはずよ。先生だって腕をなくすことはなかったはず……」
平静を装っているのだけど、声は刺々しく目つきは鋭いまま。
まだ気持ちは治まっていないらしい。
「でも、ハクガンって奴がどこにいるのかーー ってまさか」
つい間際、倒れた兵の姿が頭をよぎる。
まさか、あいつをシメて場所を吐かせたってことなのか。
「絶対にミサゴだよね。隊長と戦ったの。だったら、“ワタリドリ”がなんでこんなことをしたのかを調べないといけないわ。だったら、アネモネとも関わっていそうだし、問い詰める必要がある」
だからって、暴行ってことは言えない雰囲気である。
「で、ハクガンに話を聞いてどうするんだ?」
「問い詰める。ミサゴが何をしようとしているのか、もし居場所を知っているなら、なおさらね」
居場所……。
足が止まりそうになる。
もしミサゴの居場所を知れたなら、エリカの居場所を知ることになる可能性もある。
……知らなきゃいけない。
決意が足に力を戻した。
そうだ、僕がすべきことはこっち。こっちが重要なんだ。
「ハクガンはどこにいるの?」
「帝がいた広間だそうよ。事態を知って調べたいらしいわ。ちょうどいい」
「ちょうどいい?」
「そこで隊長と戦った廊下を通るのよ。そこで何が起きたのかわかるかもしれない」
なるほどね。確かにそれは知っておくべきかもしれない。
でも、気をつけなければ。
今のリナの心境を考えれば、ハクガンと顔を合わせたとき、有無もなく殴りかかる勢いだしな。
殴ってエリカの居場所が知れるならば、僕が殴りたいぐらいだけど、ここは我慢しかない。
平常心を保って通路を曲がったところで、遠くからこちらに向かってくる一人の男がいた。
「……ワシュウッ」
足が硬直する。
目の前にハクガンが現れた。
一気に緊張が高まり、拳を強く握った。
ただハクガンも、トゥルスでの姿と違い、青い服に身を包んでいる。
ここではやはり「ワシュウ」というかとか。
「こんにちは。ハクガンさん」
窓の外から陽が射し込む広い通路。
そこに響こうとするほどの大声でリナは挨拶した。
腰に手を当て、悠然たる態度で。
明らかな挑発である。
飛びかかるのを逡巡した僕を焦らせ、動きを止めさせた。
してやったり。と得意げに笑顔を献上するリナに、ハクガンも和らげな笑みで受け入れていた。
「無駄ですよ。私を挑発しても」
やはり読まれていたのか、ハクガンは平然と切り返してくる。
「でも、どこかに兵がいれば、怪しむんじゃないの。「今のは何?」って。ね、ハクガンさん」
それでも手を緩めないリナ。より名前を強調して対応する。
「ですから、もうこの階には私以外の兵はいないのですよ。そんなに大きな声を出しても、疲れるだけですよ」
まったく動揺を見せないハクガンに対し、リナは後手に回ってしまったのか、顎を引いてしまう。
「止めておけって、リナ。そんな話をしに来たんじゃないだろ」
もう見ていられず、リナの右肩を掴んで制止した。
リナも暴れるかと思ったけれど、素直に一歩下がり、ホッと手を放した。
「あんた、なんでこんなところに来ていたの?」
まだ悔しさが晴れないのか、リナは棘のある喋り方で突っかかる。
「私は帝が亡くなられたと伺い、それを確かめたかったのです。事実をこの目で調べておきたかったので」
いきがるリナとは対照的に、あくまでハクガンは穏やかに返事する。
「で、あなた方は? 確かヒダカ殿に呼ばれたとお聞きしましたが」
あくまで紳士的な態度を崩さないハクガンに対して、リナは苦汁を飲まされたみたいに眉間にシワを寄せる。
どうも冷静に話ができそうにない。
「この屋敷で何が起きたのかは聞いた。今、ここは危機的状況であることも。そしてこれから何をしなければいけないのかを」
「そうですか? それでヒダカ殿はなんと?」
「アカギって奴を呼び戻す、と。それが混乱を鎮める最善の対策であると言っていた」
先生との会話を掻い摘まんで話すと、ハクガンは口元を手で押さえ、少し思案すると、
「なるほど。それは安心です。彼が蛮行に出なかったことはさすがです」
蛮行。すぐさまイシヅチを狙わなかったことか。
気まずそうにリナは顔を背ける。
「では、それをわざわざ私に?」
「いや、そうじゃない。僕らがあんたを捜していたのは、ミサゴがどこにいるのかを教えてほしかったからだ」
回りくどいことをしたくはない。だから直球的に聞いた。
すると穏やかだったハクガンの眉間に深いシワが掘られた。
俺だって許せない。
だから直球でいい。




