第四部 第五章 1 ーー 通される部屋 ーー
二百四十二話目。
再出発って考えていいのかな?
第四部
第五章
1
結局、ハクガンに逆らうことはできなかった。
僕らは十日ほどトゥルスに滞在していた。
すでに四日ほどで僕の傷は癒えており、いつでも出発できたのだけれど、ハクガンは考えがあったのか、出発することに躊躇し、数日が経っていた。
もちろん、僕らにそんな悠長な時間なんてない。
何度もハクガンの目を盗み、出発しようともした。
だがここで、ハクガンから離れてしまえば、エリカへの繋がりを捨ててしまいそうな危惧もあり、踏み出すことができなかった。
それはリナも同じで、アネモネの行方を知るため、苛立ちを必死に耐えていたのだろう。
村人にバレないように、洞窟の壁を何度も殴っている姿を何度も見かけた。
それだけ我慢の限界も近近いらしい。
ただ、リナの力じゃ壁が崩れそうなので、ほどほどにしろ、とは言えなかった。
なら、あんたがサンドバッグになれ、と平気で言われそうだったので。
それに何より、トゥルスの村人は、ハクガンに絶大な信頼を寄せている。
それはミントもしかり。
そうしたなかで、ハクガンに牙を剥くことを許されない雰囲気があった。
恐らく、それが僕らを従順にさせていた一番の理由だと思う。
そして十日後、トゥルスを出発した。
ベクルに戻されたのは、トゥルスを出て二日が経ってからである。
またすぐに牢屋に戻されると覚悟をしていたのだが、屋敷に到着したとき、すぐに別の場所へ連れて行かれた。
その間、屋敷には不穏な空気が漂っていた。
どう説明すればいいかわからないけれど、すれ違う兵や、僕らを連行する兵もどこか顔が浮かない。
何かを隠し切れておらず、心がここにあらずといった様子でぎこちなかった。
どうも甚大な事件でもあったのか、ギスギスしている。
屋敷を外から眺めたとき、一部の爆発か何かで焦げていた。
「……クーデターでもあったのかな」
僕は敵襲を疑ったけれど、隣で眺めていたリナは小さく呟いた。
なぜ、と聞くと振り返って街を眺め、
「襲撃なら街が壊れていてもおかしくないのに、そんな被害がない。もしかしたら、外部から襲う必要がなかったのかも」
だからクーデター……。
確かに、とリナの推理に納得し、頷いてしまう。
それ以降、ずっとリナはどこかを睨むみたいに、厳しい表情を崩さなかった。
広大な廊下を歩いていても、至るところに視線を配り、警戒を解かない。
それこそ、物陰からの襲撃にもすぐに対処できるようにと。
だが、それならばやはり疑わしくなる。
それならば、兵の警護が緩すぎる。
敵襲にしろ、クーデターにしろおかしい。
そうした意識がまったくなかった。
辺りを警備して巡回する者もいなければ、僕らを連行する兵も一人だけ。
それも武器を携帯していなければ、僕らに手錠すらしていない。
あまりに緩すぎる。
それこそ、逃げようとすれば、簡単に突破できそうであった。
まぁ、リナも辺りの雰囲気に気が散っていて、そんな素振りもなければ、僕もその気はないけれど。
ただやはり、屋敷全体に大きな虚無感が漂っていた。
肌にへばりつく違和感を拭えないまま連行されたのは、どこか大きな部屋であった。
入れ、
と否応なしに放り込まれたが、部屋を見渡して唖然となってしまう。
この部屋は天井まで張り巡らされた本棚に囲まれていた。そのほとんどに分厚い本が収められていた。
まだ調査中なのか、収まりきらないのか、多くの本が床に散乱しており、足の踏み場を奪おうと迫っていた。
図書室とも、資料室とも取れる部屋の状況に圧倒されてしまう。
貴重な資料の集まりであり、壮大な光景であるのだろうけれど……。
なんだろ…… なんか。
「……先生の家みたい」
湧き上がっていた気持ちを、隣で部屋を眺めていたリナも、唖然と声をもらした。
思わず僕も黙って頷いた。
まさにその通りであった。
導かれるように、部屋に踏み込んでいた。
部屋にはテーブルも置いてあり、そこにも数冊の本が開いて重ねられており、直前まで誰かが調べ物をしていたらしい。
「……誰もいないのか?」
「何? 今度は私らここに監禁させられるの?」
床に落ちた本を拾い、そのまま壁に投げ捨ててしまいそうな勢いで、リナは頬を歪めた。
止めてくれ。また問題を増やさないでくれよ。
「また乱暴なことをしそうだな、リナ」
手にしていた本を、まるでボールみたく宙に何度も投げて遊んでいたとき、本棚の奥から声が届き、僕らの前に一人の男が姿を現した。
「ーー先生っ」
どこか懐かしい声だな、と眉をひそめていると、リナが声を弾ませた。
奥の通路から現れたのは、先生だった。
確か、名前は「ヒダカ」だったっけ。
周りが敵だらけのなかで、ようやく顔見知りの人物が現れてくれたおかげで安堵したけれど、すぐに眉をひそめてしまう。
どこか顔が浮かない。
かなりの疲労が溜まっているみたいだ。
「ーー先生、その腕っ」
先生の様子に違和感を抱いていたとき、リナが本を落として叫び、表情が歪んでいく。
ない……。
冷笑した先生の左腕がなくなっていた。
長袖の裾には何も通されておらず、重力に落ち、微かに揺れている。
先生は左肩を右手で押さえ、黙ったまま何度も頷いていた。
「悪かったね。どうもタイミングが合わなくて、なかなか会えなかったな」
「そんなことどうでもいいのっ。どうしたのよ、その腕っ。もしかしてあの焦げと関係があるのっ」
すぐさま先生に駆け寄り、先生の左腕を掴んだ。動揺が襲い、目を見開いているが、先生は静かに頷くだけ。
戸惑いを隠せないリナから、顔をこちらに向け、
「あれ? そういえばもう一人の女の子はどうしたんだい」
周りを見渡し、エリカの姿がいないことを不思議そうに、僕の顔をまじまじと眺めてきた。
なんか、僕とエリカはセット扱いなのかな。
「ま、ちょっといろいろあって。今は別々になってます」
事情を説明するのも逡巡してしまい、濁しておいた。
つい目を逸らしてしまう。
「そうか。君たちにも問題は多いみたいだね」
先生は深く追求されずに安堵した。すると先生の表情はまた曇った。
「ね、それで何があったの」
納得したのか、唇を噛む先生に、リナが強く聞いた。
すると先生はリナの肩に手を置き、リナを見詰める。
それまでになく真剣な眼差しを向けて。
「……ツルギが死んだ」
再出発にしては、不安だらけだな。
それでも、五章に入ることになります。
応援よろしくお願いします。




